「童女トン」

ここでは百歳まで生きた母トンの生涯を小説風に書きます。小説だが体験をもとのしています。台湾がまだ日本の植民地だったころ、日本人がいかに苦労して現地に融合しようと努力したか。それでも「霧社事件」は起きた.戦後台湾に駐留した蒋介石軍関係の外省人は反日蜂起といいたがるが、そんなものじゃなかった。母の墓標として、この小説を書きあげたいと思います。
当分無料、一定期間後100円から上ゲてゆきます。
読んでください。
 


youtubeで、奈良県十津川村先の天界集落を訪ねる。深い森と谷を見下ろすように集落はある。樹木が高いことはまだ高度が低いからだろう。もう気が狂いそうだったよ、と母は、かつて住んだ台湾高地・合歓山警察官駐在所のことを話していた。

日本の天界集落とどう違うのか。今度はグーグルマップを使って一挙に台湾の高地合歓山に上る。周りは草と低木しかない。遥かかなたまで見通せる。雲海ははるか下である。こんなところに警察官駐在者駐在所があったのだ。

こんなところに、十八歳で、しかも写真見合いで嫁いだのである。よく発狂しなかったものだ。つづく

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。