#96 サードプレイスは「役割のシャッフル」
田中さん
パノラマの総会の準備でテンパった日々を過ごしていましたが、やっと落ち着きました。
昨日、田中さんがヤフーニュースで語ってたサードプレイスについて、ぼくもちょっと書きたいのでお付き合いください。
最近思うのは、ファーストプレイス(家)とセカンドプレイス(職場や学校)って、役割が固定している世界だってことです。例えば、家の玄関をくぐった瞬間、ぼくも田中さんもお父さんや夫になり、職場に行けば団体の代表者になっちゃう。
多分、ここで面白いのは、ぼくも田中さんもクライエントの前では変なおじさんになっちゃう例外的な役割のシャッフルが起こっているってことだけど、普通はそういうシャッフルが起こらないし、起きるといろいろ面倒臭いからやっちゃダメみたいになってるんだよね。
でも、サードプレイスではさ、どんなに偉い仕事をしているおっちゃんでも、仕切り屋のおばちゃんにこき使われたり、年の離れた若者から最新事情をおばちゃんたちが教わったり、何の仕掛けもなしに役割がシャッフルするんだよね。
そこに、セカンドプレイスの肩書きを持ち込んじゃうのがサードプレイス慣れしていない団塊オヤジたちでさ。井戸端というサードプレイスの住人であるおばちゃんたちから嫌われるんだよね。
何の仕掛けもなしにって書いたけど、ぼくらが付き合っているようなシャイネスな若者たちは、ちょっとした仕掛けがいるので、パノラマでは居場所居酒屋「汽水」っていうのをやっているんだけどね。
ってことで、最近のぼくのトレンド・ワードはサードプレイスを表す「役割のシャッフル」です。チャオ〜
石井
※
♯10才の子どもと75才のおじいちゃんが「鳥谷」を語る場所
なるほど〜、僕が書くとよくわからないものになるけど(未来、群れ、変な大人~高校生居場所カフェほか「サードプレイス」論)、石井さんが書くとわかりやすいなあ。
居場所に来る高校生からすると、時間軸を外して(未来)、「自分」も若干弱めにして(群れ)サードプレイスを楽しむけど、そこで出会う変な大人たちは、役割をシャッフルさせる自由さをもつ。
もしかすると、生徒たち自身も、自分たちの「高校生」という役割をシャッフルできるのかもしれないね。
そう考えると、居場所カフェでは学年を超えた人間関係も生じる意味がよくわかります。
役割のシャッフルという「力」はハイティーンにも作用し、クラスや体育館やグラウンドでは自然と意識してしまう学年やクラブや成績等の「その子らしさ」を軽々飛び越え、「今日のわたし/僕」としか言えないような、瞬間のその子自身になってしまうんだろうね。
サードプレイスにはそんな不思議なチカラが宿っている。
どおりで、日本のサードプレイスの代表格である「銭湯」では、10才の子どもと75才のおじいちゃんが阪神戦のテレビを見ながらフルーツ牛乳をともに飲み、対等に「鳥谷のいま」について議論しているわけですね。
サードプレイス、すごい。高校生居場所カフェも、高校生のいまの集積だ〜。(^o^)★
田中
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