#41 「若者フォビア」と高校野球
田中さん
田中さんが、若者フォビア(嫌い)とか言い出してから、いろいろ考えています。
この間、とあるセミナーでご一緒した、出稼ぎ外国人の主にその子どもたちを研究・支援していらっしゃる大学の先生が、こんなことをおっしゃってたんですよ。
一部のできる外国人の大学生だけを大学やマスコミは取り上げるけど、あれはやめてほしい。「やればできる」っていう大人側のメリトクラシーの押しつけで、その他の外国人を「やってないだけ」という納得感を作っている、と。
うんうん、なんかわかるなあと思いました。
また、横浜に外国にルーツを持つ方々を支援していらっしゃる方々が多くて、ぼくも仲間がいますけど、彼らもこんなことをよく言うんです。
外国にルーツのある子たちの中にはものすごい能力の高い子たちがいるんですよ、と持ち上げつつ、でも、その子をベンチマークにしちゃうのはちょっときついんですけどね、と。
ぼくら大人たちは、できのいい若者が大好きなんですよ。もっと言えば、大人がイメージする若者像を具現化している若者たちが大好きなんですよ。
ぼくはその象徴が、汗を流し諦めずに一塁にヘッドスライディングする高校野球なのかな、と今朝ふと思って。
若者フォビアンな大人たちは、甲子園球場のグラウンドに立つ高校生たちをベンチマークに、そうじゃない若者たちをフォビアしてるんじゃないかな?
でも、あの子たちはみんな私立の高校のお金のかかるスポーツに取り組む生徒たちですよね(ちなみに今年の夏の甲子園は49校中公立は13校)。その子たちをベンチマークにしちゃうのはちょっときつい、と。
ってのがぼくの若者フォビアンたちの見方ですが、どうかな?
我が家についに店員の口車に乗ってiPad Mini が来ましたよ。
いしい
石井さま
確かに「できる若者」を大人は好きですね。その象徴が高校球児っていうのも賛成。
ほかにどんなプロトタイプがあるだろう?
高校で友人たちと励ましながらクラブや受験勉強をする生徒たちとか、大学で勉強やサークルや就職活動や恋愛に挫折しながらも前を向く学生とか、新入社員で入った会社でたくさんの壁にぶち当たりながらも少しずつ成長する若者とか。
少しアウトサイダー系の若者像だったら、80年代は、就職せずに仲間たちとバンドやアート活動を目指す若者も入るかもしれませんね。
90年代はカート・コバーンみたいなグランジ系の青春かな。ゼロ年代はなんだろ、やはりオタク道を極めつつしっかりサラリーマンする人たちか「絶望の国の幸福な若者たち」(古市憲寿氏)でしょうか。
アウトサイダー系が「できる」かどうかはわからないものの、いつか成功を「夢」みていたわけです。そして結果はどれも「燃焼」し、その一部は結果も出した。
つまりはそれが「青春」なんでしょうね。
で、その「青春」像に乗らず、本当に「弱者」になってしまった若者を、いまの大人(つまり80年代90年代に「青春」としての若者が当たり前だった、当時の若者達)は受け入れることができない。
それを僕は「若者フォビア」と名づけている。
このあたりがこのテーマの「底」だと思うんですが、どう思います? 石井さんもやっぱり「青春」が好き?★
田中
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