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小説「死ぬ準備」順不同・読み切り版

4首謀者モーナ・ルダオ 21.11.

モーナは身長六尺の偉丈夫である。霧社一帯の実力者だ。統率力に優れている。情報力もある。日本通である。台中州警察の招待で日本を歩いている。警察も彼には一目置いていた。使える男だ。なんとかこっちに組み込みたい。でも相手は慎重である。本音を絶対に明かさない。

結果的には彼は反乱を起こした。霧社事件である。しかも首謀者だ。

周辺一帯の蕃社を束ねる実力者だから霧社分室も情報収集を怠ってはいなかった。でも、まさかの反乱である。なぜか日本人警察官が係わっていた。だれか。わからない。でもその可能性がある。

父はなぜか知っていた。

平定後もモーナの消息は消えた。生死が分からない。死んだという噂はあるが死体がでない。死んだ確証がない。誰かが匿っているのではないか。昭和恐慌期だから経済的には不安定だ。誰も本音をいわない。

あっという間に時間が経過した。私が霧社小学校三年時に予定していた辞職願を父はだした。恩給の確認もした。いつ家族ごと襲われるかもしれないという恐怖から解放された。今度は台南北港の台湾精糖勤務である。もう蕃襲におびえることはない。

間もなく太平洋戦争が始まる。あっという間に激しくなった。台湾人の中には日本が負けることに賭ける者もいた。心の何処かで日本人を嫌っていた。ここは俺たちの島だ。日本人はとっとと出て行け。憲兵も年中街中を歩いていた。頻繁に台湾人を捉まえていた。

在郷軍人会の父に二度目の召集令状が来た。同じころタダオ・ノーカンからも手紙が来た。あまり上手でない日本語で書かれていた。「むかしお世話になりました、タダオです。こんど軍属志願しました。南方戦線です。準備はできています。モーナはいません。追わないでください。私もモーナも準備できてます。武運長久を祈ります」

思えば第二霧社事件のとき、味方蕃のタウツアー族を使って夜襲をかけ何十もの首を取った。その借りを返す。首何十個の貸しがある。タウツアー蕃よ。よく憶えておけ。そんな独語を聞いたことがある。

覚悟も準備もできている。俺の首を取りたければ取りに来い。準備も覚悟もできている。そんな風にタダオ・ノーカンが呟いた。霧社小学校からトンバラ駐在所に帰る時だ。

濁水系に掛かる鉄線橋を渡って富士の断崖を思いっきり突っ走る。落石は年中ある。上目使いに走る。当たったらお終いである。いいか肩に捕まってろ。突っ走るから。怖くない。男だろ。

そういって突っ走った。そのことを思い出した。あのタダオ・ノーカンが軍属に志願した。なんで?

分からない。これも運命である。運命には従うしかない。最初の霧社事件のときも、霧社蕃の勇者が、敗戦の責任を取って自殺した。その家族が全員あと追い自殺した。お婆ちゃんと、妻と、二人の子供が巨大な樟脳の神木の高い位置にぶら下がっていた。夫を失った母や妻が、子供道連れの自殺である。なんでそこまでするのか。高砂族としての誇りのためだ。覚悟の首吊り自殺なのだ。

日本の為に働いた。日本だって基本的には彼らを差別しなかった。狩猟から農耕へ誘導した。その為の灌漑や準備もした。しかし彼らには迷惑に映ったのだろう。狩猟の方が楽しい。なのに役所は平地を用意した。水はけのいい稲作用地だ。気に入らない。狩猟民族として生きてきた。いまさら農業かよ。民族の誇りが先行した。だから事件も起きた。しかし警察は卑怯にも味方蕃を使って寝込みを襲わせた。飴と鞭である。同じ民族を戦わせた。

その日本の為になんでタダオノーカンは志願するのか?
遺体には裾が乱れないように紐で足首を縛ってあった。幾つもの枝に花が咲くように遺体がぶら下がっていた。それが誇りか?

なんの覚悟だ、何の準備だ?
脚が乱れないように足首をひもで結んであった。
それが女の美学か?まるで日本人じゃないか?

第二霧社事件では味方蕃を使ってごっそり首を取った。だれもいつ誰かにどんな理由で首を取られるか分からない。そんな緊張感の中で生きるには死ぬ覚悟をするしかない。出来れば準備もしたい。そのうえで生きる。

10年後には大東和戦争が起きる。モウナは行方不明のままである。警察も憲兵ともども見回りや航空管制で忙しくなる。光を見えなくするための黒い袋が電球の傘におちゃんと掛かっているかどうか点検する。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。