#24 規範的な専門家のマネージャーによって駆逐された変な大人

田中さん

“変な大人”は、“チャンキー”なごった煮文化のあった若者支援機関の中でしか、その存在を自身の中にも組織の中にも見出すことが出来ず、評価基準が規範的な専門家のマネージャーたちによって駆逐され流浪の民となった…。

それは、若者支援業界の視線が、若者から行政に移り変わってしまったことを意味し、就労以前の若者をサポステが切り捨てたように、“変な大人”たちもまた、切り捨てられてしまったのではないか?

行政とのパートナーシップは、それ自体はある種の必然性であり、悪いことではないが、若者→行政→若者になるはずの最後の仕様書の行間の読み込みから運用の段階で、規範的な専門家たちが、無資格者である“変な大人”を排除してしまい、視線が行政で止まってしまったことが衰退に繋がっている。

う〜ん…、なんてことをこれまでの「無風状態」で語り合ったことから僕はセンチメンタルに考えてしまいました。

例えば。“変な大人”たちは、支援機関への定着に、“愛着”という要素を加味して貢献していた人材だと思うんですよね。愛着形成ってつまりは依存じゃないですか?

専門家たちは依存を嫌いますが、“変な大人”は依存に対して自分も弱い存在として何かに依存しているから寛容なんですね(ただそれをプロとしてコントロールできないと3流支援者になってしまいますが)。

サポステが始まった当初、僕はキャリコンの人に、「石井さんのやり方は依存を生む」って怒られたことがあります。まあ、ふざけんじゃねえよって話として僕は立場的に抗えたわけですが、ここを抗えずに辞めていった支援者はけっこう多いと思う。

まあ、こういうエピソードにチャンキーじゃなくなった歴史が垣間みれるわけですが。

変な大人は、自分もよくわからないから、若者と一緒に考えたり、調べたり、悩んだりして、まさにその秘密の作戦会議に寄り添いがあったんですよね。

その際に、専門家と専門家の間を埋めるゆるいコーディネーターとしての機能を果たしていたと思うので、変な大人と専門家は共存共栄の道を探るべきだったんです。

恐らくここに、カファレンスで話した曖昧な専門性や、資格ビジネスという既得権益が絡んで来るんですが、その話はまた今度。

僕はずっと、ひきこもりの若者たちを、「親と先生しか知らない若者たち」という言い方で、一般市民の方々に理解の啓蒙をしてきましたが、「親と先生と専門家しか知らない若者たち」が支援機関にいて、そんな彼らがフリーターとして社会復帰をした企業の中の変な大人に面喰らって潰れている…、なんてことが起きているような気がしています。

そういう意味で、変な大人は予防接種的な「弱い菌」だったともいえますね。

ただ僕は、有資格者や専門家が悪いと言ってるわけではなくて、それだけでは若者の自立支援という社会とのなんらかの接続を目的とした対人援助というサービスでは、ちょっと不味いんじゃないか?って思ってるってことなんです。

                                 石井

石井さま

いつのまにか「変な大人」が我々の共通言語になっていますね。この言葉の考案者としては、それこそ変な気分ですが、問題を共有できてかなりうれしいです。

石井さんの今回の文章はだいぶ問題の核心に近づいている気がします。上の文章で「変な大人」の機能として有効なのは、

①寄り添いの作戦会議②ゆるいコーディネート

と指摘されていますね。なるほどなあ、そのとおりだ、と僕も思いました。

言い換えると、現在の専門家(具体的には臨床心理士・精神保健福祉士・キャリアカウンセラーの多く)が失っているもの、あるいは持っていないものが、まさにこの2点だということですね。

寄り添いは臨床心理士の基本的態度なんですが、ここに「作戦会議」がつき、アニメや音楽等のテーマが普通に飛び交う変な大人との空間は、微妙に変な支援になっていく。

ここが、普通の心理的支援を行なう、キャリアの浅い規範的臨床心理士と異なる点ですね(実は僕、まだまだ臨床心理士の方の中にも「変な大人」は紛れ込んでいる、と最近考えをあらため始めています。おもしろい臨床心理士をプッシュしたいですね!!)。

臨床心理が否定する「依存」を飛び越えた力が、あるいは魅惑のコミュニケーションが、ここには生まれているのです。

ゆるいコーディネートにも、アイデア豊かに他ジャンルの専門家に飛び込み接続していく「変な大人」コーディネートは、ちょっと普通のコーディネートとは違いますね。

僕は、コーディネートやソーシャルワークは「アート」でもあると思っています。

でも実は、魅惑のコミュニケーションやアート的コーディネートは、ベテラン心理士やワーカーが行なっていたこと。もっというと、あのフロイトやラカンなんかも、超変な大人だったと思いますよ。

資格の大衆化が、紋切り的な規範専門家を大量に産んでしまったと思います。

「チャンキー」も流行らせましょうね〜★

                              田中 俊英

【告知】田中と石井の「無風トーク」を開催致します!

11月14日(金)夕方から、大阪の阿倍野にある『aima Cafe』(予定)で、田中と石井の「無風トーク」を開催致します!是非、僕らのおしゃべりを聴きに来て下さい。出来れば、若者支援者からの質問に答え続けるLIVEな企画にしたいと思っています。

「変な大人」っていうのはよくわからないくせにきっとこうだろうと慈愛に満ちた勝手さで答えを提示してしまうんです。そのスローカーブが実はひきこもり経験者の若者たちに打ちやすい球だったりすのだろう。勝手な解釈のおじさんといえばマーチン・デニー。細野さんの師匠筋の方ですね。(石井)

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