#47 「ひきこもり当事者」とは?
石井さま
内閣府の研修講師が先月末にあったり、「ぴっかりカフェ」のクラウドファンディングやオープニングがあったりと(あ、その前に「無風トーク」@aimaカフェもありました!!)、ここ10日ばかりはお互いたいへんでしたね。
特に石井さんは、facebookを見る限りでは、NPOパノラマやぴっかりカフェの準備もしながら種々の講演活動もこなすなど、めちゃくちゃお忙しいみたいですね!!
そこで今回の「無風状態」は、居場所議論は少し閑話休題にして、いわば「旬」の話題で息抜きしようと思います。
それは、「ひきこもり当事者」とは誰か、あるいは「ひきこもり当事者は語れるか」という問題について、石井さんはどう考えるか聞いてみたいということです。
僕の考えは、この「Yahoo!ニュース個人」に綴ってみました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20141202-00041158/
(「ひきこもり問題は『当事者2.0』の時代に」)
一言でいうと、「自分は『ひきこもり』であると名乗れるのはひきこもり問題のど真ん中から少し通り過ぎたポストひきこもり(ひきこもり経験者)であって、真のひきこもり当事者は自分がひきこもりであることを名乗ることは難しい」ということです。
それが前提としてあるんだけども、現在、ひきこもりの高齢化が進むなか、ひきこもり経験者たちの多くが自分たちの人生を語れる時代がやってきた。
それに加えて、女性のひきこもりやセクシュアルマイノリティのひきこもり、つまりは男性ひきこもりの影に隠れていた「潜在的」ひきこもりの方々も名乗る状況になってきている。
こうした状況を僕は、「ひきこもり2.0」の状況と名づけてもいいのでは? と思う、ということをYahoo!ニュースに書いているのです。
石井さんは確か、若者の「共同生活」や「就労」の支援からキャリアをスタートさせたと思いますが、そんな石井さんから見て、こんな議論はどう映ります?★
田中俊英
田中さん
怒涛の11月が終わり、おかげさまでクラウドファンディングがファーストチャレンジに成功したせいもあって、少しアパシー状態でした…。
多分、田中さんの影響もあって、このことはぼくなりにずっと考えてて、こんなことをFacebookに投稿したんです。
支援者的視点に立つと、語れる当事者と、語れない当事者では支援アプローチが全然異なるわけです。そこから思うことは、語れる当事者は、語れない当事者の代弁者ではないのではないか?
まあ、だから田中さんと同意見です。
そして、語れる人が出て来て、自らをひきこもりだと宣言することでアイデンテティーが生じる。
そうするとさ、そこにメッセージが加わることで、もう少し広義の意味を「ひきこもり」という言葉は内包し始めるんだと思うんだよね。
しかし、内包されたくない人というか、ここを括られちゃうと、バツの悪い人たちが出てくるんじゃないかと思うわけ。
それが以下のぼくなりの警鐘なんだよね。
だから、語る人は無理に全体を引き受けようとせず、あくまでも自分語りをするべきで、聴き手もそのような聴き方をするべきだと思う。
これは、語ることを否定しているんじゃなく、語る人が過度に引き受けないでほしいというメッセージね。
基本、やるからには100%で頑張りたい人たちが多いから、主語がどうしても張り切って「ぼくら」や「わたしたち」になりがちになる。
そうすると、いろいろな方面で生き辛さを助長するんじゃないかと思うんだよね。
そう考えると、田中さんが言ってる「ひきこもり2.0」っていうのはさ、ぼく、わたしが、ぼくら、わたしたちになることなのかなって。
いしい
赤い電車がいっぱいです@金沢八景
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