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機動戦士ガンダム 戦いの前 それぞれの場所

 1979年に放映された「機動戦士ガンダム」第1話が始まる前のお話です。一年戦争がはじまる前、はじまってからガンダムが大地に立つまで、それぞれに一人ひとりが経験していたことを、描きつらねた短編集です。


#1 ブライト・ノア 0079.2.14 Let It Be

The Beatles "Let It Be" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.2.14@リバプール

「ねえ、バカなの?」とその日、ブライトに向かって彼女は言った。
「確かに私、あなたのことを、つまらない人って言ったりしたけど、そういう意味じゃない」
「じゃあ、一体どういう意味なんだ」
「軍隊に入るだなんて、私はそんな冒険を求めてるわけじゃない、ってことよ」
「冒険?」

 港とフットボールとビートルズ。それが、彼の生まれ育った街の、ほとんどすべてだった。誰もが一度はボールを蹴り、ギターを手に取り、あるものはそこに自分の道を見出し、あるいはそこに行き詰まりを感じてそこから立ち去る。旧世紀時代から、ずっとそうだった。王制が廃止されても、北アイルランドに築かれていた分離壁が取り崩されても、ヨーロッパが一つの自治共同体になっても、人々が宇宙へ生活の場を広げ始めても、それは変わることがなかった。

 彼もまた、幼い頃からボールを蹴り、10代でギターを手に取って、それぞれを試してみた。ギターの方は、なんとかコードを爪弾く以上の能力を身につけることはできなかったが、フットボールには、それよりもずっと熱中した。小学生の頃から地元のチームでプレーをし始め、サイドバックというポジションに自分を置いた。それは、自分に合っていると彼は思った。人一倍走り、守備で体を張らなければならないけれど、攻撃を組み立てていくという面白さがあった。

 しかし、高校を出る頃には、彼は自分自身がどれほどのものか、見極める目も身につけていた。父親にも言われた。おまえは、人が自分の思うように動かないといって、よく怒っているな。そうじゃない。人を動かすには、相手を納得させるだけの考えを伝えて、それを共有しなければならないんだ。
 その通りだった。彼は、時折自分の思うようにいかないことがあると、怒りを爆発させてしまうのだった。チームワークは、自分に向いていない、と彼は思った。

 もう一つ、気づいたことがあった。彼はときに劇的な展開を見せ、激情で盛り上がるフットボールのある瞬間が好きだったが、それよりも、その瞬間のためにコツコツと分析を積み重ねたり、なぜそうなったのかを考察する方が、もっと好きだったのだ。だから、プレイヤーよりも監督になってみたかった。だが、そこに至る実績を積み上げることが、彼にはできそうにないこともわかっていた。しかし、それなら別にフットボールでなくてもよかった。

 彼が悩んだ挙句、父や祖父と同じ、法曹界をめざして大学の法学部へ進学したのは、そういう理由だった。怒りが、ときに原動力になることもある、と弁護士事務所で働く父は言った。義憤によって動かされる、それが必要とされるときもあるのだから、と。

 大学に入ってしばらくして、彼はアンという同級生と親しくなった。きっかけは、たまたまある講義のグループワークで一緒になったことだった。そこでは互いに議論をぶつけ合ったりもしたが、ものの見方や考え方が似ている、と彼は思った。それ以上に、彼ならばカチンと来て怒りをぶつけてしまいそうなところで、彼女が笑顔を見せながら、やんわりと互いを諭しつつ、場を和ませる器量を持っているところに、心惹かれた。そして二人は、付き合うようになった。

「あなたは、真面目ね」とアンは言った。
「他の学生と違って、地に足がついているみたい」
 そこが好きなの、と彼女は言った。しかし、しばらくすると、言い方が変わった。
「あなたって、つまらない人ね」
 ブライトは、自分は何も変わっていない、彼女の自分を見る目が変わっただけだと分析して、怒りを抑えようとした。そういうことがしばしばあり、ときに衝突してしまうこともあったが、そんな小さなぶつかり合いを吹き飛ばすようなことがやがて起こった。

 年越しのカウントダウンを楽しもうと、多くの学生が大学構内の広場に集まっていたときだった。年明けと同時に、花火が打ち上げられることになっていた。ブライトも、アンとともにそこにいた。もうまもなく、宇宙世紀0079年に向けてのカウントダウンが始まろうとしていた。誰かが言った。ねえ、見て。何か見えるわ。火の玉みたいなものが。

 そのとき、真夜中の空が真昼のように明るくなった。隕石か? 隕石が落ちたのか? と誰かが言った。そのあとも、まるで夜空に雨が降っているかのように、細かい光の筋が降り注いだ。集まっていた学生たちは、その光景の美しさに歓声を上げた。誰一人として、それが自然現象ではないことを疑うものはいなかった。そのあと、学生たちは新年を祝って夜通し大騒ぎした。ブライトも、アンとともにその場にいて、しこたま飲んだ。彼女に「つまらない人」と言われないように。

 しかし次の日、彼は学生寮のルームメイトに叩き起こされ、昨夜見た流星群の正体をニュースで知った。彼らが歓声を上げながら見ていたのは、確かに宇宙空間に存在していた固形物質が、大気圏に突入した際の摩擦で高熱を発して光る火球に違いなかった。しかし、それは自然物ではなかった。現に数百万人がそこに暮らしていたはずの、スペースコロニーの破片だった。

 大学に、連邦軍士官候補生の募集の知らせが入ったとき、彼は自分の心の中で燃えている怒りを鎮めるには、これしかない、と思い立った。「敵」に対する怒りではない。宇宙で人々の命が散らされているとき、そうとは知らずに、その光の輝きに歓声を上げていた自分に対する怒りであった。
 両親よりも先に、彼はその決意をアンに話した。そのとき、彼女は言った。

「ねえ、バカなの?」

 予想外の言葉に、ブライトは一瞬何を言われたのかわからずにいた。本当に?とか、どうして?とか、そういう言葉が返ってくると思っていたからだ。

「確かに私、あなたのことを、つまらない人って言ったりしたけど、そういう意味じゃない」
「じゃあ、一体どういう意味なんだ」
 思わず、語気に力がこもる。
「軍隊に入るだなんて、私はそんな冒険を求めてるわけじゃない、ってことよ」
「冒険?」
「だって、そうでしょ。チームを組んで、敵をやっつけに行きたいんでしょ」
 ブライトが、首を振った。
「まさか。君も一緒に見てたじゃないか、あの年越しのカウントダウンのとき、スペースコロニーが地球に落ちていく光を。そんなことをされて、黙っていつも通りに暮らしてろっていうのか?」
「言ってることはわかるわ。だけどブライト、だからってあなたが、武器を取って戦う必要がどこにあるの」
「ジオン軍は地上に降下して、次々に各地を占領し始めているんだ。逆に聞きたいね、そんなときに、なぜ武器を取って戦うことをしないのか」
「だって、レビル将軍って人が演説してたじゃない。『ジオンに兵なし』って。宇宙ではどれだけ強くても、地球に降りた彼らが、同じように戦えると思う? 国力だって全然違うのよ。あなたが行かなくても、何の問題もない」
「そんな理由で、俺をバカ呼ばわりするのか」
 ブライトが、言った。
「戦争に行って、死んでほしくないのよ」
 彼女の声は、少し震えていた。だが、そのとき彼は気づいた。彼女はブライトが死ぬことではなく、その結果自分が辛い目に遭うのを避けたい、と思っていることに。

