そうだ、音楽の話をしよう、とすると歴史のことも話しちゃう癖


南米の音楽を浴びるように聴いていた時期おやこの旋律はと思うことがあった。中華風であったりインドかしらんと思ったり。歴史を紐解くとそこには移民(時に強制)という現象があるのだ。移民による文化の混ざり合い。今日は沖縄のハワイ移民の論文を読んでいた。1899年に沖縄からハワイへの移民が始まる。新しい土地で心機一転。宣伝文句は華々しいユートピアの如く。しかし大抵そこは地獄のような環境で。生活ギリギリの賃金、プランテーション内の商品の釣り上げられていたらしい。人間というのはどこも変わらない。いつも変わらない。

沖縄の移民について調べてたのは、1927年に発売されたda costa woltz southern broadcastersのold clark joeというヒルビリーソングが琉球音階で作られていたからである。沖縄の音楽を1927年の時点で聴く機会はあっただろうか。あっただろう。そのだろうをだろうと言うためだけに論文を読んだりしている。

塞翁が馬、という諺がある。何がしあわせかなんて判らないという話だ。昭和10年頃尾部憲通という人が名家の三線を買ってハワイで売り払うという商売をしたらしい。その頃ハワイでは三線が大人気だったとか。歴史的三線の散逸。しかし結果的には良かった。沖縄でなくハワイにあることで戦禍を免れることになったから。何がしあわせな結果に導かれるかはわからない。そして今日も僕らは目先のことを一喜一憂するのだ。

YouTubeにマルフクレコードの1927年のまさに初期な音源をアップロードしてくれている人がいてただただ感謝。その人は滅茶苦茶沖縄音楽上げててそのチャンネルで沖縄音楽をよく聴く。そういえば大曽根にあったツルレコードでも沖縄音楽をいくつか吹き込み販売しててそれは大曽根の紡績工場に沖縄の人が出稼ぎに来てたからではと本に書かれていたのを思い出す。出稼ぎに出てる土地では沖縄の人たちは差別の対象とされた。人としての尊厳を踏みにじられる環境の中で自らの誇りを失わないために生まれ育った土地沖縄の文化を再発見していく。戦前に沖縄レコードが多数作られてるのはそういう事情がある。


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