憂鬱な一日

 朝、目を覚ます時から既に身体が重い。昨夜は悪夢を見たから。車から放り出されて走り去ろうとする車を全速力で追いかける夢。なんだか本当に長距離を走ったような肉体的疲労感がある。心臓が締め付けられたように痛む。ぼんやりとした状態から少しずつ五感を覚ましてゆく。一階から母の声が聞こえる。朝食が出来上がったようだ。私は重たい肉体を起こして食卓に着くために動き出す。
 母が作ってくれた朝食を腹の中に詰め込む。トーストに塗られた赤いジャムは血清から分離した血餅のようで、トロッとしたスクランブルエッグは黄ばんだ脳みそのように色あせて見える。味わうという概念は今日の私にはない。全ての味は忘却の彼方に飛んで行ってしまったかのようだ。なんだかすべてが味気ない。憂鬱な状態の私にとって食事とは物を胃袋に詰め込む作業だ。そこに楽しみはない。プリア・サヴァランのように私はなれない。
 何とか食事を終えた私は自室に戻って着替えを始める。朝は兎に角体力がない。私が覚醒するのは専ら日が傾き始める頃からだ。鉛のような身体を強引に動かして衣服を通す。服を着る行為すら憂鬱な私にとっては煩わしい。だから私はワンピースを好む。ワンピースを着ていれば、すっぽりとかぶって腕を通すだけで、ある程度様になるのだ。
 日中は専ら大学の課題の提出や卒業論文の作成といった作業をしている。私は通信制大学で学んでいるので、大学の校舎に行かずに勉強が出来るということは身体も心も重たく沈みがちな私にとっては救いだ。最近は午前中に課題の提出に向けて作業を進め、午後は論文の作成を行っている。今はこのようにして自分のペースでやるべきことを行えているが、大学を卒業して社会に出ていくと自分のペースで事を進めるわけにいかないので、どのような働き方をするべきかが今現在の私の悩みである。
 夕方になれば、身体的・精神的に少し余裕が出てくる。ここから私は少しアクティブになれる。洗濯物の取り込みや犬の散歩など家事をこなし、このnoteでの文章の執筆や投稿も行う。noteでの作業は一通りの家事を終えてから夕飯を食べるまで続ける。
 夕飯を食べ、メンタルクリニックから処方された薬と少量の酒を飲み、小一時間程ゆったりとする。家族が見ているテレビ番組を一緒に見たりもするが、内容はあまり頭に入ってこないし、それらの番組の面白いポイントもあまり掴むことが出来ない。
 風呂に入るのもまた億劫であるが、朝の着替えよりはまだその行為を行うだけの余力がある。最近は暑いのでシャワーでサッと身体を洗うとすぐに浴室から出る。髪を乾かして、歯を磨いて、就寝前に飲む薬を飲むと私は自室に向かう。
 憂鬱な時は夜になると脳髄や身体が覚醒してしまうので、なかなか寝付けない。眠るまでYouTubeの動画を何時間も眺めて過ごしている。本を読むのもいいが、憂鬱な時は活字の読解があまり出来ないので、専らインターネットの動画を見て過ごしてしまう。動画を見ている間に無意識に眠りについている。そしてまた憂鬱な朝を迎えるのだ。

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