 低い声で、彼は言った。
「俺は君の言うように、バカかもしれない。つまらない人間かもしれない。だけど、俺はあのとき、落ちていくコロニーを見ながら笑っていた自分のままで、残りの一生を終えたくないんだ」
 そんなの、仕方ないじゃない。知らなかったんだから。彼女に背中を向けたとき、そんな言葉を聞いた気がする。

 けれど、ブライトはもう振り返らなかった。


#2 キャスバル・レム・ダイクン 0078.8.15 Behind the Mask


YMO "Behind the Mask" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0078.8.15@ズム・シティ

「シャア、どうした。急に黙りこくるなど、君らしくないな」
 人差し指に、少し伸びた前髪を絡ませながら、ガルマが言った。
「君にも、怖気付くことがあるとは」
 そのときはじめて、彼は親友だったその男に震えるような殺意を覚えた。

 17歳で、エドワウ・マスは育ての親の元を離れ、<サイド3>に入国した。その前に立ち寄った<サイド6>のコロニー、リボーで彼はシャア・アズナブルという名前とIDカードを得た。代わりにそれまでその名を名乗り、IDカードを持っていた同い年の少年はエドワウ・マスとなってどこかへ去っていった。すべて、<サイド3>にジオン共和国を建国した父、ジオン・ダイクンの側近だったジンバ・ラルとその背後にある組織の仕組んだことだった。

 新しくシャアと名乗ることになった少年は、もともとの名をキャスバル・レム・ダイクンといった。暗殺されたジオン・ダイクンの息子であった。父の死後、政権はジオン・ダイクンが後継者に指名したとされたとされる政治家デギン・ザビにより、ザビ家を頂点とした軍事政権と化していき、やがてジオン公国を名乗るようになった。それは、地球連邦という枠組みの中では許されざることであった。<サイド3>の中で生じた軋轢は、日を追うごとに大きくなり、ジオン・ダイクンを支持していたダイクン派の者たちは、次々に謎の死を遂げ、あるいは迫害の末<サイド3>を去っていった。ジンバ・ラルがジオン・ダイクンの二人の遺児、キャスバルとアルテイシアを地球へ逃れさせ、マス家の養子としてエドワウ、セイラと名乗らせたのも、それが理由だった。エドワウと名乗ることになったキャスバルは、ジンバ・ラルから、いつかザビ家から父の建国した国とその政権を取り戻すことを託された。ザビ家への復讐、それが少年の生きる道となった。

 しかし彼自身は、父の死をどこか他人事のように感じていた。もともと、政治家として、というより革命家として精力的に活動してきた父ジオンは、彼にとっては同じ家に暮らしながらもどこか遠い存在だった。多忙に過ぎる父と、ともに過ごす時間はまれにしかなかった。母と妹、それが自分の家族だと彼は思った。父は、家族よりももっと大事なもの、大きいものを背負っているのだ。
 だから、父の死よりも、その後を追うように逝ってしまった母の死の方が、彼にとっては大きな打撃だった。ジンバ・ラルが彼と妹を世間の目から隠すようになり、彼が心を開ける相手は妹の他誰もいなくなってしまった。そして兄妹は地球へ逃れた。これまで<サイド3>で生きてきた事実を隠し、本当の自分の名を隠して生きることを彼らは強いられた。本当の自分に帰れるのは、兄妹の二人でいるときだけになってしまった。

 旅立ちの日、「兄さん、キャスバル兄さん、なぜ、行っちゃうの?」と、もう15歳だというのに、まるで幼い子供のように、妹のアルテイシアは泣きじゃくった。
「兄さんが行くなら、私も一緒に行く。私も一緒に戦わせて?」
 彼女はそう言って彼のトレンチコートの袖を握りしめた。彼は、行き先も目的も、一言も彼女に話したことはなかったが、勘のいい彼女は、気づいていたのだ。彼は首を降って、その手を振り解くしかなかった。
「だめだ、アルテイシア。おまえは争うことが大嫌いだろう? 戦いなんて、おまえには似合わない」
 彼は、涙に濡れた妹の頬に手を当てて、言った。
「目的を果たして平和になったら、必ずおまえを迎えに来るから。だからここで待っているんだ」
 いやよ、兄さん。ひとりぼっちで待つなんて。最後に彼女は、そう言った気がする。旅立つ彼にとって、ただその妹との約束だけが、先をゆく彼の支えであった。

 シャア・アズナブルとなった少年は、<サイド3>ジオン公国の首都、ズム・シティで随一の名門校に転入した。そのときから、彼は素顔をマスクで隠すようになった。そこから彼は設立されて間もない士官学校へ進学した。もともとは宙域警備隊といい、<サイド3>の宙域の人命、資産を保護し、航行の安全を保障し、そして事故や災害が発生した際には捜索・救難活動を行うことを任務とする組織だった。だが、ジオン・ダイクンの下で、脱連邦と自治体制確立を目指して組織は「ジオン化」され、デギン政権の下で軍事組織化されて「ジオン公国軍」となった。士官学校もそのとき、設立された。

 そこで、彼はザビ家の三男、ガルマ・ザビと出会った。シャアと名乗るようになってから、ザビ家の人間と接する初めての機会であった。ジオン・ダイクンの息子であったとき、彼はデギン・ザビの四人の子供たちとも面識があった。同い年のガルマのことも、覚えていた。人を疑うことを知らない、天真爛漫な少年だった。彼はまったく疑われることなくガルマに近づき、親友となった。
 ガルマはそれだけでなく、シャアにとって格好の情報源になった。新兵器として人型機動兵器<モビルスーツ>が導入されることになったのも、その新兵器導入が、地球連邦に対する戦争を仕掛け、勝利するという目的を持っていることも、彼は公式発表の前にすべて親友から聞いていた。シャアは迷うことなく、モビルスーツのパイロットコースを選んだ。戦功を上げ、将官となっている親友のきょうだいに近づくことが、復讐への近道だと彼は考えていた。

それは、8月半ばのことだった。本来は4年となっていた士官学校の在学期間が2年に繰り上げられ、彼らは卒業式を迎えた。そして、9月の入隊までの1か月の間、休暇が与えられた。シャアは、士官学校卒業生がみなそうであるように、少尉の階級を与えられた。新米少尉らの間では、年明け早々にもいよいよ開戦かと、まことしやかにささやかれていた。シャアもそれはあり得ると思っていた。
 だが、地球連邦と<サイド3>ジオン公国との国力の差は圧倒的だった。電波妨害物質であるミノフスキー粒子の散布による有視界戦闘、という方式により圧倒的優位に立てる、という目算を、彼らは指導教官らから聞かされており、同期生らははやくも勝利を確信して浮かれ気分だったが、シャアはそれを信じる気にはなれなかった。たったそれだけのことで、圧倒的な国力差を埋めることができるというのか?

