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◆消火現場を見ている時に来た友◆

激しい炎は見えないけれど、まだ完全に消えていないのか、灰色の煙が上がっている建物に、上からも横からも、正面からもどんどん放水をしているのを見ながら、ただただ離れた路上に立ち尽くしていたのだけど、目の前にパッと、馴染みの友人「鳥山よしき」がいて「未花さん、咄嗟に電話をかけちゃいましたが出なかったので、やっぱりここかなって思って来ました」と近づいて来てくれて、私の近くで同じく頭が真っ白になっているであろうカーンくんにも声をかけてくれた。

そこからその友人は、すぐに答えが出ないからこそ言葉にするのをグッと堪えていた私の言葉、

「これからどうしよう」
「お店なくなったらどうしよう」「シェフさん達もショックだよなぁ」
「まるたけさんは怪我してないか」

といったような、気を紛らわせる為か、口から溢れるとりとめもない不安の言葉から、まだ強がりでしかない「さぁ、ここからどう切り抜けよう」っていう独り言にも似た発言を、すぐ隣で聞いては「大丈夫」と返し続けてくれた。

この時の事も、絶対に忘れない。

事故や災害が起きた時、当事者の気持ちやペースを考えてくれるやり方で、心配し、駆けつけたい気持ちをグッと抑えて、まずは静観し見守る事で応援してくれるやり方もあれば、まずは実際にど真ん中に飛び込んできて、今必要な事を自分で見つけ出して、グッと近い距離で寄り添うやり方もあるんだなぁ、と。

後者の方法を取る人数が多いと、もしかしたら人によっては対応に気を遣わなくてはいけないから気持ちの面での負担が増す可能性もあるから、その時の状況によって何が正しいかは変わってくるだろうとは思うけど、鳥山よしきが隣にいてくれた事に、間違いなく私は救われた。

どんなやり方にしても、あの火事の日から今もずっと、どうやったらムガルカフェのみんなや大家さんご家族、周りで辛く怖い思いをしている方々の笑顔が戻るのかと考え続けてくださっていることが、ひしひしと伝わってきている。

**◆火は消えた、さぁここから。◆ **

確か10 時30 分を回った頃に、しつこく燻っていた煙も見えなくなり、消火活動の終わりが見えてきた。その頃には、建物の周りの道路全体が、白い泡と灰色の水の大きな水たまりになっていた。

私とカーンくん、そして後から現場に来て険しい顔で焼けた建物を見つめていたムガルカフェのシェフさん達も規制線の中へ呼ばれて、消防と警察から現在の火災による被害状況や、これからどんな調査が入って、どこから連絡が来るから待つように、などの説明があった。

まだこれからやらなくてはいけない事が山積みなのは漠然と感じているけど、まずは目の前にいるムガルカフェのシェフさん達が仕事を失ったと心が折れてしまわないように守らなくちゃ、そんな意識が働いた。それぞれ50歳くらいのシェフさん達は、日本へ来たタイミングもムガルカフェと出会うまでの経緯もそれぞれ違うけれど、ムガルカフェにとってはかけがえのない仲間で、インドにいるご家族から離れて単身日本へ来ている。だから、インドのご家族の為にも彼らの心を折らせるわけにはいかない。

シェフの中でも少しだけ日本語を話せるナシームさんの横に立つと、焼け焦げた建物をまじまじと眺めていた彼が首を横に振りながらこう言った。

「マダム、(なぜか私はムガルカフェのスタッフにマダムと呼ばれている。)コレは、全部ダメね?ベリーデンジャラスね?」 

「うん、そうだね、ベリーデンジャラスだね。でも、大丈夫、どうにかしようね、大丈夫だよ!」

ナシームさんに強気な発言をしてみせた勢いで、咄嗟にSNSで繋がっている、街で多方面にコミュニティを持ち、広く活動をしている仲間のグループに、ムガルカフェが火事に遭って営業停止になってしまったことと、シェフさん達が仕事を出来る場所探しを助けてほしい!と投げかけてみた。


その、反応の早いこと。具体的なこと。伝わってくる気持ちの、力強いこと。

それとほぼ同時に、ニュース速報を見て、ムガルカフェが今置かれた状況を想像した上で、支援したい!とご連絡をくださった方々がいた。

ここで、ハッとした。あ、私、冷静なようでいて、おそらくまだパニックなのかも。

自分から働きかけた連絡もあるっていうのに、どんどん届くメッセージや着信に対して、全然情報処理が出来ていない。前向きに、頭をクリアにして一歩先を見据えてまずは動く!と思ったつもりだけど、結構頭の中が混乱しているらしい。どうしよう。

そんな中、気がつけばまた目の前に、ママチャリにまたがった熊みたいに大きな身体の「竹沢徳剛さん」がいて、「心配でついつい駆けつけちゃったよー!」とハグをしてくださるものだから、ついつい気が緩んで涙が溢れてしまった。

竹沢さんは、燃えてびしょ濡れになった建物を見て、ムガルカフェのシェフさん達がすぐにでも仕事を出来る場所を探さなくちゃいけないという事が1番の心配事だという想いを聞いてくださって、「ニュースを見て大丈夫かなぁと思ってはいたけど、この現場を見ちゃったら、ほっとけないなー!オレが動くか!」と言ってくださった。


ムガルカフェの次の展開が見えて来るまでは、とにかく仮の場所として営業が出来るかもしれないという、彼が所有するラウンジを見せてくださるという。

火事現場の駒込から、シェフさん達も引き連れてそのままみんなでママチャリで移動した。

駒込から巣鴨は、山手線では一駅分だけど、割と近い距離にあるので自転車移動がしやすいのだ。

こんな時だからこそなのか、みんなで移動する間もシェフさん達は割といつも通りにマイペースで、
時々おもむろに「オレはまだ元気だぜ!」風な事をヒンディー語で言いながら、シェフのナシームさんはママチャリでのダッシュを見せてくれたりした。ヤシンさんの方も、いつも通り、ゆらりゆらりと自転車を漕ぐ。

移動手段が歩きのみだった私に自転車を貸してくれた友、鳥山よしきは、元プロボクサーだということを彷彿とさせるフットワークで一駅分走ってくれた。

こうして、火事現場の煙の匂いをまとったままみんなでたどり着いた先で、何が起こったか。そこは、ムガルカフェのビリヤニ再建へと繋がるのか。

続きます。

最高に美味しいビリヤニと温かい笑顔が集まるムガルカフェをもう一度作ります。応援よろしくお願いいたします!