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タイムマシーンにおねがい(は特にないけど)

結局2か月ぶりくらいの投稿になってしまった。
書こう書こうとは思ってみるもののやっぱり話題にたどり着けないのと、書き出しても途中で話題が霧散してしまったり…
長い記事は無理だと分かったので、気が向いたらメモ帳から抜き出すことにした。本記事はそのメモ帳から抜き取った700字くらいの雑記です。

タイムマシーンと人間の知覚の限界についての文

参照される「僕」を今現在の僕として、僕は無数のあわせ鏡の中の1人に過ぎないのかもしれない
という思考にタイムマシーンについて妄想していた時もれなく陥っていた。
仮に未来の自分が過去の自分に既に会いに来ていて(顔自体は合わせない)、その時過去の自分を(間接的に)助けたおかげで今の僕がいるとして、僕はいずれ過去に飛ばなければいけない。
そうして僕が助けた過去の自分も将来、過去に飛んで又自分を助けなければいけなくなるし、そうして成り立った自分も…と言うふうに
2秒後の僕も、1年前の僕も、5年後の僕も、10年前の僕も、それぞれは僕という存在ではあるけど、全て時間という存在に分け隔てられている別物、すなわちあわせ鏡に映る自分のように思えてならない。
この文を打っている間もとめどなく流れている時間に対して、ただただ絶対的な力に感嘆する他ない。

これらと同時に考えていたことが、この一連の「過去の自分を助ける」という出来事はいつの自分が始めたことなのだろうか
物事には始まりがあると言うのが定説で、この場合にも当てはまるのかということ、
先程の自分同士の時間的な関係を辿るとしても
それはきっと上に述べたような、あわせ鏡に映る自分を永遠と辿っていくようなもので、始まりを作った自分に辿り着くことは出来ない。
自分に対しては今自らが存在しているこの時間軸しか存在しないのだから、そんな話考えてもしょうがないだろうなんて言われたら僕は渋々頷くしか無いわけだけど、仮に、もし、遠い未来にタイムマシーンが出来たとして、いざ時間遡行を体験する人間は上に述べたことを一体無視できるのだろうか。

全く別の話題 絵コンテ描いた

就活で絵コンテを描いた
四、五人キャラがいるシーンに対して自分の引き出しの少なさがひどく露呈した。そのシーンを読み返すのがなかなかつらい。南無三
近々コンテ主題の記事でも書きます。

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