 招かれた親友の邸宅の一室で、ガルマがいよいよ開戦だ、シャア、と話しかけてきたとき、シャアは彼なら何か知っているはずだ、と思い、その疑問を口にした。するとガルマは目を見開き、次にくすくすと笑いながら言った。
「なんだ、最近浮かない顔をしていると思ったら、そんなことで悩んでいたのか」
「別に、悩んでいるわけではない。ただ、疑問に思っただけだ」
 ガルマは、彼の方に向き直ると、耳元に顔を近づけて、ささやくように言った。
「落とすのさ、コロニーを」
 えっ? 一瞬シャアは、我が耳を疑った。
「地球に、コロニーを落とすんだ。宣戦布告と同時にね。それが兄上‥‥、いや、ギレン・ザビ総帥の戦争計画なのさ」
 地球に、コロニーを、‥‥落とす? 彼は頭の中で、ガルマが放った言葉をつなぎあわあせた。そして思わず、唇を噛んだ。確かに、そうだ。大質量の物質を地球に落下させることができれば、それだけで、落下地点を中心に半径数キロから数十キロを壊滅させることができるだろう。ましてや、スペースコロニーのような巨大な質量を持った物体ともなれば、地球が被る損害は計り知れない。多くの命が失われ、経済活動もストップしてしまうに相違ない。だが、彼がマスクの下で青ざめたのは、そんなことが理由ではなかった。

 もし、そんなことになったら、地球に残してきたたった一人の妹、アルテイシアはどうなる? 彼女の兄、キャスバル・レム・ダイクンとして自分は、確かに約束したのだ。目的を果たして平和になったら、必ずおまえを迎えに来る、と。その約束を果たせぬまま、二度と会えなくなってしまうのではないか。
 その一瞬の沈黙が、ガルマの気に障った。

「シャア、どうした。急に黙りこくるなど、君らしくないな」
 人差し指に、少し伸びた前髪を絡ませながら、彼は言った。
「君にも、怖気付くことがあるとは、な」
 ガルマは、唇を噛み締めたシャアの様子を見て、さも可笑しそうにクスクスと笑った。
 そのときはじめて、彼はその天真爛漫で疑うことを知らないザビ家の王子に、震えるような殺意を覚えた。
 
 しかし、その感情をぐっと一息に飲み込むと、シャアは抑揚のない声音で言った。
「そうだ。私も、人間だからな」
 なんだ?その物言いは。それだと、まるで僕は人間じゃないみたいじゃないか。戯おどけた調子でいうガルマを見ながら、彼はこの時ほど、マスクで素顔を隠す利点を感じたことはない、と思った。

 そうだ、ガルマ。数百万、数千万の人間を一気に葬る方法を、そんな調子で話せる貴様が人間であるはずがない。

 アルテイシア、と彼は心の中で叫んだ。兄の自分に、おまえを助ける手立てはない。ただただ、生き延びてほしい。俺は、目の前にいるこの男を、必ず殺す。そしてその背後にいる「悪」を。

 そのとき、仮面の下でキャスバル・レム・ダイクンは死んだ。


#3 アムロ・レイ 0078.12.25 Heartbeat


Aswad "Heartbeat" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0078.12.25@サイド7

 今夜も一人だ。それはいつも通りのことのはずだった。けれど、なんだかいつもとは違う。寒くはないのに、肌がピリピリするような気がする。
 そのとき、ハロが目を瞬かせながら、言った。
「アムロ、ヒトリ。ひとりボッチ。アムロ、サビしい。サビしい、カ?」
 コトン、と心臓が、大きな音を立てた。

 初めて宇宙に上がったのは、5歳のときだった。父親の勤め先がスペースコロニーに移ったからだった。出発の日、母がこう言ったのを、アムロは覚えている。
「ごめんね、アムロ。私は宇宙の暮らしって馴染めなくって」
 それ以来、年に一度、誕生日に送られてくるカードだけが、母という存在がいることを思い出させてくれる唯一のものになっていた。
 アムロの父は宇宙工学が専門で、コロニーや宇宙ステーションの建設に関わっている、と聞いていた。そのせいだろう、彼はアムロを連れて、地球圏のあちこちのサイドを転々とした。1年か2年で引っ越しを繰り返し、その都度転校を余儀なくされた彼には、友達といえるような人間関係はなかった。父親は決して無精な人間ではなかったが、仕事が忙しく家庭を維持するのが困難だったため、家事に関することはできる限り外注した。だから、アムロは父の帰りが遅くても、休日に一人で家に残されても、不自由を感じたことはなかった。その代わり、だったのだろうか、父は彼の欲しがるものを何でも買い揃えてくれた。彼は、何かを使って遊ぶよりも、自分のアイデアで作り出すことに、幸せを感じた。いつの間にか、彼の部屋は道具や素材でいっぱいになった。

 <サイド7>に引っ越してきたのは、宇宙世紀0078年9月のことだった。まだ建設途中でね、コロニーが1基あるだけなんだ、と父のテム・レイは言った。新しい家は、これまでの無味乾燥な集合住宅とは違って、庭らしきもののある二階建ての一軒家だった。引っ越しの荷物を家に運び入れているとき、通りがかった少女が様子を見ていることに気がついた。目が合うと、その少女はにっこりと笑って言った。
「こんにちは。今日、引越し? 私、隣に住んでる、フラウ・ボゥです。よろしく」
 アムロはキョロキョロと周囲を見回したが、自分の他に誰もいなかったので、彼女が自分に話しかけているのだとようやく悟った。
「あ‥‥うん、あ、僕はアムロ・レイ。よろしく‥‥」
 彼女は、まだ何か聞きたいことがありそうな様子だったが、アムロはそれを無視して家に入った。頭の中は、作りかけのロボットのことでいっぱいだった。煩雑な引っ越し作業をできるだけ早く終わりにして、彼は製作を続けたかった。

