#104 「絶対的な孤独」を校内キャラの裏に宿す高校生たちとぼくらはどう向き合えるのか?

石井さま

前回の石井さんの文章にあった「校内で都合の良いキャラ設定」というのは印象的ですね。その都合よいキャラの範囲内で暴走し、自分の役割が終わったと判断したら、そうした空気を読んでおとなしくなる。

また、面談や個別トークで「本当は◯◯は嫌い」的発言は日常的であり、表面上は嫌いだと見破られないよう賑やかなキャラが本音を覆う。そんな感じで日々の学校生活を送っていると、そりゃあ疲れるし場合によっては不登校にもなるよと思います。

都合いいキャラの奥の奥に隠れたその子の絶対的孤独を引き出すのが僕はとても好きです。最近の僕の保護者面談中心の動きからするとそうした瞬間とはなかなか出会えないんだけど、それでもやはりその絶対的孤独に出会える時はあります。

それは、生徒との一対一トークの中で生じるんだけど、いま振り返ると、僕も同じ地平で愚痴や弱音を吐いている時が多い。

そんな僕の弱音にやさしく寄り添うようにして、絶対的孤独の生徒たちは、なにかのアニメキャラのセリフを引用したりしつつ、日々の寂しさを漏らす。なにかのアニメキャラの物真似をしつつ、そのアニメキャラはそこまで孤独じゃないだろうと僕が訝るほど、キャラの孤独を演出して。

その時の「キャラ」は、自分が演出する「校内キャラ」でもなくアニメキャラでもなく、その生徒さん自身の魂の叫びだったりします。

田中俊英

田中さん

ぼくは、ひきこもりの子供をもつ保護者向けのセミナーを担当することが多いんだけど。セミナーの中で、家での子供の様子だけで、子供を見立ててしまうと大きな間違いを犯しますよ、子供(人)は、環境で大きく変わるんです、と注意しています。

特に、ひきこもりの若者たちは親への復讐心や申し訳なさで、例えば「絶対笑わないキャラ」などで固定化しています。その笑わない子供を見て「この子は病気ではないか?」と考えるのは違いますよ、キャラに振り回されちゃダメですよ、ということです。

同じように集団の中で楽しそうにしているからあの子は大丈夫、それも違うわけですよね。学校では、青春を謳歌するリア充キャラを作ってるだけかもしれない。会話を聞いていると何らかの役割を担ったポジション・トークだったりする。

生徒は学校の中にいるから生徒なのであって、家に帰ったら息子や娘というキャラに戻る。「!」今、「戻る」と書いて、ハッとしたけど“素の自分に戻れる場所”がない子たちがいますよね。田中さんがよく言う、「家が安心で安全な居場所じゃない子たち」がそうだし、学校がそうじゃない生徒も多い。

“素の自分に戻れる場所”をみんなが求めていて、Twitterに裏アカを作るんだろうね。そして、素の自分がどんなだったかを見失っている生徒・若者も多いような気がする。

田中さんの言う「絶対的孤独を引き出す」というのは、“素の自分に戻れる場所”を一時的に提供できているんだろうね。それどうやってるの?

いしい


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