小説「童女トン」ー3
一難去ってまた一難
警察といえば「おまわりさん」。そういわれる時代は安定した時代だ。学生運動華やかなりし頃はポリ公とよばれた。なくてはならない職業なのに。
でもうざい、面倒だと思う人もいる。
霧社事件が起きた時代はアメリカ発世界恐慌の時代である。日本も大不況だ。東北の農家では生きてゆくために娘を売った。憤慨した青年将校によって二二六事件がおきた。台湾でも鈴木商店や台湾銀行が破綻した。金が回っていない。だからせっかく切り出した樟脳の代金も原住民には入らない。
「大学は出たけれど」という映画が語るように、深刻な就職難である。今とは比較にならないくらい少ない大学卒でも就職がない。尋常小学校高等科卒では猶更ないだろう。そんな時に声が掛かった。霧社勤務の警察官にならないか。
徴兵検査は甲種合格である。体格頑健、しかも現役兵で独身だ。小銃の扱いに慣れている。即戦力になる。警察としては欲しい。ただ勤務地は反乱頻発の霧社分室管内駐在所となる。危険な場所だ。
昭和五年には「霧社事件」が起る。その後も第二霧社事件など多くの事件が起きている。霧社分室内には三里間隔で駐在所がある。二人以上警察官が勤務する。他に高砂族の補助警察官もいる。回りは鉄条網で張りめぐらされている。まるで西部劇のアラモ砦である。
ところが肝心の警察官が足りない。事件が起きても対応できない。入ってきても恐怖から続かない。あたりは山である。獣と高砂族しかいない。彼らは夜でも行動できる視力と脚力を持っている。電話で、蕃襲、蕃襲と叫びながら首を取られた若い警察官もいる。命あってのものだねだと退職する警官がでる。
好待遇の条件として、3年は勤務するという約束も守られない。所帯持ちの警察官はなおさらだ。家族を殺されたくない。事件が起きると何人かの首をとられる。並べられた首をみたら男でも逃げ出したくなる。
霧社事件とは台湾台中州の山岳地帯・霧社でおきた先住タイヤル族による反乱事件である。この事件で霧社小学校の運動会が襲撃され、婦女子を含む百三〇名が惨殺された。
満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。