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雪うさぎ

 冷えると思ったら、窓の外は一面の雪景色。
「夜のうちに降ったんだっ」寝間着の上からオーバーをはおって外に出てみる。玄関のそばにまで雪が積もっていた。「うわっ、冷たい!」
 どこもかしこも、砂糖をまぶしたように真っ白。塀の上の雪山を目測すると、10センチは降ったようだ。
 誰かがわたしのオーバーの裾を引っ張る。見下ろすと、ダッフル・コートを着た小さな男の子が立っていた。年少さんくらいだろうか、ボタンのように真っ黒い、つぶらな瞳でわたしを見上げている。
 わたしはしゃがみ込んで聞いた。
「どうしたのかなぁ? 迷子になっちゃった?」
 ううん、と首を振り、手に持っていた笹とナンテンの実を差し出す。
「これ、どうするの?」
「ウサギを作って欲しいの」まだ、よく回らない舌でそう言った。

「ああ、雪ウサギかぁ。うん、いいよ。作ってあげる」わたしは、地面に積もった雪をかき集め、形を整えてウサギにする。「笹は耳にするの。それからね、赤い実はお目々。ほら、ウサギの目って赤いでしょ?」
「うん、知ってる。去年、飼ってたんだもん。でもね、雪解けのとき、いなくなっちゃったの。そしたら、葉っぱと実だけ置いてあったの」
 雪だもの、暖かくなれば溶けてしまう。ちっちゃい子には、それがいなくなったように思えたんだろうなあ。
「ほーら、できた。ウサギさんだよ。あのね、この子は暑がりだから、できるだけ寒いところにいさせてね。そうじゃないと、また逃げちゃうから」わたしは注意した。
「うんっ、ありがとう」元気に返事をすると、雪ウサギを受け取る。

 立ち上がったそのとき、どこからか飛んできた雪玉が、わたしの顔の真ん中で炸裂した。
「痛っ、冷たっ!」
 通りの向こうで、桑田孝夫がばか笑いをしている。
「油断してっからだぞ」
「やったな――」わたしも、急きょ雪玉をこさえ、相手目がけて投げつけた。コントロールが悪いのと、桑田がゆらゆらとよけるものだから、何発放っても当たりやしない。
「悔しかったら、1発でも当ててみなっ」そんな憎まれ口まで叩いた。
 男の子が、またわたしの裾をつかむ。手には、自分で握ったらしい、いびつな雪の玉があった。
「これ投げてみて」
「ありがとね」小さな雪玉だったけれど、気持ちがうれしい。何より、向こうは1人、こっちにはかわいい味方が付いていてくれるのだ。
 
 わたしは雪玉を投げた。期待はしていなかったが、桑田の頭の上を通り越して飛んでいく。
「へーんだ、どこ見て投げてる」と桑田。
 奇妙なことが起きた。飛び越えたはずの雪玉が、クイッと曲がって戻ってくる。そのまま桑田の後頭部を直撃し、しかも、ポコンッと小気味のいい音まで響かせた。
「いてえっ!」頭をさすりながらうずくまる桑田。「お前、石を入れたろ?」
 思わず、男の子を見る。小さく顔を横に振った。石など入れていない、そう言うのだ。
「あのね、雪玉にちょっとだけ仕掛けをしちゃった」ぺろっと舌を出す。
「雪の結晶同士をキチンと並べてつなぎ合わせると、6角形のボールになるじゃない? パパに聞いたんだけど、そういうの、シーロクジュウフラーレンって言うんだって。すっごく頑丈なんだからっ」
 炭素結合のことを言っているらしかった。もしかしたら、父親が科学者なのかもしれない。

「桑田ーっ、石なんて入ってないよ。調べ見たらーっ?」わたしは言い返した。
「そんなはずはねえ」疑り深い桑田は、ぶつけられた雪玉を探して拾い上げる。その手の中で、雪玉は溶けていった。「ありゃ、ほんとだ。ただの雪の塊だ」
 結合は固くとも所詮は雪なので、体温で簡単に解けてしまうのだ。
 わたしは調子に乗り、男の子が用意してくれた雪玉を、次から次へと投げてやる。どれも例外なく、桑田に命中した。そのたびに、ボコッ、ゴツン、と音が聞こえる。
「わかった、わかった。もう、降参だ。投げるのはやめてくれっ」ついに桑田は降参した。
 やったね! 笑い合って、男の子と手を打ち鳴らす。

 桑田、それから男の子を部屋に招いて、暖かいココアを一緒に飲んだ。もちろん、雪ウサギは玄関の外に待たせておく。
「そうかあ、さっきのあの雪玉、君が作ったのか」桑田が感心したようにうなずいた。「ま、むぅにぃにしちゃ、固く握ってあると思ったんだ。それにしたって、すげえなあ。こんなに小さいのになあ」
 男の子は照れた笑顔を向ける。
「うちは近いの? パパとママ、心配してないかなぁ」わたしは聞いた。
「冬はこの近くに住んでるの。暖かくなると、北のほうへ行っちゃうけど」
「へー、季節が変わるごとに引っ越すんだ。しかも、寒い方ばっかり。大変だねぇ」
 わたしなら、年中、暖かい地方へ移り住みたいくらいだ。

 そろそろ家に帰らなくちゃ、と男の子が言うので、わたしは玄関まで送る。
「また、遊びにおいで」わたしは手を振った。
「じゃあなっ」桑田も声をかける。
 男の子は何度も振り返りながら駆けていった。
 玄関先に、雪ウサギが置き放しだった。
「おーい、忘れ物だよーっ」わたしが大声で呼ぶと、男の子もすぐに気がつく。
「おいでーっ、ぼくのウサちゃん!」
 すると、笹の耳がピクンッと起き、雪の中を、男の子目指して走っていった。あとには、かわいい足跡だけが残る。
「驚いた、あの雪ウサギ、ほんとに生きてたんだ」わたしは言う。今日はびっくりするようなことばかりだ。
「あの子ども、雪ん子ってやつじゃないのか? 雪の降った朝になると現れて、遊び相手を探して歩くんだってよ」と桑田は、男の子が去ったほうを見つめて言った。
「そうかもしれないね。でも、楽しかったじゃん」
「だな。おれも久しぶりに童心に返ったぜ」
 来年の冬も、また遊びにおいで。

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