「頑張る」ということばの重さの違い
この前、高校生の妹から「頑張れといわれるのが嫌だ」という話を聞いた。詳しく聞いたところ、国語の授業中にクラスに向かってこのような内容のことを発表したらしい。
「自分は頑張っているのに、『頑張って』とか言わないで欲しい」と話す妹の発言に妙に納得している自分がいた。私にとって「頑張る」ということばは、相手を励ますものだが、人によってそのことばの重みが違うのではないかとその時実感した。
自分自身の中で、「頑張る」ということばについてもう一度考え直してみようと思う。
学術的な視点からみてみる
まず「頑張る」を辞書で引いてみよう。まとめると以下のようになる。
①困難にめげずに我慢してやり抜く。努力する。
②自分の考え・意思をどこまでも通そうとする。
③ある場所を占めて動かないでいる。
普段私たちが使う場合は、①の「諦めないで努力すること」の意味合いで使うことが多いのではないだろうか。
次に、言語の由来を調べてみよう。いくつか説があるらしい。
①「眼張る(がんはる)」が「頑張る」になった説。このもともとの意味が「ある場所から動かないでいる」という意味に変化したのではないかと言われている。
②自分の意見を突き通すという意味の「我を張る(がをはる)」が「頑張る」になった説。これが、我慢してやり抜くことや自分の意思を貫くなどの意味になったのではないかと言われている。
意味と由来を調べてみると、「頑張る」ということばには自分の強い意志を貫くということが読み取れる。
他の言語で考えてみる
英語だとどのような表現になるのだろうか。
自分が「頑張る」場合。
「I'll do my best.」よくある表現。
「I'll try.」とりあえずやってみるという意味合い。
「I'll work hard.」やる気がある感じ。
「I'll put my effort. 」「I'll keep on trying.」、、、、
英語での表現は多数あり、自分がどれだけ「頑張る」のか、状況も考慮して使い分けていることがわかる。
相手に「頑張れ」と言う場合。
「Go for it !」「Good luck.」
人差し指と中指を交差させるポーズをしながら「I'll keep my fingers crossed.」
「I hope it goes well.」「I believe in you.」、、、、
相手を応援する表現も多数あることがわかる。
私にとって英語の表現は、少しのニュアンスの違いもきちんと含まれているように感じられる。
詳しく言うならば、「どれだけ頑張るのか」の度合いを相手に伝えようとしているのではないかと私は感じた。また「頑張れ」と応援する度合いというものも変わってくるのではないか、、、。
つまり、「ここまでは頑張るけど、これ以上の頑張りは無理ですよ」と宣言しているのと同じなのではないだろうか。「それ以上は期待しないで、、、」と暗に?直に?伝えているのか、、、。
「頑張れ」は無責任なことばなのだろうか?
こうして振り返ってみると、人を応援するはずのことばであるはずが、相手によっては、気持ちを推し量ることなく傷つけてしまっている可能性がある。
しかし、応援される方としては、あなたの「頑張れ」ということばの意味合いをきちんと理解していることもわかってほしい。
あなたが応援してくれていることわかってはいるけども、だけどもこの状況下に置かれた今の自分にとっては、受け入れ難いことば。
その態度が、もっと支えてほしいということなのか、ほっといてほしいということなのかは、その人自身の置かれた状況で変わってくると思うが、自分を気にかけてくれている人がいることはとても心強いことは確かである。
普段何気なく使っていることばは、私たちが思っている以上に考えて使わなければならないツールの一つなのかもしれない。
一番簡単なコミュニケーションの方法であるからこそ、相手を思いやることばを使っていきたいと思う。