シャンデリア

「死、死んでる!?」
島袋明子(しまぶくろあきこ)は悲鳴を上げた。それは黒板消しにフォークを100本つきたてたような、ものすごい悲鳴だった。館中に響き渡り、すべての意味を飲み込んでしまうかのようだった。ぐるんぐるんの渦の中、ゆっくりと意識が遠のいていった。このとき明子はなぜか秋の空の雲の向こう側を見たような気がして、これが世界か。世の中ってのはまったく捨てたもんじゃないな、などと思った。焼きそばパンの味。ピンク、イエロー、グレー。すべてのカラスに対してのグリーン。明るくふるまっておいて、実は悲しいほどに残酷。月が怪しく照らし出す、キリギリスたちの集会。

猫が通りを歩いていた。その猫は毎日が退屈で頭がおかしくなりそうだった。館のほうから悲鳴が聞こえた。旅に出ることにした。

事件は午前3時におきた。シャンデリアが降ってきて、執事の桜田正治(さくらだまさじ)、通称桜田じいやが死んだ。発見当初、桜田は裸に少し大きめのジャケットと靴下という半裸のような状態でつぶれたシャンデリアの横に横たわっていた。なぜ、そんな時間に桜田が大広間にいたのか、またなぜそのような格好で死んでいたのか、まったくの謎であった。

最初に疑われたのは、桜田じいやと仲のよかった植木職人の原田智也(はらだともや)で、この事件があった日を境にぱったりと館に姿をあらわさなくなっていた。住んでいたアパートも、もぬけのからで、誰も足取りをつかめなかった。しかし原田には事件当日の夜、六本木の飲み屋「バー春雨(はるさめ)」で飲んでいたというアリバイがあった。

次に疑われたのが、ビッグファザー渡辺隆(わたなべたかし)の実の娘である姫子(ひめこ)と交際している藤原巻彦(ふじわらまきひこ)だ。藤原巻彦は、姫子を夜の街へ繰り出そうといつも誘っており、普段から「金曜の夜、終わらない金曜の夜に踊り狂うのは、ティーンネイジャーの大切な務めなのさ」が口癖で、この日も夜の約束をとりつけようとしていたが、桜田が「姫、いけませぬぞ。夜の街は危険がいっぱいでございます。夜遊びはいけませぬ」と窘めたため、姫子は夜の街へ繰り出すのをやめ、おとなしく家で一人大富豪をやることにした。これに腹を立てた藤原がシャンデリアを落としたのではないかと疑われたが、館のセキュリティは強固であり、部外者がこの館に忍び込むことは不可能であるという結論に達し、捜査は振り出しに戻った。

最終的に犯人はアンパン職人の田中(たなか)ガリレオ・2世だった。ある日、田中はいつも通り、朝食であるアンパンを館で暮らす人数分焼いておいたのだが、思春期の食欲をどうしても抑えられなかった姫子がパンを二つ食べてしまったことにより、事務員の鈴木倉之助(すずきくらのすけ)が食べる分がなくなってしまったのだった。この責任をビッグファザー渡辺隆に咎められ、激しく叱責された。「自分はちゃんと人数分アンパンを焼きまし た。間違いありません。信じてください」と食い下がったが、減給はさけられず、16万7千円の給料が5千円引かれ、翌月から16万2千円になってしまったのであった。

そのことを掃除のおばちゃんの、川端幸恵(かわばたゆきえ)に相談したところ、
「まぁいろいろあるわよ。あたしなんかこないだ、休みの日に家で横になってテレビ見てたら、旦那に「おい、豚、豚は豚らしく養豚場でもどこでもいってろ!」なんていわれて、しぶしぶ、家を出たんだけど、あたし知ってるの。エロ動画っていうの、なさけないわね。あの、あるじゃない。いやらしいやつ。あれ見てるのよ。あたしがいない間に。いやになっちゃうわ。まぁ、あなたもアンパンの数間違えたぐらいでグジグジいってないで、明日から切り替えてやっていけばいいじゃない」
などと言われたが、あまり助けにならなかった。そもそもアンパンの数は間違いなく館の人数分17個焼いた。それが足りないといわれるのなら、もう俺は、ここに居続けることはできない。

そう思って深夜、シャンデリアを落としたら、ビッグファザーではなくて、桜田じいやにあたってしまった。桜田じいやはここのところよく眠れておらず、眠れない夜はワインをのんで、少し大きめのジャケットに、冷え込み防止のための靴下といういでたちで、大広間でジャズダンスを踊るというのが日課になってい た。しかし、暗くてよく相手が見えなかった田中は、ああ、あれはビッグファザーが日ごろのストレスに耐えかねて踊り狂っているに違いないと思い、シャンデリア落としを実行に移したのだった。

島袋明子はイカが空を飛んでる夢を見て、ああ、ロケットみたいだなぁ。と思ったら目が覚めた。しかし、目が覚めたこの世界こそが夢なんじゃないかと、すこし思った。頭はあいかわらず、ぼんやりしている。天気の良い日に丘の上まで登って、この街を遠くまで見渡せたら、どんなにいい気分かしら。そうだ、今度マウンテンバイクを買ってもらおう。

猫が次の町を目指す。風が吹く。猫は少しお腹がすいたと思ったが、次の町までまだ27、8キロほど歩かなければならなかった。空腹を満たす方法がないかとあたりを見回す。砂嵐が舞う。どうやら次の街にたどり着くしか方法はないようだ。ふと来た道を振り返ると館の方から火の手が上がっているのが見えた。猫は足を2、3回なめて気持ちを入れ直すと、ゆっくりと歩きだした。


ありがとうございます。