#8 日本の中核的な人々

田中さん

田中さんが理系的っていうのはなんかわかるなあw。確か、僕が酔っぱらって東京駅のオイスターバーで田中さんとケンカしちゃったことがあったけど、それも田中さんの合理性に割り切れない思いがしちゃってだったような気が…。あの時は酔っててごめんなさい。

前回の返信にあった、「社会の40代以上の中核的な人々はそもそも若者が嫌いなのではないか」の中核的な人々ってどういう人たちなんだろう? ここ、もうちょい炙りが足りないエイヒレみたいなので炙って焦げ目つけて欲しいな。

ていうのもね。僕はバイターンをやってたり、前職のNPOで企業開拓をしたときも、おじさんたちは若者のことを憂いていて、可愛がりたいというか、お節介を焼きたいんだな、でもその機会がないだけだったんだな、っていう手応えを持ってるんです。

これは僕にとって、地域に甘えてもいいんだっていうかけがえのないない経験とし僕の支えになってるんですよね。

ただ、やっぱ“発掘した感”が半端ないのも確かで、僕の出会ってきたおじさんたちは、たぶんマイノリティで、きっと田中さんの言ってる中核的な人々がマジョリティなのかなと。

その上で、どう中核的人々を攻略していくか考えたいのです。なので、もうちょっと中まで火が通るように炙って下さいませ。

そちら台風はどうですか?東京は雨はそうでもないけど、風が凄いですよ〜、ではお気を付けて! 

                                 石井

石井さま

「嫉妬とルサンチマン」

今回の無風状態、僕は香川県への帰省JRのなかで書いてます。帰省中の子どもたちがやかましい、いや、とても元気です〜。

中核的な人々とは、単に「ほとんどの大人」「大多数の大人」を指し、社会で普通に出会う人々の大多数を指します。

それらの人々は表面的には若者問題を心配したり、やさしい言葉で表現していますが、僕が先回りして「正直言って僕(田中)も、今の若者は甘えてると思うんですよね〜。ただしそれは4割程度で、6割は社会情勢が決定していると思いますけど〜」なんて語ると、それらほとんどの大人は、だいたいこう言います。

「実は、私も(ワシも・俺も・僕も・アタシも……)、若い子は甘えてると思うよ。やっぱ、働かないとね。当然学校も行って!!」と“本音”を語ります。僕は、彼ら彼女らに合わせて「ですよね〜」と続けるわけですが、本心では「やっぱ、この人もかあ」と感心しています。

この本音の部分(「やっぱ働かないと」)には、2つの意味が含まれていると思います。それは、①規範(働くべき)と、②嫉妬の2つです。

最初の①はその通りとして、②は、「自分(ほとんどの大人)は、毎日大変な思いをして働いてるんだから、働かずに過ごすなんて許されない(うらやましい)」というよくある感覚です。

また、この2つの本音をカモフラージュしている一見理解ある語り(「まあ働かなくてもいいという生き方もあるよ」的)は、それが徹底的に自らの価値の掘り下げをしていない場合、いわゆる「ルサンチマン」として機能していると思います。

働くということを「ダメなこと」として価値転倒させ、働かないことを正当化するという発想ですね(本音の「働く=善」は揺るがない)。だから世間のメインストリームから外れた若者のなかで、こうした一見理解あるが実はルサンチマン(価値転倒させて本音をごまかす「大人」の言い方)にはものすごく反発する人がいます。若いころの僕がそうでした。

しまった、ちょっと長くなってしまった〜★

瀬戸大橋からの写真、前の席の少年が泣ける〜

                                田中

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