#45 居場所は、「孵卵器」か永遠のモラトリアムか?

田中さん

ぼくの若者支援デビューが、フリースペースだって知ってました? ぼくはそこを3年くらい担当しました。

自分で言うのもなんですが、ぼくは一芸に秀でてるタイプの支援者なので、フリースペース向きのスタッフだと思います(^_^)v

確かサポステ等の委託が入り始め、外回りが忙しくなってぼくは抜けたんだと思います。

(この委託事業が入り出し、団体が分散化していく過程も今度書いてみたいのですが、今回は置いときます)

そんなぼくは、一回りしてまた去年から居場所で週一の相談員をしています。

この10年ちょっとで、フリースペースと呼ばれていたサービスが、いつの間にか「居場所」と呼ばれるようになりましたね。

「フリー」というのは、いろいろな意味で、あの空間を説明するのにしっくりくる言葉なので、ぼくは大好きなんですけど、ここでは「居場所」として書き進めます。

居場所には、2つの前提があるような気がしてて。この2つの異なる前提が、昔のひきこもりを「押す」のか「待つ」のか的な思想の相違が火花を散らしているように感じています。

ひとつは、永遠のモラトリアム空間のようでいながら、永遠ではなく、次のステージ、つまり就労や福祉への移動を前提とした、いわばインキュベーター(孵卵器)なんだという考え方。

ふたつめは、もう永遠のモラトリアムでもいいよね、だって働けないんだし、手帳取るほどでもないんだしという考え方。

前者は比較的理解と説明がしやすい構図で、言い換えると行政が予算立てしやすい。次のステージに移行することで、社会的投資が成立するわけです。

しかし、それによって歴然としてようが漠然としてようが成果が求められる。これがなんらかの緊張を生み、居場所の居心地の質を左右するんですね。

ちなみにぼくは、フリースペースが居場所になったのは、予算立ての際に、「フリー」ってワードが邪魔になって「居場所」にしたというのを仮説としています。

後者は、制度の隙間を埋める重要な役割を担っているわけだけど、ここまでで話した若者フォビアが発動されやすい事象といえると思います。

とても大切な活動だけど理解を得にくいことと、当事者たちの変化のなさが持続可能性を下げているかもしれません。

そして、ここでは両者で働く者たちのタイプがまったく異なる点に注目したい感じです。

異なるがゆえに交わりにくくなってしまう、ぼくら支援者の性癖的な問題に踏み込めたら面白いと思います。

とりあえず、どうでしょう?

石井様

孵卵器か永遠のモラトリアムか、たしかにその対立概念はおもしろいですね。

孵卵器は行政予算がつきやすく(サポステ等)、言い換えると「就労実績」が予算元から求められるという難しさがある。

永遠のモラトリアムは、いつまでモラトリアムしつづけるのか、言い換えれば例の「いつまで待ち続ければいいのか」という不登校支援の時代から指摘されてきた課題がある。

現在は、孵卵器視点が少し不利になっていると思いますね。

具体的な就労支援で結果を出すことを求められているため、要支援若者の中核群である「ほやほやのポストひきこもり」あるいは「ニートどまんなか」の若者たちは就労実績をなかなか残せない。

残せないどころかまたひきこもりに戻った(外出型あるいは準ひきこもりでしょうが)というケースが数多いと思います。

「結果」が出せるのは、ニート全体の1割程度の若者だけ。ただ未就労若者は数が多いので、たとえ1割でも若者支援施設が稼働しているようにみえるんですね。

そうした流れの中、昔からある永遠のモラトリアム視点がまた力を得ているように思います。

これは、「子どもの自己決定」等の理論的支柱があるためブレがない。が、「いつまでモラトリアムでいいのか、待てばいいのか」にはやはり答えは出ていないと思います。

僕はいま、「若者支援2.0」の時代に入ったと思います。上の2派の議論も交えつつ、ここ10年の業界内のさまざまな経験と知見をこの際統合すればどうか、と思うのです。

それは、就労支援の実践(孵卵器派)、「子どもの権利」議論の展開(永遠モラトリアム派)に加えて、「発達障がい」議論の発生と現状、貧困対策の中の子ども若者支援実践、「ピア(当事者)グループ」の新展開、「セクシュアルマイノリティ支援」の視点、等の力と限界等です。

それぞれの良い点悪い点を言語化し、統合し、いっそのことマニュアルや一覧表でもつくれば、この議論の結節点がやっと見えてくると思います。

孵卵器かモラトリアムかの二項対立を乗り越えて、このチャンスに、「若者支援2.0」のステージに進みたいのです。★

昨夜盛り上がった無風トーク後の疲れたおっさんたち。

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