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MyStory『無我夢中人#005』 元プロ野球選手 今井圭吾

今回のゲストは、元日本ハムファイターズ投手、今井圭吾さん。愛媛県松前町出身。伊予高校、近畿大学を経て1996年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。1年目からローテーション入りし初勝利を完封で飾る。

現在は、地元の愛媛県松山市でエクステリア業を営みながら、中学生を対象とした「松山リトルシニア」の監督として少年野球チームの指導にあたっている。

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文武両道を貫いた野球人生

小中学校と地元のソフトボールや野球チームで活躍し、将来を嘱望された今井選手が選んだのは野球では無名の公立高校、伊予高校だった。文武両道の道を選び、大学進学を目指していた今井少年にとって「プロ野球選手」は身近な夢ではなかった。

伊予高校を選んだ理由は、
家から自転車で5分だったから

冗談交じりに語る今井選手は、常に穏やかな表情で淡々と話をする。「プロ野球選手というのは、当時の子供達が皆、漠然と描いていた『憧れ』程度のもので、現実的なものではなかった」と言う。四国にはプロ野球球団も無ければ、全国レベルの強豪大学がある訳でもない。文武両道を貫く今井さんが進学校から大学を目指すのは、至極、当たり前の選択だったのかもしれない。

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伝説の試合から29年、未だグランドに立ち続ける。

今井さんの同学年には、松井秀喜、井口忠仁、黒田博樹など、錚々たる名前が並ぶ。そして、地元、愛媛にも後に中日で活躍した野口茂樹さんがいた。今井さんは、野口投手擁する丹原高校と最後の夏の甲子園予選、三回戦で対戦している。敗れはしたものの延長10回までもつれる投手戦を演じた。その後、この試合で投げ合った両エースがプロ野球選手となり、愛媛では伝説の試合となった。特筆すべきは、両投手とも強豪高校からの誘いを断って甲子園とは無縁の公立高校(丹原高校は後に甲子園大会に出場)に進学したということだ。

近畿大学に入学後、その才能は更に開花する。96年アトランタ五輪を見据えた日本代表候補合宿にも参加。五輪出場には至らなかったものの、レベルの高い選手達と一緒にプレイすることで刺激を受け、改めて「プロ」を意識する様になったと言う。

1995年と96年の秋のシーズンでは最優秀選手と最優秀投手のダブル受賞「近大に今井あり」と謳われ、日本ハムファイターズにドラフト2位で入団。プロ初登板となったダイエー戦では、工藤公康投手と投げ合った。「プロ初三振を奪ったのは、小久保さん、そして、プロ初死球を与えたのが城島さん」と茶目っ気まじりに語る今井さんだが、常に冷静でクレバーな印象を与える。

「プロ野球選手」になれるのは、ごく僅かの選手だ。現役選手は900人にもおらず、新しく入団してくる選手は、毎年100人程。東京大学の入学者数約3000人と比べると、いかに狭き門なのかが分かる。これだけプロになることが難しい世界で「プロで活躍する」ことは、もっと難しい。そこには、運や出会い、タイミングなど、能力とは別な「何か」も複雑に絡み合ってくる。順風満帆に見えた今井さんのプロ野球人生も終わってみれば、1年目の1勝のみだった。しかし「プロ野球選手」として得た経験は、一生、色褪せることはない。栄光と挫折、歓喜と苦悩、様々な経験や想いを活かして、今井さんは、今もグランドに立ち続けている。少年野球チームの監督として日本一を目指し、挑戦し続けている。

そして、今春、今井監督率いる「松山リトルシニア」は、全国大会に出場する。

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『My Story 〜無我夢中人〜』 
  2021.03.04/21:30-22:00 on FM愛媛
【パーソナリティ】西城戸淳平/遠山恭輔
【ゲスト】元プロ野球選手 今井圭吾



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