#107 勘違いは文化資本の最大の賜物。その勘違いないと自分の人生がはじまらない。

石井さま

「相談したけど何も変わらなかった」という若者からの発言があった時、僕は、その主語を「若者」あるいは「高校生」と捉えたのでした。

石井さんに話したけど自分は何も変わらなかった。その虚しさを抱えて生きるしかないんだなあ、みたいに、その虚しい主語の主体は若者だと僕は解釈したのでした。

前回の石井さんの謎解きにあるように、この「何も変わらない」主語は、実は、主として保護者でした。

確かに、そう言われると、高校生たちはいつもそんな感じで愚痴ってますね。僕もはるか昔の高校時代、そう愚痴ってました。

変わらないのは、親。そして、大人。

そのリジッドな(堅い)大人のあり方を是正することは不可能で、高校生の僕は、とにかくそこから脱出するしかない、実家から飛び出るしかないんだと毎日思っていました。

それなのに、ですよ。「相談しても変わらない」とぼやく、その主語を僕は若者自身と捉えてしまったんですよねえ。

これが、「おじさんになる」ということなのかなあ。

田中俊英

 ★

田中さん

いやいや、ぼくの言葉足らずだっただけですってばよ!気にせんといてや〜。まあ、でもぼくらは「おじさん」になりましたね〜。ぼくなんかすっかりハゲて来てるしさ苦笑。

ぼくらはどんどん歳を取っていくのに、ぼくらのクライエントは、このままいくと永遠にティーンエイジャーですね。うちの一番下がこの春に高校を卒業するから、ついに自分より年下の子たちがクライエントですよ。

ぼくは18歳で継父と取っ組み合いの喧嘩をして家を飛び出しました。スポーツバッグみたいなの2つしか荷物はなく、友人のフラついたチャリの後ろでそのバッグを背負って、「ついに俺は自由だ!」なんて夜空を見上げましたね。

あの時の自分のエネルギーは、それこそロックンロールの衝動そのもので、ブルース・スプリングスティーンにでもなったような気分でしたし、佐野元春のような窓辺にもたれたような気分でもありました。

あの時のぼくの家を飛び出すというエネルギーは、ぼくの憧れのヒーローたちに近づくための儀式であり、自分だって同じようになれるんじゃないか?という一世一代の勘違いだったんだと思います。

勘違いっていうのは文化資本の最大の賜物ではないでしょうか?

文化資本がないとさ、勘違いする土台もないんだよ、多分。それはさ、家を飛び出すっていうカタパルトがないんだろうなって思うんだ。

いしい



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