#10 僕らの家族観

石井さま

前回の、「若者が弱者になったのを認められないのは、社会の中核層(40〜60代男性)が、社会内に『若者という強力な敵』を創設し続けたいからだ」という、「オリエンタリズム」(E.サイード)的結論は僕にとってもおもしろいものでした。

また、このテーマに「風」が吹けば掘り下げてもいいですね。

さて今回は僕からなんですが、この前香川の実家に帰った時に発掘したこの写真を御覧くださいな。

ここで破顔一笑しているのが、16年前に62才で病死した僕の父親です。その父が抱き上げているのが、生後6ヶ月くらいの僕。父のポジティブな笑顔とは逆に僕はふくれっつらです。

なぜこんな写真を発掘したかというと、最近僕は恥ずかしながら50才になって初めて父親となりました。で、僕の子どもの顔がどうにも僕と似ているらしいので、じゃあ僕が乳児だった頃の写真をチェックしてやろうと思ったのです。

結論的には、「僕と僕の子どもはやっぱり似ている」だったのですが、この写真を発掘して思わぬ気づきのヒントがありました。

それはまだはっきりとはわかってはいません。0才時のふくれっつらの僕を抱えるのは、28才で父になった、僕の父親。その後、僕が思春期になった後はおきまりの父子の対立が生じ、父が亡くなるまでそれは結局和解には至りませんでした。

で、0才の僕は今50才になり、今度は、遅まきながら父として自分の0才の子どもをあやしている。このあたり、大げさですがガルシア・マルケスの『百年の孤独』のような大きな時間の流れのなかに、自分も放り投げられたような感覚があるのです。

石井さんの家族観は? たしか28才で父になり、いまは3人の子どもの父として大活躍ですが。

                                田中

田中さん

田中さんがすでに田中さんだったから、写真を見たときクスっとしちゃいました。。田中さんも頭になにか被っていますが、僕もその年頃のときにはやっぱり被ってたようです。僕は生まれたときからタレ目だったのです。

母は19歳か20歳だと思います。母が処分してしまったのか、子供を抱いたりするような人ではなかったのか、僕は“ほんとの父”に抱かれた写真が1枚もありません(父の写真は1枚しかないんだけど)。

僕は田中さんがたまに書いてるステップファミリーで育ったんです。このことは僕にとってまったく関係のないことだったんですけど、課題集中校と呼ばれる高校で相談員をはじめた僕は、生徒と自分の類似点の多さに、当事者性を痛感することになりました。

現在の父を僕は「義理父」と呼ぶ(書く)ことに強い罪悪感があります。それは育ててくれた父への裏切りのような気がするんです。僕はそんな父と取っ組み合いのケンカをして母の作ったカレーライスをぶちまけ、18歳のときに家を飛び出し、そのまま4年くらい音信不通だった時があります。

今では、盆や正月にいっしょに酒を飲みますが、それは「父と子」から、「父と父」というフェーズに移ってからのことです。この変換がなければ、僕らは永遠に酒を酌み交わすことはなかったかもしれません。

酒を飲んでもどうでもいい話ばかりで、母と出会った、当時24歳だった父にとって、結婚相手に僕と弟がいたことの“しんどさ”については未だに触れられることのない、(本当の家族ではないことがバレる)触れてはいけない事実となっています。

いつかこの話を父としてみたいし、育ててくれたお礼も言いたいんだけど、なかなかね。変換の要素として、僕が24歳になったたとき、自分が好きになった女性に子供が二人いたらってことを真剣に考えたことも大きかったですね。その時の結論は、「自分なら愛し切れない」でしたから。

毎年、実家に戻るたびに、今年こそは「親父」って呼ぼうと思うんだけど、未だに「お父さん」です。なんかしんみりとした話になってしまいましたね。『百年の孤独』は読んだことがないけど、マイケル・ギルモアが描いた家族のトラウマのクロニクル『心臓を貫かれて』が僕にはしっくりきます。

                               石井





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?