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ハッピーエンドはボロボロだった #2

午後になり、PCのディスプレイに表示されているエクセルに淡々と文字を打ち込んでいく。
少し残業でもすれば、今日中に片付けなければならない作業はあらかた終えられるだろう。
仕事が好きかは、あるいは向いているかについてはどうにも分からないけれど、忙しいということは悪くなかった。
いつからか考え込む隙間が出来てしまわないよう、絶えず働いてきた、そんな気がする。
何かに立ち向かうように、ではなく逃げ出すように。

「今日、良かったら飲みに行きませんか?」
斜め前のデスクで働いている後輩社員に声をかけられた。
「とても飲みに行きたいけれど、今日は上がれそうにないんだ。
 誘ってくれてありがとう、嬉しかったよ。」
後輩社員に微笑みながらそう返答し、また視線をディスプレイに戻す。
「無理しないでくださいね。」
少し悲しそうに後輩社員は笑った、よくある光景だった。

自分の作業に目処がつく頃、もうすっかりと空は暗くなっていた。
少しだけ待ってくれていた後輩社員も退社していて、見事に人気の無いフロアという有り様だ。
それらしく伸びなんてものをしてみると、ふとそれなりに空腹であることに気付く。
デスクに置かれた食べかけのパンに目が移る。
「昼に食べ切ってしまわなくて良かったな。」
一人きりの空間では、当然返事なんてものはなかった。
パンを頬張りながら、終電の時間を調べる。
オフィスを出るまでにはまだ2時間ほど余裕があった。

そういえば地面に落ちてしまったチョコレートはごみ箱に捨てたんだった。
特に深い意味はなく、ごみ箱に目をやってみる。
ごみ箱の底にはきちんと捨てたチョコレートが存在していた。
誰も彼もに忘れられたように、それとも最初からそこにいたかのように。
そのチョコレートをぼんやりと眺めながら、僕はどうしようもなく寂しい気分になった。
分かりやすく言語化をしたかったけれど、それはどうにも例えようの無い寂しさだった。

少しの間、目を瞑る。
心当たりの無い寂しさに襲われた時、僕はよく目を瞑る。
嵐が過ぎ去るのを待つように、長い夜が明けるのを待つように。
それでも今感じている寂しさは過ぎ去ってはくれなかった。
これは心当たりのある寂しさというやつなのだろうか?
そうだとすると、僕は何に。
何に対してこんなに感情を動かされているのだろう?

「あなたは大事なものほど、大事にすることが出来ないのよ。」
また懐かしい声が聞こえた気がした。
「弥生さん?」
目を開いて振り返ったけれど、そこに広がる景色はいつも通りのオフィスでしかなかった。
だけれど、この感情の中心地は把握した、つもりだ。

ターニングポイントというほど決定的なことは何もなかったかもしれない。
それでも色んな『もしも』が溢れていたあの頃。
あの頃から僕はもう随分と遠くに来てしまった気がする。
手のひらから零れ落ちる甘い日々を捨てたのは自分自身だったはずで、このなんにも不満のない灰になった日々を選んだのは誰でもないこの僕のはずなのに。
きっと、きっと。
頭が理解していることが、心に染み渡っていないのだ。
自分自身にケリがついていないまま、ここまで来てしまったのだ。

それでも人は、僕は生きていかなくてはならないし、生きていくのであれば明るい未来を信じたいと思う。
どうやら向き合う時が来たのだろう。
きっかけはごみ箱に捨てたチョコレートだなんて、なんとも絵にもならない話だけれど。

僕は再び目を瞑る。
今度は逃げ出すためではなく、向き合うために。
今から思い出すのは、大学3年生の頃の話。
僕が今よりも、どうしようもなく僕だった頃の話だ。

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