#29 発達障がいがよくわからなかった時代

田中さん 

前回の田中さんの振返りを読んで、ちょっと過去を回想してみました。ゼロ年から、僕はひきこもりの若者をための宿泊型支援機関の生活寮で、寮長的な仕事をしていたんだけど。

家庭訪問チームが、ひきこもりの若者たちを全国から連れて来るわけです。その前に引継ぎの会議があるんですね。その時に、「今度来る若者はどんな感じなの?」って訊くと、「それがよくわからないんだよね」っていう答えが返ってくる。 

この「よくわからない」っていうのは、言葉のキャッチボールが出来てなくて変な球が飛んで来るとか、エピソードがちょっと「?」とか。いわゆる一般的な感覚では理解し難いものを持っているということです。

今なら、「ひょっとしたら統合失調症の安定した感じだろうか?」とか、「それはADHDっぽい動きだね」、なんていう会話になるんだろうけど、あの当時は、よくわからなかったんですよね。

特に僕のいた団体の当時のムードは、そういう専門性を疑うところがあったから、尚更なのかもしれないけど。

面白いのが、一部勉強熱心なスタッフたちがいて、発達障がいのことを知っていたんだけど、彼らは団体の中ではまだマイノリティなわけです。そういうスタッフたちが、僕のようなプリミティブな支援をすることにすごく懐疑的で、「石井さんは何もわかってない」的な陰口をよく叩かれていました。

まったくその通りで、僕らは何もわかってなかったんです。今思うと、そのよくわからない若者は、発達障がいの若者たちだったんですよね。

でも、そのわけわからない若者にとことん付き合って、バイトとか始めて、寮を出ていってたんですよね。 

最近、知識が現場の努力や工夫を奪っているという気が少しします。また、委託事業全盛のいま、そういう若者に時間かけてるとマネージャー層に苛つかれるなんてこともあるかもしれませんね。 

酔っぱらった目をした僕と、田奈高校前校長の中田先生です。田中さんと同じく戦略家で、会ったら盛り上がると思いますよ。

                                いしい

「支援のブレークスルー」

石井さま

僕の場合、発達障がいの知識を得たあとのほうが支援はうまくいきました。

若者1人ひとりの単独性に寄り添うと言いながら、どこかで「アドリブ的な出来事を通して若者は成長する」と思い込んでいたんですね。

僕の支援仕事のスタートである不登校支援において、大半はこうしたアドリブ的なアプローチが成功していたからです。

管理教育に疲れきった子どもたちの大半には有効だったんです。突発的な出来事があったほうが「支援のブレークスルー」につながったのですね。

けれども、発達障がい+その凸凹の若者(特にアスペルガー的な)たちにはアドリブ的な支援は超逆効果でした。

旅行などの引率のなかで、発達障がいではない若者から当日の予定をアドリブ的に変えてほしいという要望があり、僕もそれまでのクセで予定を変えていった時、ある種の若者が大反対をしてグループ全体から浮いてしまうといったことが13〜4年ほど前にはありました。

そうした若者がグループから「浮いた」時、それまでのやり方通り「熱く議論して」こうしたアドリブ変更を理解してもらおうと僕は思い、その通りに実行しました。「他者」とのアクシデント的コミュニケーションが、不登校の子どもたちにポジティブに働いたことを応用したのです。

が、アスペルガーの青年にはそれは逆効果でした。予定変更の意味が伝わらず、パニックに陥らせてしまったこともありました。

その謎を解くべく、たとえばシンポジウムで出会った専門化、具体的には「大阪府こころの総合健康センター」ソーシャルワーカーのSさんにいろいろ質問しました。

Sさんから発達障がいのことを詳しく教えていただき、まさに「目からウロコ」でした。

そこから僕の若者支援が変わったのです。これもある意味「支援のブレークスルー」だったと思います。★

                                 田中


    

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