 お隣さんの少女とは、学校で同じクラスになった。必然的に、学校でも、通学途中でもよく顔を合わせるようになった。朝、学校に行く時や、学校からの帰り道、それが当たり前であるかのように、彼女は一緒に歩くようになった。そして、いろんなことを聞いてきた。ねえ、家族は? お父さんと二人暮らしなの? ここに来る前は、どこに住んでたの? 掃除とか洗濯とか、どうしているの?
 なぜそんなに、僕のことをいろいろ聞くの? とアムロは尋ねた。やだ、と彼女は言った。だって、学校に友達もいないみたいだし、家でもほとんど一人みたいだし、寂しくないのかなと思って。
「寂しい? うーん、別に」と、アムロは答えた。口にはしなかったが、寂しい、という意味がよくわからなかった。確かに一人でいることが多いけれど、自分の好きなことをして、それで楽しいんだから、何の問題もないじゃないか。

 いつも、家で何してるの? と彼女が聞いた。いろいろ、自分で考えてメカを作ったりしているんだ。そう言うと、彼女はきらきらと目を輝かせた。
「メカ? 例えばどんな?」
「今作っているのは、自律型のロボット。ボールみたいな形をしていて、手足がついてて、ペットみたいに、いつもあとからついてくるんだ」
 アムロは、自分がしていることに彼女が興味を持ってくれたのがうれしくて、そのロボットのことを、いつになく調子に乗って話してしまった。しばらくして、彼女のポカンとした表情に気づいて、アムロは黙った。
「あ‥‥、ごめん」
「えっ、どうして?」フラウ・ボゥが言った。
「僕ばかり、一人でしゃべってて、つまんなそうな顔をしてたから」
「そうじゃないわ、アムロはそういうことが好きなんだなーって、すごく楽しそうに話していたから、そう思ったの」
 そして、笑顔を見せると、言った。
「ねえ、そのロボット、出来上がったら私にも見せてくれる?」

 その日が来た。アムロは学校の授業が終わって帰りがけ、フラウ・ボゥに声をかけた。
「あの‥‥、フラウ・ボゥ、この前言ってたロボットが、出来上がったんだけど‥‥」
「ほんと?」彼女が、明るい声音で言った。
「じゃあ、今から見に行ってもいい?」
 
 アムロは、彼女を自宅の、自分の部屋に招き入れた。父親とハウスキーパー以外、誰かが家の中に入ってくるのは初めてのことだった。彼女はきょろきょろと部屋を見回すと、作業台の上に置かれた、ボールのような丸い物体を見つけて、言った。
「これなの?」
「うん、ハロっていうんだ。呼んでみて」
 彼女は、アムロがハロと名付けた丸いロボットに、呼びかけた。
「ハロ、こんにちは、ハロ」
 その丸い物体に、まるで目のようにつけられた小さな二つのライトが、その声に反応して赤く点滅した。そして、ボールが転がるようにコロコロと台の上を転がると、上下に二つずつついたハッチのようなものが開いて、手足を出した。
「ハロー、アムロ、ハロー、‥‥キミ、ダレ?」
「まあ、しゃべったわ。ハロ、私、フラウ・ボゥよ。アムロの家のお隣りさんなの。よろしくね」
「ハロー、フラウ・ボゥ、おとなりサン、トモダチ。ハロ、フラウ・ボゥ、トモダチ」
「すごいわ、アムロ。ねえ、ペットみたいに、ついてくるのかしら」
「やってみなよ」アムロが言った。
「じゃあハロ。一緒についてきて」そう言うと、フラウ・ボゥは部屋を出て、階段を駆け降りていった。アムロは、彼女がわあっ、と歓声を上げるのを聞いた。ハロは、左右についた丸いハッチを翼のようにして、飛んだのだ。
「友達、か」と一人、アムロはつぶやいた。
「そっか、‥‥友達って、こういうものなのか」

 その年の11月4日、目覚めると、ハロが言った。
「アムロ、バースデー、アムロ、ハッピーバースデー」
 そうだよな、とアムロはつぶやいた。自分で、そういうように作ったんだから。
 母から誕生日を祝うカードは届かなかった。きっと親父が、新しい住所を伝えていなかったんだろう、とアムロは思い、それ以上そのことを考えないようにした。その日も父親は、帰りが遅くなると言っていた。学校からの帰り道、フラウ・ボゥが彼を追いかけてきて、息を切らしながら言った。
「ねえ、アムロ。今日、誕生日でしょう?」
「うん‥‥、でも、どうして、僕の誕生日を知ってるんだ?」
 うふふ、と笑うと、フラウは言った。
「教えてもらったのよ、ハロに。ね、おうちでお祝いしたりする?」
「しないよ、そんなこと」アムロが言った。
「父さんは、僕なんかより仕事の方が大事なんだ」
「ふうん‥‥、じゃあアムロ、うちに来ない? 私んちで、誕生日をお祝いしてあげる」
 いいよ、そんなの。そう言おうとして、アムロは思いとどまった。友達だったら、それもいいんじゃないのかな‥‥
 彼はフラウ・ボゥの招きに応じ、そこではじめて、家族が揃うということや、自分の誕生日を祝ってくれることの温かさを知った。


 次の日の朝、アムロは先に朝食を済ませて出かけようとする父を呼び止めて、言った。
「今年は、母さんから誕生日のカードが来なかったけど、父さん、母さんに新しい住所、知らせた?」
 ん? と首を傾げると、父は言った。
「おまえも、もういい年なんだから、それぐらいのことは自分でしないとな」
「昨日は、隣のフラウ・ボゥのところで、お祝いしてもらったんだ」
 そうか、と父は熱のこもらない声で言った。おまえにも、いい友達ができたようだな。どうして、そんなに忙しくしているの、とアムロは聞いたが、それには答えず、父は出勤していった。

 クリスマスの朝、父はアムロに言った。実はな、アムロ。父さんは地球連邦軍の下で技術士官として働くことになったんだ。ひょっとすると、近いうちに戦争が始まるかもしれん。そのための備えを、せねばならんのだ。おまえには悪いが、覚悟をしておけ。
 何の覚悟だろう、とアムロは思った。戦争だろうと何だろうと、いつだって僕は一人じゃないか。

 キッチンの白々とした照明光が、まるで冷たく皮膚にささるような気がした。ほんのりとしたオレンジ色の、触れると暖かく感じるような、フラウ・ボゥの家の灯りとは、全然違う、とアムロは思った。
 今夜も一人だ。それはいつも通りのことのはずだった。けれど、なんだかいつもとは違う。寒くはないのに、肌がピリピリするような気がする。
 アムロは両手を広げて、その指先を見つめた。違う、そこじゃない。ピリピリしているのは、そこじゃなくて‥‥
 そのとき、ハロが目を瞬かせながら、言った。
「アムロ、ヒトリ。ヒトリボッチ。アムロ、サビしい。サビしい、カ?」
 コトン、と心臓が、大きな音を立てた。そうか、これか。これがフラウの言ってた、寂しいってことなのか‥‥

