#102「大人オーディション」にあなたは恐怖を感じているか?

田中さん

年末に田奈高校元校長の中田正敏さんがこんなことを言っていました。

「ある高校に行ったら、生徒がこの人なら言っても大丈夫かなって感じで近づいてきて、「うちの校則おかしいんですよ、セーターにラインが一本ならいいけど2本だと校則違反なんです」って言って来たから、こっちも「くっだらねえ〜」って言ったら「そうですよねえ〜」なんて言って…」

ブラック校則の話がしたいんじゃなくって、生徒が「この人なら大丈夫」だと決める嗅覚の鋭敏さというか、身を守る本能的な審美眼のようなものって、大人のぼくは怖いんですよ。

多くの視察を受け入れてきて感じるのは、この怖さを感じられない鈍感な人たちっているよなってこと。生徒たちの方が大人扱いの名人だったりするから笑顔であしらわれていることに気づかない。あの心のガードが上っていることに気づいて、話題変えたり距離取れないとダメなんだよね。

毎年、「ぴっかりカフェ」では新1年生の全クラスに個別でオリエンテーションをやるんだけど、300万円の助成金獲得のためのプレゼンテーションよりも緊張するんだよね。ぼくは彼ら彼女らの「大人オーディション」に合格できるのだろうかって、距離も近いし怖いんだよね。

この人なら大丈夫、合格!っていう「大人オーディション」にパスすることが校内居場所カフェ・スタッフの第一条件で、ここって人材育成する部分ではなくて、ある種の採用基準だと思うけど、これは採用者の嗅覚だよね。

そいつが仕事ができるかどうかじゃなく、生徒が支援をさせてくれるかくれないかだから。この辺の「怖さ」っていう部分は、生徒たちへのリスペクトから来るのかなあ。

いしい

石井さま

「怖さを感じられない鈍感な人たち」というのが「大人」の定義のように思えますが、そんな身もふたもないことは置いといて、「大人オーディション」は僕もよく感じます。

けれども、実際に居場所カフェにスタッフとして入ってしまうとそんな意識はあっさり飛んでしまって、僕の中のホールデン・コールフィールドやシーモア・グラス(いずれもJ.D.サリンジャーの小説の主人公。前者は『ライ麦畑で捕まえて』、後者は「バナナフィッシュにうってつけの日」)があっという間に顔を出し、あのひねくれた思春期時代に戻ってしまいます。

その時の僕はすごく楽で、飾らずに「世の中のインチキ」をディスることができて、たいへん居心地がいい。逆に、居場所カフェの高校生たちのほうが大人たちに気を遣っていて、たいしたもんだなあといつも感心します。

前回までに書いた「ロック魂」よりはむしろ、このサリンジャー的ライ麦スピリットのほうがむしろ僕は重要だと思っていて、いやあ、これは歳をとっても意外に衰えませんね!

まあ、ロックもサリンジャーも通過しなかった支援者+ボランティア希望者の方も多数いらっしゃるでしょうから、僕がいつもそうした人たち(支援やボランティアしたい人たち)に言っているのは、

「たぶん忘れているだろうみなさんの10代の頃を細かく思い出してもらって、そこでのくやしさや腹立たしさや寂しさとじっくり向き合ってみてください」

ということです。これを真面目に行なえる人は居場所カフェスタッフは大丈夫。けれども、一般社会人としてはビミョー(^^)

これができる人が、つまりは「変な大人」なんですよね。

田中俊英

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