#81「発信するややこしい支援者」は、実は子ども若者を癒やしている

再開した無風状態、さっそく風が吹き始めました。

前回の最後で石井さんはこう書いていましたね。

今さ、これだけ外に発信できる時代になっているのに、現場支援者からの発信は皆無に等しいじゃん?それって、全部内側に向かって溜め込んでるんだと思うんだよ。
みんなインプットはとても上手なのに、アウトプットが下手くそでさ。今回の話からその辺のことになんかアドバイスないの?

僕はね、さいろ社の前からずっと個人的には「発信」し続けていて(大学が文芸部だったとか)、さいろ社の後もドーナツトークや淡路プラッツで発信続けていて、それこそ高校時代から発信をやめたことはないんですね。

それはいつも自分が何かを求めていて、何かを探していたから。言葉を紡いで記していったとしてもまったく解決はできないんだけど、まあ「書かざるをえない」「語らざるをえなかった」んですね。

そいういのはたぶん石井さんも同じでしょう。

そういうキャラの我々がたまたま青少年支援業界に入ってきて、業界はどこだろうが相変わらず発信し続ける。

前も書いたとおり僕は20代は編集者だったわけだけど、プロの編集者(たとえば大手看護雑誌の編集長とか)ほど、実は発信しないんですよ。そして、発信しないことに誇りをもっていたりする。あくまでも黒子なんですね。

支援者で発信しないのはこの①黒子タイプの他に、②発信コンプレックス系や③専門家の自負からあえて語らないタイプ(昔のプロのミュージャンがカラオケで歌わなかったのに似てる)等があります。

我々のまわりには②が多いかもしれないね。そんな人に向かってこの「無風状態」は書かれてるのかもしれないし。

ただひとつ言えるのは、何かを求めて発信し続ける人(僕ら)はウザくてめんどくさいやつかもしれないけど(僕と一緒にしてゴメン!!)、確実に「変な大人」だということです。

あまりめんどくさくなると単なる自意識過剰なやつになってしまう危険性はあるけれども、そのややこしさも含めて、ややこしい状態に追い詰められている青少年を惹きつける要素がある。

石井さんのまわりを見てもらっても、発信してる支援者はややこしいやつが多いでしょ? でもそれは真面目にややこしく、いつも何かを求めて葛藤しもがいている。そしてそれを言葉にして伝播していく。

このあり方が、「変な大人」の一大特徴でもあって、そんな人たちが若者や子どもを結果として救っていると思うんです。★

                               田中俊英

田中さん

今回は、田中さんへの返事というよりも、ぼくのアウトプットについてちょっと整理させて下さい。その上で、もう一度語れると面白いと思います。

何度も書いてるけど、ぼくはハロワで見つけてこの業界に突然デビューしたんです。当時の印象としては、「こんな仕事があるのか」という驚きで、その驚きの中には「不信感」も含まれていました。実はこの「不信感」がまだ拭いされていません。このことは最後に書きます。

働きはじめの頃のぼくのアウトプットは、『連絡帳』と呼ばれる、日々の活動を割と自由に書き記すノートでした。宿直の夜の洗い物や施錠の確認をした後に、静まり返った事務所でお茶を飲みながら、その日の出来事を手書きで記入し、気に入った自分の文章を何度も読み返したりしていたことを思い出します。

恐らく、ぼくは歴代でもっともこの『連絡帳』に文章を書いたスタッフだと思います(読む方は大変だったでしょう)。夜な夜な話したこと、感じたこと、仮説とそれに対する対処や引き継ぎを次ぎから次へと書いていました。

この訓練のお陰で、ぼくの今の特技は記録作成がめっちゃ早いことです。

支援しながらすでに記録のイメージ、つまりアウトプットしながらインプットしているんです。アウトプットに困りそうな部分については、アウトプットが可能、つまりぼく自身が言語化可能なところまで話を聞きます。だから記録が早いんです。

このアウトプット・イメージを持たずに相談をしているなんて信じられないくらいなので、アウトプット力の弱い支援者をぼくは疑ってしまうんです。

ぼくが『連絡帳』にたくさんの情報を吐き出していたのにはもうひとつの理由があります。それは評価です。この業界に入って感じたのは、「誰もオレの活躍を見てくれていない」ということでした。

これが承認欲求の人一倍強いぼくの「不信感」のひとつです。

こんなに明確に成果の出ない仕事をするのは、ぼくにとってはじめてのことでした。結果も大事だけど、むしろ尊ばれるのは過程なんです。でも、その過程を誰も見てくれていない、しかし評価は下される。

だったら、過程を全部記録して管理職に読ませる。結果的にぼくは欲しかった評価をされ、他の要素もあったと思うけど、すぐに副センター長になりました。

また、今もアウトプットし続けている自分について考えると、ぼくはこの仕事への「不信感」が拭い去れていません。常に、自分の立ち位置や発言や思考や思想を自分のロックンロールな美学に照らし合わせると疑いが生じます。

その疑いを自分自身に晴らさずには前に進めないんです。そういった意味でぼくも中二病なんだと思います。

常に心に引っ掛かりがあります。その逡巡をアウトプットしていく過程で多くの共感者が生まれている実感があり、共に成長していく仲間として連携が広がっています。それが仕事にもなっています。

無風状態は短めにサクサク更新がモットーでしたが、ちょっと熱くなって長く書いてしまいました。

                                いしい

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