 そのとき、電話が鳴った。フラウ・ボゥからだった。
「アムロ、今日も一人なの? せっかくのクリスマスでしょ、よかったら、うちで一緒に食事しないかって、母さんが言ってるの」
 また、コトンと心臓が音を立てた。誕生日に祝ってくれた、フラウの温かい家族を思い出して、心の中がまたピリピリと痛んだ。
「いいよ」と、アムロはぶっきらぼうに答えた。
「別に、寂しくなんかないし、僕のこと、いちいち構わなくていいよ」
 フラウが何か言っていたけど、彼はそれ以上聞かずに電話を切った。今、あの温かい空気の中に入っていったら、僕はきっと泣いてしまうだろう。アムロは、そんな自分を見られたくなかった。

 その夜、アムロは眠ることができなかった。頭の中で、ぐるぐると思いがめぐっていた。なぜ、フラウにあんなふうに言ってしまったんだろう。せっかく、優しい声をかけてくれたのに。一人でいる自分を、気にかけてくれたのに。そのとき、ハロが言った。
「アムロ、トモダチ。フラウ・ボゥ、トモダチ、ダロ」
 わかったよ、ハロ。そういうと彼は起き上がり、ハロを手に取って作業を始めた。

 次の日、アムロはハロを連れて、隣のフラウ・ボゥの家を訪ねた。
「あら、どうしたの?」と、フラウはいつもと変わらない様子で言った。
「うん、‥‥えーと、あの‥‥」言葉に詰まりながら、辛うじてアムロは言った。
「昨日は、ごめん。せっかく誘ってくれたのに」
「いいのよ、誰にだって、一人でいたいときがあるもの。そうでしょ?」
 彼女の笑顔に、アムロは救われた気がした。足元で転がっているハロを手に取ると、彼女に差し出して言った。
「これ、君に」
「えっ? ハロを、私に?」
「うん‥‥、君に合わせて昨日、プログラムし直したんだ。1日遅れたけど、クリスマスプレゼントにしようと思って」
 彼女が、満面の笑みを浮かべて言った。
「ほんとに? うれしい。ありがとう、アムロ。でも、いいの? 自分のために、作ったんでしょ?」
「いいんだ、自分のは、欲しいと思ったらいつでも作れるから」
 アムロは言った。でも、本当に思ったことは、言わずにおいた。もう、一人じゃないから。僕にも君という、友達がいるから。

 笑っている君を見て、はじめて「寂しい」という言葉の意味を、知ったから。


#4 イセリナ・エッシェンバッハ 0079.5.03 
   You Make My Dreams



Daryl Hall & John Oates "You Make My Dreams" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.5.03@ニューヤーク

「ん? 何か私は、おかしなことを言ったかな?」
「いいえ」と彼女は、肩をすくめる。
「ただ、思ったの。私とあなた、生きてきた世界も価値観もまるで違うけれど、根っこは同じね」
「根っこ?」とガルマが聞き返す。
「ええ、そう。根っこ」とイセリナは繰り返した。
「親に認めてもらうために、一生懸命何かを演じている、ってことよ」

 その都市にも大規模な空爆が行われたあと、占領軍がやってきて、市の名前がニューヤークに変わった。市長のエッシェンバッハは憤慨したが、ジオン軍が占拠した市の議事堂で市名をロスアンゼルスからニューヤークに変更する、という最後の議事が賛成多数で可決されると、その場で市長職を辞し、会議場をあとにした。地球連邦軍が防衛していたはずだったが、もはや北米大陸からは、その姿を消していた。本部があるといわれる南米・アマゾン川流域と、中国、中東の一部とアフリカ大陸のほぼ半分、それに、辛うじて全域にジオン軍が降下してこなかったヨーロッパを死守するのに、精一杯だったからである。北米大陸は、ジオン公国軍地球方面軍司令官、ガルマ・ザビ大佐の統治下に入った。職を辞した父はヨーロッパへ避難するもの、とイセリナは思っていた。だが私には、市民を守る責任がある、と父は言った。そして、母と娘には、地球連邦軍の勢力下の地域へ避難するように言った。イセリナは、そのときはじめて、父に反抗した。いいえ、お父様がここに残るなら、私も残ります。友人たちも、みんな苦しい思いをしながら、この街に留まっているの。私だけ、逃げるなんてできないわ。

 イセリナは、地元名門校に通う学生だった。親が富裕層の学生の多くは、連邦軍の勢力下にある地域へ避難していたが、残っているものも少なくはなかった。しかし、爆撃を受け瓦礫の山となったその街では、もやは勉学どころではなくなっていた。彼女は、娯楽産業によって発展してきたこの街で、女優になるのが夢だった。他のどこへも、行きたくはなかった。彼女は他の学生たちとボランティア組織を作り、戦災で住処を失った市民に食糧の配布や炊き出しを始めた。その炊き出しのテントで、彼と出会った。

 その日も、炊き出しには多くの人が列を作っていた。チリビーンズにホットドック、そしてシーザーサラダ。なんとかかき集めた食材で、200人分ほどを用意した。
 そのテントの前に、大型の装甲車が停まると、そこから兵士が数人降りてきた。列をかき分け、給仕しているイセリナらの前に立ちはだかる。身構えた学生らが、兵士らに向かって言った。
「何を見ているんだ。ここは、あんたらの来るところじゃない。みんな、あんたらのせいで、家も家族も失った。今日1日を生きる希望もな」
「そうかそうか、そりゃ悪かった」と兵士の一人が言った。
「だが、なかなかのもんじゃないか? うまそうだ。俺たちも、ちょうど腹が減っていたところだ。なあ?」
 馬鹿いえ。おまえらに食わせるものはない。そう言う学生の横に立っていたイセリナは、後ろから、パイロットスーツ姿の年若い軍人が近づいてくるのを見ていた。
「ちょっと待って」とイセリナは喧嘩腰の学生を止めに入ると、ジオンの兵士たちに向かって言った。
「この列に並んでさえくれれば、あなた方にだって、食べる権利はあるわ。私たちの国は、あなた方の国と違って、何人にも自由と平等が保障されているのだから」
「それは、面白い理屈だね」後ろからやってきた軍人が言った。
「この人の言う通りだ。軍の食事に不満があって、ここで腹を満たしたいなら、君たちも、秩序を守って列に並びたまえ」
「し、失礼しました、大佐」兵士たちはそう言うと、さっと背筋を伸ばして敬礼をした。その軍人は、笑顔を見せると彼女に言った。
「部下の非礼を、お赦しください、お嬢さん。私は地球方面軍司令官の、ガルマ・ザビ大佐です」
 握手しようと差し出したその手を、イセリナは無視した。
「せっかくの機会だ。この地の統治責任者となった私に、ぜひ聞かせてほしいのだ。君たちが今、必要としているものは何か」
「聞く相手を間違っておいでと思いますわ」イセリナが言った。
「すべてを把握しているのは、あなた方が追い出した、前の市長‥‥、私の、父です」

