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「線」と「塗り」で私はどこまで表現できるのか

1年ほど前、とても尊敬しているイラストレーターの方に、背景の描き方について質問をしたとき、「背景が得意な方がいるのですから、背景が苦手な私は背景を描かなくてもいいのでは」というようなことをつい言ってしまった際に、「描けるなら描けた方がいいよね」という旨のお言葉をいただき、そうだよなぁそうだよなぁとずっと思いつつも、なかなか前に進めないでいました。

そうこうしているうちに、装画の仕事をいくつかいただき、何枚も描いていくうちに、人のみで表現することが時にもどかしく感じるようになりました。
どうしても構図が似てきてしまう気がするのです。
人のみでの展開では、依頼も偏ってくる気がします。
そもそも、人だけで展開していくよりも、人以外も描けた方が面白いのではないか。と考えるようになりました。

もちろん、今後もどんどん人だけで画面を構成することもやっていきます。しかし、とにかくもっと描きたいものを描きたいように描けたら、きっとさらに楽しいことは間違いないし、仕事としても色々な提案ができるはずなのですから、その方が良いと思うようになりました。

生き物や植物、物のような通常の状態で形が自力で保持されているものを「線」と「塗り」だけで表現することは容易です。

しかし、光・影・水・炎など明確な形がないもの、線の起点と終点を結ぶことが出来にくいものをどう表現したらよいのか。

まずは「水」にこだわってみようと思います。
しかも、コップなどの小さい容器に入った水ではなく、プールのような大きな入れ物に入った水、あるいは海のように果てしなく続く水のようなものを「線」と「塗り」で(出来る限り必要な線と塗りだけで)どう描けば、説明することなしで人はそれを水だと思うのかということをやってみたいのです。

それに付随して、水に濡れた人体そのものや、着衣の状態で水に濡れた人、など、水を通してやっぱり人を描いていきたいなと思います。

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