セクマイなりの

皆さんこんにちは。moneです。
noteは初めてなので何を書こうか考えたんですけど、私がいままで生きてきた中で「これ知って欲しいな」とか「これ書きたいな」とか思った事を記事にしていこうかと思っています。

今日は私のセクシャリティについてお話しようと思います。

私はノンセクシャルという名前のセクシャルマイノリティで、恋というのがどういう状態なのかは分かるけど、性愛が全くないタイプの人間の事をさします。

つまり私は、生まれてから32年ここまで、セックスを一度もした事がありません。この先しようとも思いません。
またそれに近しい行動もおこなってきませんでした。

私には旦那がいます。ですが彼は私に「セックスをしよう」とは言いません。そんな空気になったこともありません。
とても旦那には無理をさせていると思いつつ、申し訳なくなりながらも、したくないからしないのです。そしてそれを尊重してくれているのです。
ありがたいことですね。わたしにはもったいないです。結婚は今年で5年目。当然子供もおらず、穏やかに暮らしています。

何故ノンセクシャルでも結婚できたのか、これは旦那が私を尊重してくれるだけではないのです。


それは、旦那がとても「さびしさを抱えた人」だったからです。そして私がそのさびしさに気づき、「愛を与えられる」余裕があったからです。


セクシャルマイノリティには愛もわからないのでは?と思われがちですが、そんなに難しいことではありません。
私たちは常に「可愛い」という感情が度々おきます。散歩中の犬とか、綺麗なお花とか、心を動かされると思います。これが愛だと私は思っています。これもきっと、愛の一部だと感じています。

旦那は幼少期、大勢の風俗嬢に現を抜かす父親と、沢山の「ママ候補」な風俗嬢と、せめて子供だけでも繋ぎとめようと彼を必死に離さなかった母親との間にいました。
幼い旦那の心の中がどれほどさびしかったか、自分は誰に愛されればいいのか分からなかったのか、自分を本当に尊重してくれているのは誰なのかがわからなかった…こんな思いをしていたのではないかなと分かってもらえれば嬉しいです。

そんなさびしい旦那はいつしか、「人をコントロールして自分を優位に立たせる」事を覚えます。
女の子をひたすら褒め、肯定し、その子に自分を認知してもらい、依存させる。ゴールにあるのは「性行為」でした。

それがきかない女の子がいました。それが私です。

私と旦那はSNSでやり取りを繰り返し、いつしかお互いの人生の目標が同じであることに気づきます。
「親の支配からの脱出」です。

私も幼少期はなかなか辛い思いをしてきました。(この記事では割愛させていただきます)
そして私には「さびしい」という思いがわからない事に気づいたのです。
私には妹がいます。年も近いので、遊ぶ友達にも、家族にも、困ることはありませんでした。
ですが私も妹も、随分と冷え切った心でいました。原因は母親です。
私はいつしか、人に期待することをやめました。

そんな私のもとに、旦那の様に常にさびしさに飢えている人間が現れたのです。
私ははじめて旦那を目にした時、なんて魅力的な人なんだろうと思いました。
だって、私は旦那と違ってさびしさとは無縁の生活を送っていたのですから。彼がまるでブラックボックスの様に思えたのです。そして私は、すこしミステリアスな人が好きでした。彼との相性は抜群で、私たちは急速に仲良くなりました。
仲良くなれた一番の理由が「親からの支配の脱出」です。

「普通ならこの年なら彼氏彼女がいないとおかしい」「両親に○○だって知られたくない(これは旦那側の意見)」「とにかく私達は普通を装おう」「親から離れてお互い好きなことをしよう」

そう、これは恋愛結婚を装った言うなれば「共闘相手」

そして、私達の母親はまんまとそれに騙されたわけです。

両親の顔合わせの際、私達は入念に「仮想の普通な私達」を「演じる」事をたくさん話し合いました。
とりあえず、私は働いてる設定で(当時は転職を繰り返していた)旦那とはいつ頃、どこで出会ったのかなどを話し合いました。とてもワクワクしていたのを思い出します。

さて、次回は「愛する余裕のある人間」だったこともお話します。また閲覧してくれると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?