 その夜、少し興奮した様子で、父が言った。
「あのザビ家の御曹司が、私に会いたいと言ってきたのだ」そして、イセリナの方に顔を向けた。
「おまえにも。ぜひ娘さんとご一緒に、と。これは一体どういう風の吹き回しだ?」
 彼女は父に、今日あったことを話した。父はそれを聞くと、深く頷いて、にやりと笑った。
「明日、ガルマ大佐と面談の予定だ。その、ボサボサした髪をきちんとセットしておけ。服装もだ。相手はジオンの貴公子だ。失礼のないよう、ドレスアップしてくるように」
 イセリナは、カレッジTシャツにジーンズ、という自分の格好に目を落とし、肩をすぼめた。
「女優を目指しているのだろう。イセリナ。貴公子を惑わす姫君になったつもりで、来るのだ」

 会見を終えた父がガルマ大佐の執務室から出てくると、副官のダロタ中尉が「では、イセリナ様、どうぞ」と彼女を呼んだ。中へ入ると、壁一面の大きさの、ガルマ大佐の肖像画が目に飛び込んでくる。彼女は吹き出しそうになるのをこらえながら、かつて観た映画で高貴な身分の人物にそうしていたように、片膝を曲げ、もう片方の脚を後ろに引いてお辞儀をした。少し驚いた様子で、ガルマが言った。
「思った通りだ、昨日炊き出しのテントで出会ったときは、庶民的な服装をしていたけれど、君の持つ高貴さが滲み出ていた」
 光栄です、殿下。そう言ってイセリナは顔を上げた。そこには豪奢な金モールで装飾されたジオン軍の軍服に身をつつみ、やわらかい笑みを浮かべた貴公子がいた。
「父君には無理なお願いをしてしまった。でも、どうしても、もう一度君に会いたくて」と彼は少し照れたように笑った。本物の紳士だわ、と彼女は思った。いけない、と思ったのは一瞬だった。もう、彼女は恋に落ちていた。

 彼女は時折ガルマ大佐に呼び出され、人目につかないところで時を過ごした。彼は、イセリナの父には同年代の若者からも話を聞きたいから、とその理由を説明していた。そして私はこの街を、ジオンの臣民と地球連邦の市民が共存共栄する理想の都市にしたい、と言っていた。父から聞いたの、素敵な考えね、とイセリナは言った。私の父の考えなんだ、とガルマは言った。でも、姉上は違う。姉上は占領地をジオン化すべく、動いている。これまでは地球からエリートたちがコロニー市民を支配していた。これからは、われわれジオン国民が、地球のエリートたちを支配するのだ、と。私は、その姉上の言う通りに、振る舞っているだけなんだ。そうでなければ、成果を上げられないし、成果を上げなければ、父上の願いも叶えられないからね。

 ふふふ、と思わず彼女は笑った。
「ん? 何か私は、おかしなことを言ったかな?」
「いいえ」と彼女は、肩をすくめる。
「ただ、思ったの。私とあなた、生きてきた世界も価値観もまるで違うけれど、根っこは同じね」
「根っこ?」とガルマが聞き返す。
「ええ、そう。根っこ」とイセリナは繰り返した。
「親に認めてもらうために、一生懸命何かを演じている、ってことよ」
「確かに」ガルマは言った。
「確かに、私はそうだ。君といるときだけ、自分に帰れる気がする。でも、君は? 君も何かを演じているのかい?」
 イセリナが、うなずいた。
「炊き出しのときの私をご覧になったでしょう? ボサボサした髪に、Tシャツにジーンズ。本当は高貴でもないし、姫君でもありませんの。でも、父が本物の貴公子の前で、姫君を演じてみろって言うものですから」
「それは、面白いね。でも、なぜ?」
「そうすれば、女優になるという夢を、父も認めてくれると思いましたの」
「それは、素晴らしい」その貴公子が、身を前に乗り出すようにして言った。
「私にとって、君はこの街の姫君そのものだ」
 イセリナが、微笑むと言った。
「ガルマ様は‥‥、ガルマ様はどんな夢を?」
「私? 私は‥‥」彼は少し言葉に詰まり、首を傾げると人差し指に前髪をから目た。
「夢なんて、見たことはなかった。私はザビ家の男として父を支え、軍人となるように定められていたから」
「まあ、なんてこと。ジオンでは、夢を見る自由もないのね」イセリナが言った。
「でも、ここでなら、夢を見たっていいのよ。もっとも、あなたがたの軍の空爆のせいで、夢見るどころではなくなってしまったけれども」
 虚ろだったその貴公子の瞳に、何か輝くようなものが見える、と彼女は思った。そうだ、彼は言っていたではないか。この街を、ジオンの臣民と地球連邦の市民が共存共栄する理想の都市にしたい、と。

 同じ夢を、自分も見てみたいと、イセリナは思った。


#5 カイ・シデン 0079.2.12 Original Sin


INXS "Original Sin" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.2.12@サイド7

「カイ、俺は行くことにしたよ」
 フェンスの向こうに聳える、その巨大な壁を見ながらミゲルは言った。カイは、肩をすぼめた。
「俺は、面倒はごめんだ。軍隊なんて、真平だ。逃げるは恥だが役に立つのさ」
 彼は隣に立つ少女に気づいて、声をかけた。
「そう思わないか。え? そこの金髪さん」
 少女は彼を見て、言った。
「恥と思うくらいのプライドはあるのね」

 ハイスクールからの帰り道、同級生のミゲルがいつになく暗い表情で、カイ・シデンに言った。
「実はさ、カイ。俺ちょっと、迷ってるんだよね」
「迷うって、何に?」
「あの話さ、‥‥俺、もう18歳だからさ」
 彼は、最近クラスでもなんとなく話題になっている話を思い出した。地球連邦軍が、18歳以上の健康な男女から、志願兵を募っている、兵役は1年で、除隊すれば自身と家族に、地球市民権が与えられる、という、例の話を。
「親父はそんなのに応じる必要はない、っていうんだけど、こうも言うわけ。今のうちなら、まだ現役の兵士や軍人がたくさんいるから、後方支援部隊で一年すごせるぞ。それで、地球に住む権利が得られるなら、自分の将来も開けるというもんじゃないのか?ってね」
「まあ、一理あるな」と、カイは言った。
「だけど、どうなんだろうな? <サイド7>みたいな、コロニーがまだ1基しかない辺境に、ジオン軍がやって来るとも思えんが、なあ?」

