#49 孤独とは、「秘密」と自分だけで向き合うこと

田中さん

前回の田中さんの文章を読みながら、「孤独」について、しっかり向き合ってみたくなりました。

ぼくは、いや、人は、って言っていいと思うけど、孤独からずっと逃げ続けて生きてきた生き物なんじゃないかと思うんです。

孤独から逃げて集団化することが、そもそも人間の生存戦略だったわけで、そこに社会の起源があるわけです。

孤独になることは命を落とすリスキーな選択という刷り込みがぼくらのDNAには今も刻まれてて、SNS誕生の背景にはそういう生存由来のニーズがあったんじゃないかな?とぼくは思います。

だから孤独から人は逃げる…。村八分、ハブ、シカト、孤独を与えることは最大の苦痛で、自殺の背後には必ず孤独が潜んでいるわけです。

と、ちょっと柄にもない前提を背伸び気味に書いてみて、すでに息切れ気味なんですが…。

田中さんは、他者との出会いは「互いの秘密をわかちあう」ことが前提にあるって書いてたけど、ぼくはそんな大それた出会いは期待していないし、むしろ避けているかもしれない。

特にこの頃のぼくは自分を全然語らなくなりました。

この辺、ぼくは優しくなんかなくて冷徹なのかもしれないし、その前提を受け入れている田中さんの方が優しさというか誠実さをぼくは感じます。

ぼくはむしろ、一人になったときの「自分の秘密と向き合う」ことの方が、よっぽどしんどいんです。秘密と書いたのは田中さんからの引用で、別にタスクでもいいです。

多分それは、「いつか片付けなければならない、人には言えない先送りしていること」です。それはパンドラの箱かもしれない。

孤独になるとそれと付き合わなければならない。孤独を引き受けるとは先送りをやめること。それがシンドイから人は孤独を避け、人は孤独に命を奪われるんじゃないのかな?

アウトリーチってさ、パンドラの箱を人のタイミング開けられちゃうから恐ろしいんだよね。なんていつになくシリアス。

                                いしい

石井さま

孤独にはね、僕は2つのレベルがあると思うんです。

一つは、人が本来的に持っている絶対的な孤独、言い換えると、人は他に代わりのきかない、世界でただ一人のその人であるという「単独性」を持つと同時に背負わされてしまう、絶対的な孤独です。

これはどうあがいたって避けようのない孤独ですね。

他人と自分は違い、自分と同じ存在は他にないという意味での「ひとり」です。

だから孤独というある意味文学的な表現よりは、単独性のほうがニュアンスを表現できるかもしれません。

もう一つの孤独が今回石井さんが考えているもので、通常用いられところの「社会の中でひとりぼっち」というニュアンスでの孤独です。

最初の孤独は人間存在が原理的に避けられない孤独で、二つ目の孤独は工夫次第で緩和できる孤独ですね。

僕は哲学マニアなので、最初の孤独を24時間考えています。

すると不思議なことに、二番目の通常の意味での孤独はどっちでもよくなる。

時々「ぼっち」っぽくなり寂寥っぽくなりますが、それも、「ポジティブに提案する」前向きなコミュニケーションに切り替えるというある意味「闘争モード」に自分を持っていけば、簡単に吹き飛んでしまう寂寥モードなんです。

自分のタスクに一人だけで向き合うのも結構好きです。

40代中頃までは「誰かとともにコミュニケーションする」っていうのがいつもあったんだけど、50才になったいま、タスクはむしろ一人が楽ですね。

けどこれは、仕事もプライベートも強力な同じ一人のパートナーと出会ったから、というのもあるかもね。★

                                 田中

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