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骨は湖に流した

古い話だが、古山高麗雄という作家が死んだ。八十一歳だった。死因は奥さんと同じ心筋梗塞だった。遺作を収めた「妻の部屋」で、妻の布団で寝ている自分を書いている。

そうなんだよ、人間って不思議だね。歳を重ねると、あらためて愛情の確認する必要がない。昇華する。無比の愛が何であるかが分かる。

死が怖いのは死がまだ身近にないから、闇が怖いのは闇が光りの翳に隠れて見えないから。死も闇も同化してしまえば怖くない。長い歳月が夫婦を同化させるんだね。妻が呼吸するように夫も呼吸する。

妻が寄り添っている闇があれば夫も寄り添う。だから何も怖くない。むかし会社によく来た、あの小柄な世界的に有名な探検家だって、南極で遭難したのではなく、彼が南極に同化しただけだ。

娘や孫が怖がっていた、薄化粧した妻の死に顔も、わたしにはいつもの笑顔と変わらない。だからお別れにはためらうことなく接吻する。これが長年連れ添った夫婦のしきたりだ。

むかし、眠れない夜の深夜番組で、AKINOとかいう、ライブバンドを聞いたことがある。それはわたしにとって異形の体験だった。蛍光灯に照らされた水槽の中で、彼はめだかになって叫んでいるエンゼル・フィッシュになった気分で、何を叫んでいるのだろう。人間の筈が、いつの間にかエンゼルフィッシュになっている。

かつて妻と一緒に聞いた、ブラザーズ・フォオーを聴いたことがある。そこには、草原のイメージがいっぱいあったのに、あの水槽の中には草原の代わりに水がある。藻が何本か立っている。わたしまでめだかになった気分になる。エンゼル・フィッシュになった気分!なんだ、あれは。

新しいものもいつかは黴びる、変わらないものはなにもなく、時をとどめることは誰にも出来ない。古い人間には、新しい感覚が異端で、新しい人間には古いものが闇なんだよ。

闇は遠ざかりゆくもの、暗黒へ回帰する赤色偏光。いまさらダンスに夢中になったり、ゲートボールに興じたり、あの闇の老人のように、黙々と走りこんだり。みな何を恐れいるのか。

だけど誤魔化すことも、生きる技術なんだよ。いつまでも過去にばかりこだわっていたら、独白老人になってしまう。

「老人性うつ病」を患ってしまう。

それも神様のくれた、忘却の媚薬かもしれないけど。

そうだ!また小さな旅に出よう!世界一周のクルージングなんて出来ないけど、わたしなりの「世界一周」の旅に。

大伴も西行も旅に出た、牧水も啄木も旅に出た!フランク永井が歌ったように、およしよ、およしよ、旅になんか行くのは、海を見たって山を見たって悲しみは消えない。

いえる。ほんとうはその通りだと思うけど、

もうエレジイを歌うのはやめた!

所詮人生そのものが旅だから、妻との出会いも旅だったし、妻との別れも旅だった。ドン・キホーテのように、仮に無謀といわれても闘い挑んでいる方が気楽だ。

終りがいつかは神様が決める!いや宇宙が決める。たまたまが決める。必然性などなにもない。ただ、たまたまだ。だからカーテンリングと、約束を思い出して作ったエンゲージ・リングは、娘に預けて旅に出よう。

もしわたしに万が一のことがあったら、その時こそわたしの旅の終りだから、妻とわたしの骨の間に、二つのリングを絡めてもらえばいい。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。