♯46 居場所の「就労臭」という敷居
石井さま
どうも前回の僕の議論は的を外したというか、先走りすぎたみたいですね。スミマセン。
若者支援は「孵卵器」か「永遠のモラトリアム」かに話を戻すと、この頃の僕は、それはモラトリアムでありつつ孵卵器になったと思っています。
それは、急いで答えを出す必要はないけれども、できるだけ「次」に向けた動きをするジャンルでもある。
つまりはそれは「福祉」のように、急ぐ必要はないんだけれども、「自立」という目標を立てるものであるということですね。
実際、若者支援の多くは、平均3年はかかると僕は思います。国が求めるような、半年等の短い期間では難しいんですよね。
それが一般就労だろうが障害者就労だろうが、ひきこもり状態を抜けて自分の特徴を知り(得意不得意や障害の受容)その枠の中で社会参加していくのは、とても半年では足りない。
けれども、3年かけるとそれは可能になる。そのように、支援の方向性の確定に一定の時間が必要である、というのが、僕が考える若者支援なのです。
だからこれって、もはや「福祉」の領域なのではって思うんですね。あ、でも、こんな感じで「自立」概念の確定について格闘することが「孵卵器」派なのかもしれませんね。
逆に、半年とか3年とかそもそも考えないのが永遠のモラトリアム派なのかもね。★
田中
田中さん
居場所の中は様々な層の若者たちが渾然一体となっていて、もうかれこれ5年来ている若者と、半年くらいでアルバイトをはじめる若者とがごちゃまぜである。
これはぼくが書いたんだけど、この文章の間違い探しというか違和感に自分が言いたいことがあったんだという初期衝動があります。
①もうかれこれ5年来ている若者が多数派の居場所=永遠のモラトリアム空間には、半年でアルバイトをはじめられるような若者は居着かない。
逆に、②半年で就労が決定しそうな若者が多数派な居場所=就労インキュベーター(孵卵器)には、永遠のモラトリアムを求める若者は居着かない。
居着かない理由は居心地の問題で、居場所の居心地を司っているものは、自覚的か無自覚的かは関係なく、スタッフが発する「就労臭」なんです。ぼくが語ってみたかったことのひとつは、この「就労臭」です。
それは、スタッフのファッションだったり発言だったり、居場所に置いてある本やパソコンのブックマーク、カリキュラムの内容に反映されていきます。ここを明確なコンセプトを持って場をプロデュースしていくことがすごく大事だと思うんです。
でもって、①にも②にも居場所のコンセプトがあって、ベテラン・スタッフのきめ細かいプロデュースがあるわけです。その際に行っているのが、実は「就労臭」のコントロールなんじゃないかと思うんです。
永遠のモラトリアム空間である居場所からは「就労臭」が脱臭されていますが、それは無法地帯ではなく、「就労の促しはしない」という居場所の敷居を上げないルールがあったりします。
大前提として「居場所は来所する若者ニーズによって簡単に支配される」ものであるということ。このニーズが実施者のミッションや使用書などの事情から、何らかのゴールを設定している居場所は、来所者のタイプを一定程度選別する必要が出てくる。
その選別=排除となる点に、永遠のモラトリアム派たちは、孵卵器タイプに常に怒りを感じてて、ぼくはたまにその怒りの矛先になるわけだけど(苦笑)。
はじめに①と②と分けたように、永遠のモラトリアム空間にしている居場所が居心地悪い若者もいるわけで、また別の排除を生んでいる一面がある。違うタイプの若者たち同士は非常に同居しにくいんだから、否定し合わず、どっちもあるべきだと思うんです。
もうちょい、まったりこの話を続けたいですね。
いしい
この間の「無風トーク」は、なかなかお客さんの満足感が高かったようです。奈良で宿泊型支援をされているNPO法人自然流自立塾NOLAの佐藤さんから写真を拝借しました。
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