#42「青春ダイバーシティ」の受け入れがたさ

田中さん

>石井さんもやっぱり「青春」が好き?

うん、ぼくも「青春」は好きだね。無防備に応援したくなる。そういった意味で、ぼくは多分一般大衆です。

積極的には観ないけど、高校野球もやってたら観て、涙ぐんだりしていますよ。

高校にいると軽音部の青春ドラマにぼくはよく遭遇するけど、それが負の要素が強くても、いい経験しているなあって思う。

ちなみに、ぼくがこの仕事をはじめたときに最初に思ったことは、「あぁ、青春が台無しじゃないか」って思いだったもんね。

そして書きながら思ったんだけど、「青春」って、大人への通過儀礼みたいなもので、若者フォビアンたちは、みんなこの青春という名の門をくぐった人たちなんじゃないかな?

この門をくぐるとさ、同じ大学出てなくても先輩後輩になれちゃったりするみたいじゃない?

ときにその門はビートルズであってもいいし、高校野球でもいいんだろうけど、ゲームな青春は受け入れ難いんだよ。

汗かけよ汗!

(^^;; はぁ、みたいな。

この辺、意識高い系気取ったダイバーシティみたいな言葉遣うおっさんたちも、青春のダイバーシティは受け入れ難くあってさ。

なんてことを思うわけです。

石井さま

なるほど〜。つまりは、「青春のあり方」にはある種の紋切り型(高校野球型、バンド型、恋愛型等々)があって、そこからはみ出る者たち(つまりはこれが「青春ダイバーシティ」ですね)を許せない。

それこそが「一般大衆」なんですね。

そこからはみ出る「ゲームな青春」「アニメな青春」等はある年代には受け入れがたい。

世代によってはゲームもアニメも「青春」の紋切り型なんだろうけど、そこからはみ出る、たとえばなんだろ、「仕事をしない」というのもそこに入るのかしら。

つまりは「ニート状態」っていうのも、青春ダイバーシティに入らないのかもしれない。

だから、若者フォビア(嫌い)になる。自分たちが認める「青春ダイバーシティ」の枠内からはみ出た者たちを嫌悪する、それが若者フォビアの正体というわけですね。

う〜ん、そうなると、「青春」にも規範性があるということ、「若さ」にも規範性があることなんだよなあ。

これって、窮屈ですよね〜。

でも、確かに「若さ」には規範性がある。70年代なかばにパンクロックっていうのが出てきたでしょう? 

あのとき、パンクの中心だったジョニー・ロットンやジョー・ストラマーはある意味「若さ」の規範性から大きくズレた。

だから多くの大人たちに忌み嫌われたわけだけど、いまやパンクもファッションの中の一ジャンルです。

そういう意味では、「若さ」の規範性から大きくズレるらしい「ニート」や「ひきこもり」は現代のパンクなのかなあ。★

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