♯28 不登校から始まり、ついに「貧困」にたどりついた

石井さま

前回までの「スローカーブと変なオトナ」(読者の中川さんの表記を見習って「オトナ」はカタカナでいくことにしました)議論を続けているうち、意外と若い読者が当連載を追ってくれてるんだなあと嬉しくなっています。

そうなってくると、これまでの我々の支援の歩み、言い換えると、「変なオトナ」にたどりつくまでのそれぞれの過程を少し書きたくなってきました。それでもいいですか?

前にも書いたように、僕は20代は友人と個人出版社(さいろ社)を起業して、医療や教育の現場を日々取材し、編集し、営業までこなしていました。

編集者時代から不登校問題には関心があり(80年代は「登校拒否」でしたが)、やがてミイラ取りがミイラになったわけですが、時代と日本の状況の変化により、支援対象がここ20年でどんどん「新しくなった」のが、青少年支援ジャンルの特徴だと思います。

御存知の通り、98年頃より「ひきこもり」(同年に斎藤環さんの『社会的ひきこもり』)、03年頃より「ニート」(この頃より玄田有史さんたちによる問題提起)、ゼロ年代半ば頃より「発達障がい」、そして去年辺りから「貧困」(これに伴う虐待ほかの問題)と、まるで日本の失われた20年にリンクするように新しい言葉が創設されていったわけです。

その他、95年の阪神大震災以降のカウンセリングブームを受けて、「PTSD」や「リストカット」なども流行しましたね。見事に、社会の変化とこれら青少年問題はリンクしているわけです。

僕は、目の前の青少年(この呼名ですら、民主党政権以降は「子ども若者」に変わっている)の問題に合わせて仕事を行なってきました。その結果、不登校以降のすべての問題に対応できるようになってしまいました(貧困まで)。

民間のソーシャルセクターで「ニッチ」な問題にその都度向かっているうちにこうなったわけです。

石井さんはどんな感じ?

                              田中 俊英

□府立西成高校だけではなく、府立長吉高校も週一回「高校生居場所カフェ」をオープンしています。長吉高校は「なかカフェ」という名前です。

田中さん

不遜な僕は、なんにも知らず、若者問題に興味すらなく「君は君のままでいればそれでいい」という理事長の言葉を鵜呑みにして、2000年から働き始めました。

結局、僕は僕のままでいていい部分と、僕のままでいたのでは上手くいかないことをいろんな失敗から学び、微調整しながら今の自分が出来上がっています。

僕のままでいい部分をどう残せるか?

これは僕にとってはとても重要なことであり、僕は僕のままでいられる仕事を長い間、探していたのかもしれません。そういう意味で今の仕事は天職です。まさに“Calling”です。

僕のままでいるために、入職後5年は意識的に業界本を読まないようにしました。その代わり試行錯誤の連続で、よく寮生(僕は宿泊型支援機関で副センター長だった)と取っ組み合いのケンカになったりしたものです。

きっと僕のままの部分が「変なオトナ」の部分で、それはサードプレイスの住人としての僕であり、不思議なワールドを作り、社会との扉を開けるるうえで、僕の重要なエッセンスだと思います。

高校の図書館での交流相談が上手くいったのは、まさに僕のこのエッセンスがあったからだと思うんですよね。

今は、貧困問題や発達障がいの問題等、僕なりにやらなくちゃいけないことがあるんです。それは、若者と対峙する瞬間が僕には未だにあるわけです。

わざわざ会いに来てくれた方に、わざわざに見合う情報提供ができるようにしておかないと失礼だなあという僕なりの責任と、にっちもさっちもいかないケースに一緒に頭抱えちゃう、逃げ出したくなるような瞬間がそこにはあって。

要するに田中さんとまったく同じで、僕も現場=若者やケースにスキルアップをさせられているように思いますね。

                                いしい


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