 <サイド7>にカイの一家が移住してきたのは、つい半年前のことだった。いい仕事が見つかってな、と父は言ったが、それが嘘であることが、カイにはわかっていた。<サイド3>がジオン公国を名乗り、独立を求めて戦争準備を始めている、というニュースが飛び交う中、彼ら家族の暮らしていたコロニー<サイド2>も、危ないのではないかという噂が立ち始めていた。よもや侵攻されなかったとしても、<サイド3>とは最も近いところにある<サイド2>に、防衛のため連邦軍が押し寄せてくることは疑いがなかった。現にそうした動きも出始めていた中、父は新興コロニー<サイド7>への移住を決めた。<サイド7>は地球を中心にした軌道上で、ちょうど<サイド3>の反対側に位置していた。最も離れたコロニーだったのだ。しかも、周辺空域には<ルナツー>と呼ばれる地球連邦軍の宇宙要塞があった。絶対に安全だ、と父は行った。俺は、家族が戦争に巻き込まれるような目に遭わせたくないんだ。わかるだろう?

 宇宙世紀0079年の年明けを<サイド7>で迎えたとき、カイは父の懸念が的中したことに、背筋が寒くなるような気がした。もしあのまま<サイド2>にいたら、一体自分たちはどうなっていただろう。<サイド1>と<サイド2>のコロニー数基が、開戦と同時に行われたジオン軍の<コロニー落とし>によって壊滅した。その中には、カイの住んでいたコロニーも含まれていた。
 それは、ジオン軍さえ自らの行為に恐怖するほどの戦災となった。想定外の、地球への直接攻撃を受けたことで、地球連邦政府と連邦軍とは、パニックに陥ったような状態になっていた。次いで標的となった<サイド5>では連邦軍が奮戦し、辛うじて<コロニー落とし>は防いだものの、艦隊の旗艦が拿捕され、レビル将軍が捕虜となった。連邦宇宙軍は壊滅に近い打撃を受け、もはや停戦交渉に入ることは避けられないと思われた。
 しかし、ジオン軍の捕虜となっていたレビル将軍が奇跡の生還を果たし「ジオンに兵なし」と演説したことで、状況は一変する。停戦交渉に入るはずだった南極での両軍の会見は、結局交戦規定を定める条約締結の場となり、主戦場は地球上へと移行する。辺境のコロニー<サイド7>の内部に、巨大な壁を持つ構築物の建設が始まったのは、その頃だった。そのために、一部の住民は立ち退きを命じられたともいう。

 <サイド7>に移住した後は、戦争はテレビの中の遠い出来事のように思っていたカイにとって、このコロニー内部の巨大構造物と、18歳以上の男女の志願兵募集の話は、彼を現在進行形の現実へ引き戻すものだった。彼は、ここまで逃げてきた以上、その現実と向き合いたくはなかった。しかし、同級生のミゲルは違った。
「あの壁の向こう、何ができるか知ってるか?」と彼は楽しげな様子で言った。知らねえ、とカイが言うと、ミゲルは顔を耳に近づけて、小声で言った。
「あのな、あそこで連邦軍がモビルスーツを開発するって話だぜ?」
「ほんとか?」
 ミゲルは、その黒い大きな瞳をキラキラと輝かせてた。
「もしそれが本当なら」と彼は言った。
「連邦の国力なら、量産化もあっという間さ。そうすれば、奴らは今地球に降りてて、宇宙の方はガラ空きだ。奴らが宇宙へ上がってくる前に、ジオン本国だって叩けるさ」
 カイは心の中に、何かザラリとしたものが湧いてくるのを感じた。陽気なクラスメイトさえ、こんなにも戦争のことを考えている。現実が自分を追い越していく、という焦りのようなものだった。
 ミゲルが「実は‥‥迷っているんだよね」と言い出したのは、その数日後のことだった。この辺境コロニーにいれば、安全だ。地球の市民権なんてエサに釣られるな、とカイは言いたかった。しかし、言えなかった。その代わりに、彼は言った。
「ひょっとしておまえ、モビルスーツのパイロットになりたい、とか思ってんのか?」
 ミゲルは、ただ笑っただけだった。俺とは違う、とカイは思った。


 それから3日ほどたった、放課後のことだった。
「カイ、俺は行くことにしたよ」
 フェンスの向こうに聳える、その巨大な壁を見ながらミゲルは言った。
「一年、なんとか生き延びれば地球の市民権がゲットできるんだぜ? 悪くない、と俺は思う」
 カイは、肩をすぼめた。
「俺は、面倒はごめんだ。軍隊なんて、真平だ。逃げるは恥だが役に立つのさ」
 それは、どこかで耳にした古いことわざだった。一度聞いて、カイはその五感が気に入った。
「そうさ、逃げるは恥だが、役に立つ」
 そう、得意げに繰り返すと、ふと、少し離れたところで、同じように壁を見ていた少女が、彼の方をじっと見ているのに気がついた。彼女は青い瞳に、なんともいえない憂いを湛えているように見えた。ふっと笑いを浮かべて、カイはその少女に声をかけた。
「そう思わないか。え? 金髪さん」
 少女は表情を崩さないまま、言った。
「恥と思うくらいのプライドはあるのね」
 予想もしなかった冷たい言葉に、カイはムッとして思わず言い返した。
「へー、あんた。きれいな顔してるくせに、随分と刺々しいじゃないか。何が言いたいんだ? はっきり言えよ」
「金髪さん、じゃないわ。セイラ・マスよ」彼女は言った。
「あなたも私と同じってことよ。私もここへ、逃げてきたのだから、地球から」
「なんだ、エリートさんかよ、つまらねえ」
「新天地だと思っていたわ。だけど‥‥」
 カイは、その少女の青い瞳に射竦められたように、目を離せなくなった。
「どこまでも追いかけてくるわね、現実は」
「俺たちのせいじゃない」カイが言った。
「大人たちの、失敗のせいだ。俺たちは、ただ巻き込ままれただけだ」
 彼女は、フェンスの向こうに目を向けた。そして静かに言った。
「でも、大人の失敗のツケを背負わされるのも、私たちなのよ」
 ミゲルが、カイの肩を叩いて言った。
「行こうぜ、カイ。とにかく、俺は行くことにしたんだ。 残りの日ぐらい、楽しくやろうぜ」
「お、おう」
 二人は、そのフェンスの前を後にした。カイが振り向くと、その金髪の少女はまだ、じっとフェンスの前に佇んでいた。
「いやー、カイ。すごい美人だったのに、な」ミゲルが言った。
「性格悪いぜ、絶対に」カイは言った。
「とにかく俺は、面倒はごめんだ」

