#107 相談したけど何も変わらなかった…

石井さま

石井さんとはほとんどの局面で意見が合うのですが、前回のこの表現は僕にとってはなかなか考えさせられました。

「ぼくが言われて一番きつい言葉は『相談したけど何も変わらなかった』です。結局ぼくらが直接介入して解決できることって、彼ら彼女らの人生においてはすごく限定的じゃないですか?その事実をどこかで隠しながら、今まで出会ってきた大人とは一味違う大人として居ようとしてしまう狡猾な自分が居るんですよね。 そういった意味でぼくは、一時的には『無防備』になれていないのかもしれません」

なんというか、僕は、「何も変わらなかった」と言われることさえ少ないというか、僕のクライエントは、「よりよき変革」を意識的に求めて僕の面接に誰もやって来ないんですね。 僕の面接に、彼女ら彼らは、なんとなくというか、「誰かを求めて」、ただそれだけでやってくる場合が多い。

だから、僕との面接が終わったあとは、ほとんどの場合、「またね」あるいは「また雑談しようね〜」みたいな感じで別れていきます。 これが保護者の場合はそんなに軽くはないもののニュアンスは似ており、「次回はまたおかあさんの愚痴を聞きますね、よろしく〜」みたいな感じで別れます。

つまりは、僕との面接は、1回1回はそれほど重くない。 けれども半年も続けているうちに、それはまるでドラッグのように、あるいはロックミュージックのように、「それなしでは物足りないもの」となっていくみたいです。

そんな、軽くて重くて反覆性のあるものが僕の面談支援なんですね。存在の耐えられない軽さ、というか、耐えられるけれども重いコミュニケーションというか。

田中俊英

田中さん

こんにちは。田中さん、ナイスな誤解だと思います。この誤解を解きほぐすことは、ぼくらが普段している高校生や若者たちとの営みを解きほぐすことになるだろうと思います。でも、上手く書けるかな?

ぼくが書いた、「相談したけど何も変わらなかった」は、「相談したけど(うちのママは)何も変わらなかった」という意味です。ママがパパでも継父でもいいんだけど、結局家庭内のDVを含むゴタゴタに対して、(特に学校在学中は)ぼくは役に立てることがあまりありません。

生徒のガス抜きにはなったりはできても、帰る場所である家は何も変わらず、家事労働を強制されたり、バイトの給料を搾取され、存在そのものを否定され続けている。

学校と情報共有しながら、時にはケースワーカーを呼んでケースカンファレンスを開いても、変わらないものは変わらないし、生活保護につながっていなければ手の出しようがない。あとは、親の人生から切り離せる年齢になるまで待つしかないみたいな。

その“待ち”の時間に、ぼくやボランティアさんたちのような、安心して心を許せて、すべてを肯定してくれるような大人に出会えたことが、生き永らえるための糧になってくれるのではないかと願っています。

ちなみに、「相談したけど何も変わらなかった」というのは、直接言われることはなく、先生から間接的に聞くことがたまにある感じです。そして、多くは相談をフェードアウトしていく「無言」の中に含まれているんだとぼくは思っています。

そしてぼくの面談(パノラマスタッフの小川さんとほぼ2人で行う)は、「君のことをちゃんと知っている大人」になることであり、知った後も、知る前と変わらずに受け止め続け、働きかけ続けることがソーシャルワークだと思っていますが、それだけじゃ「何も変わらない」があるんですよ。

いしい


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