#52 支援の専門性から「こぼれ落ちたもの」をなんて名付けよう?

田中さん

新年明けましておめでとうございます。今年も楽しく無理なく、無風状態を続けていきましょうね。さっき、「無風状態」を検索したら、はっぴいえんどを抜いてトップヒットになってました!

さて、ぼくには前回の田中さんが最後にさらりと書いた、「若者たちの「孤独」を保証してあげること」ってフレーズがリフレインし続けています。

 そしてこの言葉の手前で、田中さんは、自分たちの役割を「若者の「孤独」の下支え」だと言っています。

田中さんらしい味わいのある言葉だなあと思いながら、この言葉をどう理解し、実践していくかという課題を、ぼくは子ども若者支援者として突きつけられる思いがしたわけです。 

そういう読後感をもった同業者の方は多かったのではないでしょうか?

孤独とは、家族や仲間、所属がある人が行えるもので、いつでも抜け出せる一時のモードのようなもので、それがない人は孤立だという整理をしたわけだけど。

そういった意味で、ぼくらの仕事っていうのは、孤立状態からの脱却っていうのがやっぱり第一フェーズなんですよね。

その際に、インテークだアセスメントだとやっていたんでは孤立状態は解消さすれず、ややもするとやり方によっては孤立感を深めるリスクがあったりる。 

インテークやアセスメントを全否定しないけど、背景にある孤立を理解し、それを若者と向き合うひとつの機会として捉えないとダメなんだと思うんだけど、ここが近頃マニュアル化というか効率的に状態把握しデータ化しようという流れが感じられて怖いなあと思うんですよね。

保障するってことについても書きたかったのですが、長文になるので、今回はこの辺で。 

                                いしい

※ 

石井さま

今年もよろしくお願いします。無風状態、もうちょっと続けていって、何かのカタチにしたいですね。電子書籍でもおもしろいかなって思うんですが、無風状態はアナログ本、むしろ手刷りみたいな超手作り本でもおもしろいかもしれませんね。

僕、最近の「孤独と孤立」というテーマに徐々に惹かれてきて、もし上のような書籍にするのであれば、サブタイトルにしてもいいかなって思うくらい気に入ってます。 

今回もこのテーマで石井さんから問題提起がありました。それは、インテークやアセスメントといったいわば「専門性」ばかりで支援していては、何かを「こぼれ落としてしまう」ということです。

その「こぼれ落ちた何か」はとても大切で、我々のようなベテラン支援者は、そのこぼれ落ちたものに対して知らず知らずアプローチしている、ということです。 

この考え方とアプローチ(インテークやアセスメントは何かを見落としてしまう)が、結局は孤立の解消につながるようだと石井さんは考えている。

僕もまったく同じです。その、専門性の外にあるものと我々は密接につながっており、そこに若者たちのニーズがあるからこそ、長い間我々は若者支援者として一線で仕事できたということですね。

そのジャンルに関わる人達を僕は「変な大人」と名づけてきたわけだけど、その、専門性から「こぼれ落ちたもの」そのものに対してなんて名付ければいいだろう。 

その「こぼれ落ちたもの」の領域で語り合える人が見つかった時、「孤立する若者」は孤立状態から飛び出して、「孤独だけれども必要があれば語り合う人々をもつ若者」に変わると思うのです。★

                                 田中

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