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「ベニスに死す」見た

最近ひとに勧められたので見た。
氏が言うに、叙情的な意識が強い映画らしい(実際そうだった)。
そうして見始めたけど…

冗長!セリフが足りない!時系列で混乱する!

…がもっぱら鑑賞中の気持ちだった。
けど鑑賞後ごちゃごちゃ書くのは珍しくめちゃくちゃはかどった。
こうしてnoteに投稿するのも、自分史上稀にみる文字数になってしまって、ブルスカに流すには少々窮屈に感じたからです。

知恵煮込史上、初の作品所感投稿…みとったれや!!!


本記事の構成について…

わざわざこんなセクションを設けたのはこの作品、上の通り鑑賞中と鑑賞後に持った印象が違いすぎて、双方並べて書くのは(自他ともに)混乱しそうだな…と思ったので

  • 鑑賞中の所感パート

  • 鑑賞後の雑記パート

みたいな構成にします。
あとまとめるのが面倒なのであらすじはありません。悪しからず。


鑑賞中の所感

鑑賞中の気分は、はっきり言って退屈の他なかった。
すこし眠気の残る状態で見てしまったのでこれは自分に非があるけど…
ワクワクするものと言えば「タージオ」と、少ないけどコレラによるパニック要素くらい。回想的に挟まれる余興の内容(かなりふわっとしてたけど)もちょっと面白かったかも。
とにかく見切ることに関しては結構苦労した。

自分がぶち当たった問題として上に挙げた、「冗長」「セリフが足りない」「時系列で混乱する」の三つがあった。それぞれについて述べていこう。

「冗長」

これは主人公「グスタフ」が群集の中にいた時に特に顕著だった。
長い、長ーいPANで衆を映すカット。
最後に特定の対象が映るのかな?とか思っていたけどそんなことは起きずに、カメラは主人公を再び映す。
尺と変に期待感があるせいでこの種のカットが繰り返される度、生気がそがれるようだった。本当だよ。
とにかく冗長さに退屈してしまって、スマホを手に取る事も少なくなかった。

「セリフが足りない」

この要素はだいぶ人によると思う。ので話半分でいいかも。
自分の場合、鑑賞中でもしっかりとしたヒント(セリフ)がないともやもやしてしまって、作品どころではなくなってしまうので…
主人公の考え、場面、事の成り行き等、最低でも前後のシーンの辻褄合わせに必要な要素が欠けていて、ずっと別件のことを考えてるみたいだった。
実際もやもやのせいで聞き逃したセリフは多かったと思う。
でも全く配慮がないという訳ではなくて、主人公の服装とか容姿で示されてはいた…けど自分が顔とか色々を覚えるのが苦手で、結局なんの変哲もないシーンで一々謎解きみたいなことしてたよ…
説明不足って恐ろしいな…と心から恐れた。

「時系列で混乱する」

完走する上で、一番の問題点だった。
基本、話は時系列順に進んでいくけど時たま回想が挟まれる。
この回想が本当に難しくて、鑑賞中はこれが過去の出来事か未来の事かさえ分からずにずっと頭をもたげてた。勘が良ければ一回きりでもわかるんだろうか…この分からなさに納得できず、中盤で投げ出しかけた。
この「時系列の混乱」も「セリフ不足」も"説明不足"でまとめれそうだったけどわざわざ分けたのは、本当にずば抜けて困った要素だったから。苦しかった~。

それでも最後まで見れたのは、この退屈さに作品がどうケリを付けるのかという一点にすべてかかってた。なので中盤以降の鑑賞はほぼやせ我慢だった。

上の要素たちは「耽美」とか「無常」には不可欠かもしれないけど、個人的には了承しきれなかった。そのため作品への無理解がそのまま作品へのヘイトになってしまって、ラストシーンも他と毛色が違うだけじゃん、程度の蔑視を含んだ捉え方になってしまった。

ともかく、やっとの思いで完走した自分は愚痴の一つでも残そうとメモ帳にごちゃごちゃ書いていったけど、そのごちゃごちゃが存外盛り上がって面白かった。以上を下に記す…

このあとはお待ちかね、鑑賞後雑記コーナー!


鑑賞後の雑記

鑑賞後(というかスタッフロール中に離席)、我慢してたトイレを済ませに便座に座って、読後感が全く湧いて来ない中メモ帳(アプリ)に文句、疑問を書いていった。
主だったテーマに分けて所感を書いていこうと思う。


主人公「グスタフ」と少年「タージオ」

おそらくこの作品の一大テーマは、「対比」だと思う。

歳を取ってしまって才能も枯れた(というのは冒頭時点ではまだ分からない)主人公。保養先のホテル、目の前に現れるのはまさしく美そのものの少年。
この二人の決定的な対比(後述)のための2時間10分なのだ!

