#68 ジモトとフルサト、人と自然

石井さま

前回の石井さんの原稿を読んで、僕はフルサトとジモトを確かに混合してるなあと納得してしまいました。

石井流に言うと、僕のジモトは今住んでいる兵庫県の某都市なんですよね。

けど、どうにもそこを僕は「ジモト」と呼ぶ気が起きない。

というのも、なんやかや言って10年いまの場所に住んではいますが、「終の場所」とは到底思えないからです。

かといって今の場所が嫌いかというとそうでもない。

今の場所には、僕の好きな里山みたいなのがあって、その里山に夏なんか入道雲がにょきにょき立ち上って、近くに大きめの川があって、その川を散歩するルートがあってと、僕の好きな要素がてんこ盛りなんですね。

だから僕は10年も今の場所に住んでるんですが、そうした要素は実は、僕のフルサトにあるものです。

要素とは、里山、入道雲、川、散歩。

僕はそんな要素がないとどうやら落ち着かない。

そうした要素には「人」の部分が少ない、というのも僕の好みの特徴かも。

石井さんのジモトに関する話を読んでると、時々「人」を感じます。

でも僕は人ではなく、「自然」なんですね。自分が最も落ち着く要素は「自然」の部分が大きく、その自然要素が揃ってさえいれば、ジモトだろうがフルサトだろうがどうでもいいような。★

                                 田中

田中さん

田中的だなあ(笑)。今住んでる場所は、多摩川リバーサイドで自然豊かだけど、確かにぼくの中心にあるのは自然ではなく人ですね。

ぼくは、この業界に入る前に、マイホームを手に入れるために貯金をしてたんです。

その時ぼくが思ってたことは、「子どもたちが孫が連れて帰ってくる場所が団地じゃ駄目だろう」というなんだかよくわからないものなんだけどさ。

だからぼく自身が「帰って来れる場所」であって、もう「帰る」気がないわけ。つまり、ぼくはフルサトなんです。

ぼくが、この話をし始めた背景には、「住んでる場所には貢献する義務がある」というゆるい強迫があってさ。

それは、子供たちと夕飯を食べてたりすると、ぼくの知らない大人たちがいっぱい登場してきて。子供たちは間違いなく地域の中で育てられてるわけ。

そして、ぼくは地域の子供たちを育ててない…。ダメじゃんオレ、っていう感じが、自分の子供の卒業式には出ずに、仕事で他の高校の卒業式には出席してたりする現実と相俟ってさ、自責の念にかられるんだよ。

なんとなく、これはソーシャルセクターで働くお父さんたちに、ちょっぴりは共感されることではないかと思ったんだけど、どうやら田中さんには共感されていない(苦笑)

子供の成長というライフステージにもよるような気がしたけど、どうなのかな?

                                いしい

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