# 30 なにもできない支援者を救った発達障がいの概念

田中さん

ゼロ年代前半、発達障がいについて理解のなかった現場は、やっぱり混乱していたと思うんだよね。 

あたかもその混乱を整理するかのように発達障がいの概念が入って来たわけだけど、どんな風に入って来たのかを僕はもう忘れてしまったくらいすっかり浸透したよね。

ちょっと知識のあるスタッフを講師にして勉強会をしたり、その当時、僕のいた団体の理事長が懇意にしてた斉藤環さんのような人の話を聴いたりしたかな。

僕の個人的な変化としては、彼らを観察し、慎重にアプローチするようになったと思う。そして、ここが重要だと思うんだけど、「社会への溶け込めなさが、本人に起因したものではなく、発達障がいというものに起因しているんだ」という理解のされ方。

これは正しいんだけど、それでいいのかという議論は置いといて、これは多くの保護者の救いになったし、支援者のアプローチを随分変えたんだよね。

興味深いのは、発達障がい者支援法が出来て、その直ぐ後に地域若者サポートセンターが設置されたんだ。その前に派遣法の改正があるんだけど。

要するに完全にバブルがはじけ、企業が雇用という形で包摂していた市民を、若者から順番に排除し、その対処として、僕ら支援者はキャリコンの資格で理論武装してかり出されたんだよね(そして僕らの業界は食える業界に変わっていった)。

その過酷な就労支援という現場で、「あれはアスペだからしょうがない」とか、「あのADHDの特性の強さじゃ就労は無理だねえ」なんて言って、支援者が発達障がいという概念を、ある種の救い(言い訳)にしているようにも自戒を込めて思うわけです。

田中さんは、この辺どう感じていますか?

読売新聞が号外が出してました。僕は野球どうでもいいんですが、僕の周りの野球ファンがイライラしています。

                               いしい 

「発達障がい」が関係なくなる

石井さま 

僕は、支援者が「あの人は発達障がいだから」と、簡単に片付けるセリフを聞くたびに超残念感を抱くと同時に、「この支援者はどれだけ目の前の若者に寄り添ったんだろう。めちゃくちゃ寄り添ったあとのこのセリフだったら仕方ないな」と思ったりします。 

確かに発達障がいの方は社会参加には時間がかかり、なかなかうまくいかなくて、支援者は発達障がいをうまくいかなさの原因とする傾向はあると思います。

また、そうした言い訳を言ってしまう事情もよくわかる。

でもね、僕は前に代表をしていたNPOでの経験からも、「徹底的に若者に寄り添えば、ある程度の自立は可能」という確信を抱いていたりします。

その「自立」は、正社員ではないことが多いけれども、正社員を含めた長期雇用についた若者たちを僕は結構見てきました。 

そうした若者たちは、支援の現場では発達障がいと片付けられた人も珍しくはないし、発達障がいという言葉を実際に出してリファーしていった方も普通にいる。 

けれどもね、時間はすごくかかってはいるけれども、それなりに働いている。毎日苦労しているし、転職もあるけれども、社会参加へのモチベーションは落ちることはない。 

なぜかというと、やっぱり「人間関係のネットワーク」に落ち着くんです、僕が出会ってきた人たちの場合。

そうした何人ものネットワークを交差させてそのなかに居続け、そのネットワークの中に時々僕も顔を出して冗談なんかを挟みながらも精神的に励まし続けると(当然「支援・非支援の契約状態」は終結しており、通常の友達づきあいとして出会う)、本人たちの社会参加への模索は終わることはない。

その模索こそが、つまりは「人生」だなあと思う。その時、目の前の若者は「発達障がい」だろうがそうでなかろうが、あまり関係なくなっています。★    

                                 田中  

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