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跳ねる跳ねないについて語ります。〜その5〜


もう10年以上昔の話になるけれど、いつだったか、とある人と何となく噛み合わない話をした事を覚えています。
話の途中で、跳ねる跳ねないの基準が僕と全く違うとだんだんわかって来て、ちょっと待って、跳ねる跳ねないってこう言う事でしょう?と確認するチャンスも無く、その人は「ここで跳ねるんだね〜」とか楽しそうに話し続けてました。

その人は「強く歌う」とか、「なんかとんがった感じにする」とか、「ザンザカザンザカ…」とか、そう言う意味合いで、抽象的な基準に基づいて跳ねる跳ねないを語り続けていました。そうだ。今思い出した。ザンザカザンザカザンザカ…て続くイーブンなリズムを跳ねる、跳ねると言っていたはずです。

僕が今跳ねる跳ねないについて語りたいのはそうじゃない。
その音楽が2か3か。と言い換えてもいいかもしれない。
堺すすむ氏の十八番の「なんでかフラメンコ」のリズムパターン

ザンザカザンザカザンザカ…なーーーーーんでか
ザンザカザンザカザンザカ…なーーーーーんでか
それはね、食パンには耳があるから〜〜〜オレ!

この曲は、僕が今語っている跳ねる跳ねないで言うと、跳ねてない。
全体を通してイーブンの16分音符で、堺すすむ氏のギターだけ聴くとむしろシリアスなフラメンコと言えなくもないリズムパターンだと思います。

そのシリアスなフラメンコのリズムパターンに
「それはね!食パンには耳があるから〜」と落とすから面白いのかもしれない。

16分音符の四連符がザカザカなら、16分音符の2番目だけ抜くとザンザカになる。それは僕は「跳ねる跳ねない」で言うと「跳ねない」

「ザンザカ」を跳ねるリズムにすると、「ザーンザッカ」と表記出来る。…と言う思いはどこまで常識なんだろうか。

僕の中ではとても当たり前だけど、冒頭の跳ねる跳ねないの概念が全く噛み合わないザンザカを跳ねると言う人が、じゃあ間違っているのかと言えば、そうとも言い切れない。今でもその人は跳ねる跳ねないの基準が違うままかもしれない。それでも幸せな人生を送っているかもしれません。

そう言う人にあなたの跳ねる跳ねないは間違っているから直せ!と言ったところで誰も幸せにはならない。

その人があるとき、ん?と思い、跳ねる跳ねないとはいったいぜんたいどう言う事を言うのだろう?とふとしたきっかけで確かめたくなった時に、検索でもしてこの文章にたどり着いてくれる事を願います。

「なんでかフラメンコ」は跳ねていない。

また明日。

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