#13 臨床心理士は就労支援のクロザーか引退しないキャッチャーか?

田中さん

前回話題に出た臨床心理士について、ワールドに絡めながらちょっと書いてみたいと思います。

思えば、僕らが臨床心理士と仕事をするようになったのは、2007年のサポステ開始時からで、それまでは臨床心理士に会ったこともありませんでした。委託事業10年の歴史は、臨床心理士とのコラボレーションを模索する10年のような気もします。

就労をゴール(成果)とした支援の現場に立たされた臨床心理士の葛藤というものも、もっと語られてもいいんじゃないかと思うんですけどね。

いきなりですが、野球の例えで語り出しますよ。

就労支援の場に現れる若者は、それがカッコつけだとしても「働きたい」という主訴でバッターボックスに立つわけです。

支援者は若者に向かい合いながら、いろんな球を投げて見立てを立てていくわけだけど、これまで話してきた「ワールド」っていうのは、その支援者にしか投げられない遊び玉のことだと思うわけです。

それを見事に打ち返して来る若者がいると一気に「ワールド」が開かれていく感じ。あるいは思いっきり空振りして尻餅をついた変な大人(僕ら)を見て、笑わないヤツがクスっと笑ったところから「ワールド」がはじけていく。

野球でいえば7〜8回まで支援者が緩急付けながら投げきって、見立てとして「就労はちょっと難しいよね」という時がやって来る。僕や田中さんのようなベテランは、そういう困難ケースを任される率が圧倒的に高いわけです。

野球でいうと、1〜2回で早くもノックアウトされた新人ピッチャーに代わって登板するベテランが僕ら。

一方、勝負が決定付けられる8〜9回に登板し、「働きたい」という主訴で来た若者を医療や福祉の別ルートへ無理なく案内していく。心理士の役割は、野球でいうところのストッパーとか火消し役、つまりクローザー。ワールドを開くのではなく閉じるのが役割なんじゃないかなと。

それは僕ら支援者ができないことをお願いしていることだったり(できるけど心理士さんがした方がスムースなこと)、委託事業の仕様書に臨床心理士を最低何日置く的な設計が担わせている役割だと思うんだよね。

田中さんのいう「ものすごく大事なものを喪失してしまった」というのは、こういう背景があるんじゃないかな。

写真は、この間の週末に僕の地元福生で行われたロックフェスです。はめ外して大変なことになりました…(T~T)

                                                      石井

石井さま

こんにちは、いつまでも暑いですね〜。

臨床心理士トークが続いてますが、今回もいきなり核心から書くと、「就労をゴール(成果)とした支援の現場に立たされた臨床心理士の葛藤というものも、もっと語られてもいいんじゃないかと思うんですけどね」という石井さんのフレーズがポイントになると思います。

そう、臨床心理士は、さまざまな心理療法を勉強している人たちで、それに心理検査の諸法の学習を加えたとしても、「就労」はまったくもって門外漢なわけです。

これがそもそもの問題でして、彼女ら彼ら臨床心理士の本音では、おそらく学校現場や教育センターの不登校支援も副次的なはず。

そうした「社会適応」支援は、心理臨床とは根元的にはフェーズが違うんですね。

古くはフロイトが「終わりなき臨床」といったように、社会適応しているかどうかは問題ではなく、自らの問題に直面し続けるクライエントを、その立場に寄り添いながら、ずっと伴走支援するというのが、心理臨床のそもそもの原理だと僕は思っています。

問題は、専門資格(臨床心理士)育成の現場では「終わりなき臨床」を模索しつつ、実際の仕事の現場では、まさに「終わり」を求められること。

終わり、つまりは就労や自立を求められるということです。

石井さんを真似して野球の比喩で言うと、臨床心理士は実はクローザーでもなくて、「引退しないキャッチャー」のようなものだと僕は思うんですね。

そう、サリンジャーが『ライ麦畑のキャッチャー』の比喩でいったように、クライエントがライ麦畑の崖から落ちるのをひたすらカバーする、ライ麦畑のキャッチャーです。

たぶんポイントは、臨床心理士の「理想」と、臨床心理士の「働く現場」が乖離しきっていることを初めから伝える必要があるのに微妙に中途半端な「教育」にあると思います。

臨床心理士が医療ヒエラルキーに割り切って早く入ってしまえばこの問題もなくなるのに、と僕は思っています。

ありゃ、今回も過激だったかしら。★

                                田中


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