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小説「芙美湖葬送」読み切り版

明け方に気温が下がり始めた。

 霧が病院全体を覆い始めた。乳白色の霧が、汚れた病院の外壁を少しだけ白く塗り替えている。私が立っている最上階の病棟洗面所からは、普段は、付属看護学校棟が見えるのに、その朝は、何も見えなかった。 かすかに建物の存在を感ずるだけである。昨夜はあれほどハッキリ見えた駐車場の車も、霧の中で霞んでいる。その中の一台で、娘の琳子夫婦が仮眠を取っているだろう。昨夜九時頃、医師と長女と三人で今後の治療方法について話し合った。何の結論も出ないまま、長女は、子供の弁当があるからと帰った。

 子供のいない次女が残った。家に帰っても、却って心配で眠れないから、それなら車の中で仮眠すると亭主と駐車場の車に戻った。その車で今頃眠っているだろう。その次女に、先ずは報せなければならない。
 母親の命が、いま、まさに終わろうとしている。

 そのことを、娘夫婦に報せなければならないのに、わたしは看護師の呼び出しを聞いた瞬間から、脚が床に凍り付いたように、踏み出すことが出来なくなっている。
 遅かれ早かれ、この瞬間が来ることは分かっていた。
 それなりに心の準備はしてきた筈である。
 それが何故今なのか。

 洗面所に来る前に妻は、安らかな寝息を立てていた。久しぶりに落ち着いた呼吸である。だからその間に、朝の洗面を済ませたい。朝は混むから。混まないうちに洗面でも済ましておこう。
 
 何日もの看病でどす黒く浮腫んだ自分をつくづく眺めているときに、顔を見ているときに看護師からマイクで呼び出しが掛かった。看護婦の声を聞いた途端、妻の急変を直感した。しかし記憶する限り、個室に移され、面会謝絶の札がつけられてから、最も安定した呼吸だったはずだ。

 なのに看護師からマイクで呼び出された。
 その声の感じから、のっぴきならぬ事態が進行していることは間違いなかった。

 一瞬、来るべきものが来た、と思った。
 にも関わらず私には、緊迫した感情は湧かなかった。
 なにか他人事のような感覚すらある。

 それなのに、脚は床に吸いついたように離れない。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。