#11 支援者の当事者性

田中さん

僕も田中さんも、自己開示の多い支援者だと思います。それは、ある意味で自分の生き様をぶつけていくような支援スタイルですよね。だけど、前回書いたような、親の離婚だとか再婚だとかについての当事者性の部分を、僕は支援者として開示しないようにしています。

ひきこもってる若者の中には、その要因に親の離婚や不仲があったりするじゃないですか。そこで「俺の親も離婚しててさ」とは絶対に言いたくないんです。

「俺の親も離婚しててさ」=「だからおまえの気持ちがよくわかる」、この構図に持ち込みたくないんだよね。なんだろ…、同じ経験しているから「仲間」って、そんなもんじゃないだろうと思うし、彼らにとって、それは土足でプラベート空間に入り込まれることというか。

でもってその「親の離婚」というのは実は問題の核心じゃなくて、ある種のダメな自分を防御する「隠れ蓑」だったりするわけで。その隠れ蓑に同調して、そこを乗り越えた自分としてそこにいても、どうしようもない。

(勝手なこと言いますが)田中さんのように、ダメな自分に同調していかないと意味がないと思うんだよね。でも僕は、そこはそんなに上手じゃない。上手じゃないくせに隠れ蓑に同調することがとてもその後の支援を考えるとリスキーに感じちゃう。

むしろ「なんだかよくわからないけど大変なんだね」の方が展開していけるというか。

でもそれが、高校生への支援となるとまた別で。割と僕はカミングアウトしていきます。そうすると生徒たちの目に「この人もそうなんだ」という、仲間感が一瞬現れます。

これは「親の離婚」が隠れ蓑ではなく、マジでものすごいインパクトで彼らを苦しめているからです。

ひきこもりの若者も、それは“マジでものすごいインパクト”を持ったライフイベントでしょうが、時間が経ち問題の核心がそこじゃなくなってきている人と、それはが今核心の人への対応の違いとして、最近気付いたことです。

って、前回に続いて離婚ネタでちょっと重くてすみませんw。団地に咲いてた紫陽花で中和。

                               石井

石井さま

確かに僕も石井さんも自己開示系ですよね。

そういえば15年前にものすごく落ち込むことが僕にはあって(まあ離婚なんですが)、バリバリ鬱の僕を癒してくれたのが、ひきこもり若者たちでした。

悩みの具体的エピソードはもちろん若者たちには言わないけど、「ああ、いま僕は超鬱だよ!」とか、自己開示しながらもなぜか僕の心が楽になるという不思議な時間を体験したのでした。

高校生への僕の鉄板自己開示トークが例の「自意識過剰」ネタで、あれは一部の高校生とは異常にシンクロします。

自意識過剰という言葉を使わなくても、エヴァンゲリオン等のアニメネタからそこに移動していけば、支援・被支援関係を超えた不思議なワールドがそこには出現する。

ただ、このテーマにピンとこない生徒(7割くらい)はちんぷんかんぷんで、微妙な空気が流れますが、そんな時は「自由」ネタを展開します。具体的には今回は割愛ですが、「本当の自由」に到達するため模索する大人が目の前にいることを、高校生に見せつけてやるのです。

けど、石井さんの、親の離婚話題を契機にした「仲間感」醸成は強力だと思いますね。 

そのテーマが現在進行系で自分の中で解決/言語化できないまま日常を送るハイティーンにとって、石井さんのようなアニキは頼もしいはず。そして、石井さんの存在自体が、「究極の安心感」を彼女ら彼らに与えていると思います。ナイス、アニキ‼︎★

                                田中      

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