小説「死ぬ準備」-20年前の風景

われわれに未来はない。しかし子供にはある。少なくとも時間だけはある。その時間を有効なものしてあげたい。そう思えば思うほど体が震えた。
出来そうもない、気がしたからだ。

少なくとも子供や女房には迷惑を掛けたくない。経済的な負担を掛けたくない。死んだら葬式はするな。親戚にも知らせることはない。余計な金を使うな。そう妻にはいってある。妻は黙っていた。
現実問題としてそんな経済的余裕はない。

たぶんそうなるだろう。でもその後で地獄が待っている。

あの嫁は葬式も出さなかった。そう噂されるだろう。都会ではそんなことはない。でも噂だけはすぐ広がる。ましていまはSNSの時代だ。誰から何を書かれるか分かったものじゃない。まだ、あのころはそこまで酷くはなかった

だから「死ぬ準備」を書いた。嫌だが尊厳死協会の会員にもなった。尊厳死協会の書架には私が書いた尊厳死宣言書がファイルされ綴じられてならんでいるだろう。そのために会費を払っている。

「死ぬ準備」は書き始めてから二十年近くなる。書く切っ掛けは妻の死だった。妻が先に死んだから私とのやり取りを思い出すこともない。

実はその前年に、私は大京大学での手術失敗から片眼を失っていた。相手はそうはいわない。成り行きだ。合併症が起きた。そうならなんで二週間おきに三回もの手術をするのだ。指導医自身手術ミスを自覚しているからではないのか。

同じころ視力を失った患者は何人もいる。入院中の患者が何となく待合室に集まってくる。みえるようになった?すこしだけ。これじゃ車の運転はむりだな。見えるだけいいじゃないか。俺なんかセンターラインが二本みえる。どれが本当のセンターラインかわからない。

手術したら治るといった。でも治らない。二回入院した。結局はダメだ。
このまま退院だ。どうやって生きて行くか。
そんなこと医者は感知しない。

手術はだれ?
分からない。

何人もいた。なぜか全身麻酔だった。気がついたらベッドに寝ていた。そんな話を私は黙って聞いていた。みな院長を頼って入院した。もと東大の有名眼科医だ。浜松から来た女性は院長に手術して貰えるまで帰れません。
ここを動きませんと泣いていた。

院長が手術するわけがない。
研修医がする。周りには助教授も講師も主任もいる。
でも中心は研修医だ。

若くて美人の台湾人看護師がいた。台湾生まれの台湾育ちである私とは話があった。彼女は私立の看護大学を卒業してそのまま大京大学病院に勤務していた。正規の看護師である。日本人名をナゴミと名乗っている。

大学では日本文学にも関心をもった。清少納言が好きだという。そのせいで和みと名付けた。やたらに日本を誉めるので台湾生まれ台湾育ちの老人にしてみればややくすぐったい。

たしかに日本人は台湾の為に頑張った。台湾だけではない。朝鮮の為にもその何倍も頑張った。台湾で儲けた金を朝鮮に使った。新橋に地下鉄が走る頃には京城にも走った。京城大学も台北大学もつくった。

最初からそうだったわけじゃない。台湾総督府にしても乃木大将が赴任するまではかなり賄賂が横行した。袖の下だ。乃木将軍は潔癖だった。だから台湾総督府も賄賂のない役所になった。

中国は、その賄賂が酷いとナゴミはいった。中国からの留学生は贅沢だ。金銭感覚がまるで違う。実は彼女も中国人で、蒋介石軍の将校として台湾に渡って来た。

テレサテンみたいだね。
彼女みたいなりたい。看護の世界で、とナゴミは笑った。

修身教科書の権化みたいな乃木希典が台湾総督に赴任してから、台湾もがらりと変わった。組織はアタマで変わる。頂点によって世の中は一変する。その点今の世界を見渡しても、自己主張ばかり強い、時には狂気の指導者しかいない。

北朝鮮がその典型だ。中国も同じだ。いまは解放軍二世の時代だ。親の七光りで贅沢が出来る。でも内心恐れている。紅衛兵時代の知人もいる。彼らは苦々しく解放軍二世を見ている。

アメリカのトランプは期待の星だったが蓋を開けてみれば、旧来の支持者を捨て身内のユダヤ人に振り回されている。みなおかしい。

ここから先は

105字
この記事のみ ¥ 100

満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。