自由という名の不自由

公式との解釈違い、といえばそれまでかもしれない。
古参のボヤキ、といえばただそれだけかもしれない。
ただ、頑張っている人がいたたまれない。そう思ってオタクの思うところをちょっとだけ書こうと思う。
(※なお、この件は別に公にされたことではないし、あくまで私の感覚であるので鵜呑みにしてほしくはない。あくまで一個人の考察と捉えていただきたい)

マジカルミライは2017年以降、毎年楽曲コンテストを開いている。
また2019年以降はその年年の「テーマ」を公にし、ライブではそのテーマに沿ったステージ演出がされている。
ここで一つ気がかりなのが、テーマ発表のタイミングと、コンテスト募集期間のズレである。
ここ数年は、当然のようにコンテスト楽曲の募集期間が先に来、その後テーマが発表される。
しかしこれは些か不可解な点がある。なぜテーマの公表を先にしないのかという点である。
テーマが後出しされるということは、「テーマにそぐわない曲は完成度が高くてもグランプリには選ばれない」可能性があることを意味する。
いや、単に楽曲の多様性を担保するという意味でも正しいのかもしれない。しかしその可能性を捨てられない以上、楽曲コンテストは出来レースなのではないかとも勘ぐってしまう。

これは雪ミク公募にも同じことが言える。こちらはテーマが先出しなので、一律同じとは言い切れない。
しかし、その年の雪ミクはこんな感じで行こうという社内の決定事項にそぐわなければ、そもそもデザインとして良くても最終選考にすら残らない…という可能性が否めないという点では同様ではないだろうか。

そもそもコンペ自体、元々ある必要がない界隈だったと思っている。クリエイターは各々の自由な妄想のもとで曲を作り絵を書き、あるいは何らか別の方法で自らの表現を行っていたはずである。
だが、コンテストが先立ち、そこに採用されることを前提として創作活動が行われるなら、それは自由な創作といえるのだろうか。
自由はある程度の制限のもとでの自由とよく言われるが、この場合の自由は商業主義に固められた自由という意味では残酷な一面もある。

クリエイターは、全員が全員利益を生みたいがために創作活動をしているわけではないはずである(そういう人もいるだろうが)。
いつか実力が認められて公式に採用されることを夢見ている人も少なからずいるはずである。
それが、先に論じたコンテストの類が出来レースなのであれば、その夢を追って努力し続けるクリエイターの意思を踏みにじる行為と言えないだろうか。

大事なことなので再度記すが、あくまでこれは一個人の邪推にすぎない。事実関係は不明だし、そうであるという証拠すら無い。
ただ、そう感じてしまう節が本当に多く思えたために記した。

某社がキャラクタービジネスに躍起になるのは、企業活動という点では仕方のないことである。
ただ、そのキャラクターたちがなぜ愛されてきたのか、そのバックグラウンドを今一度立ち返り振り返ってほしい。

たかが1円、されど1円。読者様のお気持ちは、個人サークル「Sewing Future」の創作活動(同人誌発行・衣装製作)の補助費として充てさせていただきます。