タージオに出会った当初の主人公の内面は、後半に見られる破れかぶれの欲求とかではなく、純粋な美しさへの感嘆だったり賛美であったと思う。
その証左に、中盤辺りまでの回想には美とか芸術とかが想起されるシーンが多かった。

しかし、後半に進むと主人公の「若造り」であったり、コレラにかかってしまうのもあって特に「老い」「汚れ」(この場合の"汚れ"とはコレラに限らず、言葉本来の汚れであったり、"穢れ"と称される類も含む)という点が物語内で強調されていく。
腐りかけのベニスの街中で、ついぞタージオに追い付けずへたり込んだ主人公から出たのは笑い声…単純な自虐ともとらえられるが、この笑いこそ主人公自ら、タージオがどれ程遠い(むしろ別次元に近い)存在だったのかを自覚してしまった瞬間の笑いであると思う。

そしてついに、彼の回想の中にも老い、枯れ、汚れというイメージが現れ始める。
そしてラスト、波間へ進むタージオをカメラは超望遠で捉える。
タージオはもう既に主人公の手の内からも、視界からも消え去るほど遠くに行ってしまったんだという、非常に残酷な比喩が決まっていた。
老いた主人公から遠く、遠く離れたタージオはさらに遠くを指さす。
主人公もそれに倣おうと上体をあげるが叶わず、とうとう椅子の上で力尽きてしまう。
近くの人(ホテル従業員?)がすぐに気づくが、また近くにいた親子(と思われる)も騒動に寄せられていく。しかし状況を悟った親が子供達に対し、「来ちゃダメ!」のようなジェスチャーを送る。

思えばここは特に恐ろしいシーンだった。このワンモーションの元、まさに「老い」と「汚れ」の決定的な対比がここに完結したのだ。

この作品はこの残酷な対比のための2時間10分だったんだと、鑑賞後に確信した。

しかし映画は何ら主張することなく、力なく運ばれてゆく主人公をロングで捉えながら、映画はエンディングを迎える…

こんなんほぼ「意味がわかると怖い話」じゃん…とつくづく思った。


「少女」でなく「少年」である理由

ジェンダー、クィア的文脈を持たない自分が言うことではないかもしれないけど、一応の持論はあるので拙いながらも述べさせていただく。

上に述べたように、この作品のテーマは「対比」だけれど、それを描くなら女子でも良かったのでは?と雑記中に思い立った。少し頭を捻ってみる。

一つ考えたのは、対比の要素である「汚れ(穢れ)」を同性である主人公とタージオ、同列に考えるためなのでは?というもの。
恐らく性別によって受ける汚れはまちまちで、もしここでタージオが女子であったら「汚れ」の対比がうまくいかないのではないかというのが僕個人の意見。

加えてもう一つ、主人公の「美」に対するイメージの簡便な説明手段なのでは?というもの。
彼は肉欲や性欲(主人公のセクシュアリティは明言されないけど)らを排した状態の「美」をタージオに重ねているんです。という強い主張を鑑賞後の今は感じる。
これまたタージオが女子であったなら、少なからず性愛じみたものを二人の関係に含むことになり、その否定のためにセリフが増える…この流れを嫌って、かような二人になったのではないかと考えた(原作があるのでこの辺の考察は無意味)。

しかし、作品自体あまり性別については触れることがないようなイメージだったので、性を基準に考えている自分は考えすぎかもしれない。


…とこれらが鑑賞後の雑記になります。
ラストシーン辺り何げなく映り込む写真機については何も分かんなかった。
文化的な差で伝わってないならわかるんだけど、単に鈍いだけだったら悔しいね。

(話は変わって)後で調べたら、シーンごとの音楽にも深い意味付けがあったみたいで、これには監督のどんな要素でも使ってやるといった意思を感じた。すげえ…


総括

自分に無かった映画の楽しみ方を教えてくれた作品だった。
鑑賞後の雑記に割く時間の大切さを知れた。

まあしかし説明不足感についてはやっぱり了承できない。ここを捉え方の「遊び」として、自由な受け取り方を提供してるってのは分かるけど、そこが気になって作品すっぽかしたら元も子もないよね。

でもこうして色々考えるの楽しかったし文字書きの練習にもなってnote記事も増えてよかった。
また感想記事かくかもね。

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