#7 僕らは、いつまで「そもそも論」を続けるのか?
田中さん
この間、田中さんがエントリーした、Blogosの『「若者が弱い」ことをなぜ我々は認められないのか』の中で書いてた「まだそれをテーマに語り続けなければいけないほど、世間では若者問題の認知度は低いのか」という問いに、僕はこんなことを思いました。
シェアするココロ(バリバリ文系)は、以前ウェブ制作会社さん(バリバリ理系)にオフィスをシェアさせていただいてたんです。オフィスをシェアするって、お互いの日々の業務が丸見えなんですよね。そのとき、痛感した「なるほど」ってことがあるんです。
それはね、会議の様子が全然違うんです。
ウェブ制作会社さんたちの会議って、自分の意見をしっかりぶつけながら、何を求めているかというと、もっとも合理的で短時間で目的を達成する方法について議論してるんですよね。
端から見てると、あれ、ケンカしているのかな?なんて心配しても、誰かが言った最適解に、すっとみんなが納得して会議が終わるんです。
でも、シェアコロの会議はそんな風にはならないんですよ。「それは石井さんの考えでしょ?」みたいな痛い反論食らって、「まあ…」と言って黙っちゃう。「でも生きてくってそういうことだろ」的な青臭いこと言い出して。
いつか、理系の大学生が数学の苦手な僕にこんなことを言ったのを思い出します。「数学なんてポケモンをゲットするようなもんすよ。でも答えが曖昧な国語とかは本当に嫌ですね」。
僕らはゲットする、明確なものがないんですよ。自立って言ったって、経済的、精神的、福祉的といろいろあって。だから僕ら支援者は、いつまで「そもそも論」を繰り返しているんでしょうね。
でも、もう止めませんかって、最近強く思っているんですけど、田中さんはどう思いますか?
あ、この間の写真貼っておきますね。
石井
石井さん
「若者=弱い」をそろそろやめる?
石井さん、実は僕も、理系的なところがあって、哲学仲間の間では、徹底的に議論して合理的な結論を出すのが好きだったりするんですけど、支援者の中でそれをやるとミョーに浮いてしまうので我慢しているんですね。
まあそれはさておき、僕がBLOGOSに書いた「そもそも論」は、「いつまでたっても『若者とは』的議論が続いてしまうのは、若者が永遠のマイノリティとして位置づけられて主役にはなれないからであって、ではなぜ主役になれないかというと、それはつまり「社会の40代以上の中核的な人々はそもそも若者が嫌いなのではないか」ということを示したかったのです。
つまり、そもそも「若者は社会から嫌われるから『若者』なのであって、マイノリティとして思いやられるのは若者ではない」ということです。
ですが現実としては、いま、そうした「年齢や見た目は若者だけれども、状態として若者ではない若者」が数百万単位で存在しているらしい。
そうした数百万の群れに対して、支援者は盛んに「若者は弱い、無力、サボっているわけではない」とPRするものの、どうしても若者が弱いことを認めることができない人たちはそれが受け入れられない。
僕としては、10年も「若者の弱さ」をPRしてきてそれがなかなか広まらないのであればそろそろその方向は諦めて、いっそのこと「若者はサボってる、甘えてる。けど、甘えきってもうまくいかないほど、社会は若者に愛想を尽かしている」的な方向で攻めていこうかな、なんてひねくれた作戦も考えています。
田中★
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