さよならマジカルミライ

※この文章には筆者の主観しか書かれていません。批判等は一切受け付けません。

 私にとって、自己の表現を行える場所が消えた。最後の砦だった存在が、その存在時代によって握り潰された。

 物事の変化というものは時に切ないものである。とりわけ、自分の手の届かない範囲での変化は、それをただ受容するしか術がない。当人がやりきれない気持ちを抱えようと、遺憾の意を表しても、変えられない物がある。

 私が、マジカルを純粋な気持ちで楽しめなくなりだしたのはいつからだっただろうか。記憶に頼るのであれば、4年ほど前からだったものとしている。
 カルチャーが失われ始めた、そう感じていた。

 もともとインターネットの一存在でしかなかったためか、初音ミクを巡る文化にはインターネットの悪乗りという点も散見された。かつてはマスゴミによってボロカスに言われた時代もあったものである。
 いつしか大衆の面前に出ても恥ずかしくないような存在にのし上がった。百均でグッズが買える時代が到来するとは誰が予見しただろうか。15年置い続けた一ファンからすれば、この変化は嬉しいものだ。
 しかしこの「有名になる」「大衆化する」フェーズにおいて、最初期の文化が廃れていくことは歴史が証明している。

 カルチャーが失われ始めた、と表現したが、版権側からすれば「不要な文化を排除する」という方向に舵を切ったのかもしれない。マジカルからは、そう判断された文化が次々と場を追われていった。
 最初に手がかかったのが祭壇だった。ファンが自由に公式非公式問わずグッズを並べるあの雑多な文化は、いつしかマジカルから消されてしまった。マナーの悪化が一つの原因だったと聞く。
 次にファン同士の交流が大きく制限された。近年のことである。コロナ禍が影響しているのはあるが、モノの交換も禁止された上、会場内外での雑談さえ安心して出来なくなった。
 そして今年、コスプレ系に対する大きな改定が入った。幕張会場に限って許容されていた「コスプレ衣装、ウィッグ着用での来場」が全面禁止となった。衣装やウィッグが対象になるため、コスプレイヤーはもちろん、概念を模して作った衣装も「コスプレ衣装」とみなされる可能性があり、2023年に団体でいらっしゃった「ヒーロー概念」はそれに抵触する可能性を自覚しなければならない。どこからが「衣装」でどこからが「私服」か、あるいは「どのレベルのウィッグは許されるのか」などの話にも波及するので、後先考えずに定められているのではないかと邪推する。結局対応するスタッフ次第で白にも黒にもなる規定は、かえって分断を生むのである。

 わかっている。昨年の会場内でおきた、コスプレイヤーを巡っての騒動があったことを受けての話であることは理解している。あまりに人が増えたこと、その中で我が物顔で振る舞うごく一部の人間によるやむを得ない改訂であることは承知である。
 思えば祭壇も、一部のマナー悪化がこれを招いた。ファン同士の交流についても同様の理由になる。運営側がいくら注意してもやめない現地でのランダマイズグッズ交換も散見された。大きな塊を作って往来の中に群がり、解散しようとしない団体様だっている。じゃあそれを一律排除しようというのは自然の流れかもしれないが、規律を守り誠実に向き合ってきた人間は割りを食わないのである。

 しかしこれまでの改訂はまだ、仕方ないで済ませられるようなものだった。今回の改定は、「好きだったものが嫌いになる」レベルでの出来事だった。
 よくわからない人間も居るだろうからはっきり伝えるが、これは気持ちの問題だけではない。現実問題、あそこまで増えた人間が闊歩する会場内を、衣装やらウィッグやらが入ったデカい荷物を持って移動することそれ自体が危険である。この状態で入退場を禁止されているため、水分不足に陥った際に熱中症のリスクも伴う。じゃあ水分を持ち込めばいいじゃんという話でもない。やっぱり荷物が増える。
 やっとのことで更衣室にたどり着きました、となっても待っているのは薄暗く、狭くて暑いテント張りである。あるだけましとはいえ、これで満足いくような準備ができるかと言われたらNOである。これに加えてこの状態でのライブ会場移動まで禁止されている。これで満足なコスプレができるかと言われたらかなり難しい話だ。
 
 そして、これだけなら何万歩も譲って仕方ないと言えるのだが、私にとってはこの改訂が変わらない限り、この先ずっとあの会場でコスプレをすることができないことを意味する。
 これも、気持ちを我慢すればという話ではない。トランス女性(男性)にとって、このような形の更衣室は極めて屈辱的である。
 言ってしまえば、晒したくもない姿を異性に晒すような話である。あるいは非同一性のある性別で扱われることが、この上ない屈辱になるのである。これを、マイノリティでもなんでもない人間がストレートに理解できるとは思わない。しかたなく男性更衣室に入って湯船に浸かろうとしたときに、まるで怪異を見るかのような目線を向けられたり、「あの人女性だよね?」と聞こえないような声で(しっかり聞こえているのだが)言われる側の気持ちはわかるまい。
 会場の更衣室を使用しないでも大丈夫だった昨年までは、この問題をスルーできたためにまだなんとかなっていた。しかし、こうなってはお終いで、「屈辱と物理的に厳しい状況を受け入れてそれでもコスプレをしたいか」といわれると「結構です」になる。これを「そんなの気持ちの問題じゃん」と一蹴する人間は大変目障りなので、今後一切私の眼中に現れないでください。

 ことマジカルを巡っては、カルチャ部分の喪失がここ近年特に言われているが、これはモラルの低下が招いたファンたちの失態である。今回の改定もまた、モラルの低下による締付に当たるだろう。
 だが、このような形で次々に締め付けを強めていった先に待っているのはなんだろうか。もとより特殊な強みを持つイベントだったマジカルが、その辺の二次絵キャラのイベントに成り下がるだけではないだろうか。プロセカ民には失礼だが、「プロセカキャラクターが登場しないセカライ」と評すればいいだろう。今ある企画展も、もはや商品博覧会でしかない。
 営利目的である以上、商業的になることは仕方ないとはいえ、それでも露骨過ぎる近年の施策には頭を抱える一方である。ものを買う以外でやることがいよいよなくなっている今のマジカルからは、ファンたちの間で生まれた「カルチャー」を省いても「カルチャー」が失われていると思う。クリエイターが生んだ作品が人のつながりを生む…というのは美麗でしかない。有名人(絵師、動画師、コンポーザ)のみを表に立たせて残りは消費に回れと言わんばかりの内容が今の企画展だと私は思う。事実、金を使わなければ10-15分で回りきれてしまう。

 最早、今年行われるのは私が知っているマジカルミライではない。「カル」がないのだから、名前だけ同じで中身の違うよくわからないイベントだ。願わくば在りし日の姿に戻ってほしいが、それは儚い希望だろう。
 11年間応援し続けてきたイベントだし、姿が変わっても応援したかったが、こうなってはその気持も無に帰す。百年の恋も冷めるとはこのことだろう。こんな思いを抱えて福岡の初開催をどう見届けたらいいのか。そもそも私は福岡に行って満足で帰ってこれるのだろうか。その資金は別のことに回せるのではないか。そう考え出すくらいなので、おそらく私は来年以降、『お客様』でもなくなるだろう。
 さよならマジカルミライ。あの空間は私の宝物でした。

たかが1円、されど1円。読者様のお気持ちは、個人サークル「Sewing Future」の創作活動(同人誌発行・衣装製作)の補助費として充てさせていただきます。