怪物と魔道士

　わたしは見知らぬ街をさまよい歩いていた。
手には根っ子のような、気味の悪いかたまりを持っている。血管が無数に絡み合い、少し湿って暖かかった。
「なんでこんなものを？」記憶をたぐってみても思い出せない。誰かに託されたのか、それとも拾ったのだったろうか？
　近くにくずかごを見つける。
「捨てちゃえ……」くずかごに放り込む時、ねっとりと嫌な感触が手のひらを伝った。

　バス停か電車の駅を探して歩く。
　どうも街の様子が変だ。夜とはいっても、日が沈んで間もない。それなのに、通りには人っ子１人いなかった。
　１軒の家の窓から光が洩れている。覗いてみると、少女がベッドに横たわっていた。毛布も掛けず、素っ裸で。
　わたしはギョッとした。なんと、彼女の腰から下は、ベッドと癒着していたのだ。
　ピンク色のマットレスの上を、血管が縦横に走っている。それらが少女と繋がっていて、まるで臓器の一部のように見えた。
　「どうしたのっ、何があったのっ？」わたしは窓に手をかけ、そう尋ねる。
　彼女は振り返り、
「あなたが、あの根っ子をこの町に持ってきたから……」とつぶやいた。
　ベッドの枕元には、茶色いかたまりが鉢に収められて置かれている。わたしがさっき、くずかごへ投げ捨てた、あの物体に違いなかった。

　大変なことになった。どうやら、とんでもないものを、この町に持ち込んでしまったらしい。
「この町はもう、おしまいだわ。ごらんなさいな、みんな根っ子の呪いにかかってしまっているでしょ？」
　促されて外を見ると、街灯の光に照らされて、大勢の影が踊っていた。彼らの手の先はヘビと化し、くねくねと身をよじっている。もはや人間とは呼べない姿でだった。
　わたしは怖くなって逃げ出す。ただひたすらに走り続けた。
　気がつくと、大広場にやって来ていた。町中の道が１つに集まる、そんな場所である。

　目抜き通りのずっと先は、果てしない暗闇が広がっていた。ひどく嫌な気配がする。
　粘液をこすりつけながら這う、不快な音が近づいてきた。やがて、赤く滲んだ２つの光と、墨汁よりも黒い姿をした、おぞましい生き物が姿を現す。
　家よりも大きな化け物ガエルだ。
　ひと目見て、邪悪な存在であることを悟る。この化け物こそが、「根っ子」を産み出した元凶に違いない。そうとも知らず、わたしは町に根っ子をはびこらせる手助けをしてしまったのである。
　わたしは覚悟を決め、魔物の前に立ちはだかった。せめて自分の命と引き替えに、一矢報いてやるつもりだった。

　そんなわたしの前に、とんがり帽子を被った、１人の男がさっそうと登場した。
「あとは任せたまえ」そう言うと、携えていた杖を高々とかざす。
　漆黒のカエルは、苦しそうにもだえ始めた。周囲の空気は揺らぎ、渦巻く亜空間が出現した。
「闇の眷属よ、元いた世界へと帰るがいい！」
　化け物は、渦の彼方へと吸い込まれていった。

　かけられた呪いは解かれ、１人、また１人と、正気を取り戻していく。
　広場はたちまち、喧噪で溢れかえった。自分たちの身に何が起こったのかを理解し、救世主である魔道士を求めて湧く。　
　けれど、そこに彼の姿はなかった。遠く夜空の下、寂しげな口笛の音色が、風に運ばれてかすかに聞こえるばかり。
　わたしはベッドで横たわっていたあの少女が気になり、小走りに引き返す。
　彼女は、真っ白いドレスを着て、戸口の前に立っていた。
「よかった。元の姿に戻れたんだっ」わたしは、心から安堵する。
「あの魔法使いが救ってくれたの。ところで、あの人の名前、あなたご存じ？」少女が聞いた。
　わたしは首を振る。
「怪物を退治したあと、そっと町を出て行っちゃった。今頃はきっと、町外れの１本道だと思う」