 次の日、夕食のテーブルでカイは父親に切り出してみた。
「ここにも、連邦軍の軍事基地が建設されてるって聞いてさ、昨日、見に行ってみたんだ。こんな辺境に、一体誰が攻めてくるのかと思ってさ」
 すると父は、眉をしかめて言った。
「あそこに、近寄るんじゃない。うちの会社も、下請けで工事に入っているんだ」
「へー」
 カイが、おどけたような声を上げた。
「いやさ、そうなるとここも安全とは言えねえし、いっそ<サイド6>にでも引っ越したらどうかと思ったんだけど、さ」
 すると、父は身を乗り出して言った。
「俺も、それは考えた。あそこは中立サイドで、戦争には加わらないという話だしな。だが、偉いさんの考えることも、皆同じだ。移住枠はとうの昔に、埋まっていたさ」
 そこでだ、と父は続けた。おまえも、もうすぐ18歳になるのだろう。大型特殊の免許を取れ。そうすれば、俺の会社でバイトができる。あの、フェンスの内側でな」
「え、なんでだよ。嫌だよ、俺は」
「このコロニーの中じゃ、あそこが一番安全だ」
 そう言って、父はにやりと笑った。その顔を見て、カイは突然、えも言われぬ羞恥心に襲われた。

 恥と思うくらいのプライドはあるのね。

 そう言った、あの金髪の少女の言葉を振り払うように、カイは頭を振った。
「お‥‥親父にも、いいとこあるじゃん」
 しかし、彼が父親に見せた笑顔は、歪んでいた。


#6 キシリア・ザビ 0079.1.09 Don't Wanna Fall In Love


Jane Child "Don't Wanna Fall In Love" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.1.09@グラナダ基地

 グラナダ基地の司令官室の窓から、彼女はバースに居並ぶ艦艇を見つめた。まだ、出動の命令はない。私はまだ、何もしていない。なのに、ジオン軍はめざましい戦果を上げ、いまや地球連邦を停戦交渉のテーブルに着かせようとしている。国中が勝利の余韻に湧き上がる中、キシリアは一人、涙をこらえて唇を噛み締めていた。
 彼女には、わかっていた。兄である総帥、ギレン・ザビが、参謀でありかけがえのない右腕となるはずだった男を彼女から遠ざけ、激戦区へ追いやったのだと。そして、彼は死んだ。彼女が心に秘めた想いは、届けられぬまま行方を失った。

 拳を握りしめたそのとき、失礼します、と声がして、マ・クベ大佐が入ってきた。
「閣下、私に考えがあります」

 兄であるギレン・ザビがまだ学生だった十数年前、<サイド3>はジオン・ダイクンを指導者とする独立運動が空前の盛り上がりを見せようとしていた。それでも<サイド3>はいまだ地球連邦の統治下にあり、多くの優秀な学生たちが、軍人をめざして地球連邦軍の士官学校に入学するためコロニーを後にした。それは、来るべき武装蜂起への秘めたる一手でもあった。連邦軍の下で彼らを士官としての能力を身につけさせ、卒業して何処かへ配属された後、退役させ帰国させる。彼らが連邦軍から得た技能と情報を礎として、<サイド3>に独自の軍隊を創設するのだ。それが、ジオン・ダイクンの補佐を務めていた父、デギン・ザビの計画であった。兄ギレンもまた、その道を進んだ。ズム大学を主席で卒業した後、北米・アナポリスの幹部候補生学校に入り、ここをトップで卒業して一時期、地球連邦軍に身を置いた。もちろん、独立運動以前から、<サイド3>を出て連邦軍に入った者たちもいた。彼らもまた、時期を図って出身地である<サイド3>へ戻り、集結した。このようにして、連邦軍の士官学校や幹部候補生学校を出て配属された者たちが、創設当初のジオン公国軍の将官となり、艦隊を率いることになった。戻らずに連邦軍に残った一部の士官は内通者となった。例えばエルランがそうであった。

 父デギンは、キシリアには軍人になることを求めはしなかったが、彼女はそれを望んだ。しかし、ギレンと歳の離れた彼女がハイスクールを卒業する頃には、情勢は変化していた。ジオン・ダイクンは志半ばで病に倒れ、父デギンがその後を襲ってジオン共和国首相となったのである。彼の下で脱連邦化が進められ、もともと連邦軍の下部組織であった<宙域警備隊>を独自再編してジオン共和国軍を創設した。
 軍のトップの座に就いたのは、兄、ギレンであった。彼はたちどころに軍部を掌握すると、父デギンはジオンに公王制を敷くことを決断した。行政府と立法府である議会の持つ権限を一元化し、ジオンの理想をいち早く実現するため、というのがその名目であった。しかし、その背後にはギレンの目論見があった。たちどころに彼は玉座についた父デギンを傀儡化させ、軍の統率者である自らに権限を集中させてジオンを軍事政権化した。それもまた「脱連邦」という大義名分のもとに行われた施策であった。連邦と同様の絶対民主主義体制のままでは、連邦の頸木くびきから抜け出すことはできない、というのが、その理屈であった。

 兄ギレンに権力が集中していくのを、キシリアは日々苦々しい思いで見ていた。それは父デギンも同様であった。彼女は父の思いを汲み、兄を牽制するため、自らも軍に入り将官となることを決意した。その頃には、もう連邦へ渡ることはできなくなっていた。キシリアは、設立されたばかりのジオン公国軍士官学校の一期生となった。父デギンは、彼女がギレンに対抗できる立場になれるよう、彼女が将官となった際には副官となるべき人材を選んで、家庭教師をつけた。


 その家庭教師、ウリヤ・スレイヤ大佐と初めて会った日のことを、キシリアはよく覚えていた。彼は濃い眉の下に涼やかなまなざしを湛えた瞳を持ち、静かな口調で話す男だった。成績も優秀で、常に兄ギレンと競い合っていたという。彼は言った。
「私が、あなたの家庭教師を引き受けたのは、デギン公からのご依頼ということもありますが、何よりも、士官学校で見たあなたの資質に、惹かれたからです。あなたの兄、ギレン総帥は今、ジオンが何をすべきかを見ておられる。しかしあなたは、この先ジオンがどうあるべきかを見ておられる。違いますか?」
 キシリアはその静かな物言いに、逆に圧倒されてしまい、ええ‥‥、そうかもしれません、という曖昧な答えしかできなかった。
「キシリア様、ギレン閣下は強く張った弦のようなお方だ。矢は鋭く飛んで敵を射るが、その弦は切れやすい。しかし貴方は、しなやかな弦だ。鋭くはないがよくたわみ、遠くにまで矢を飛ばし、いつまでも切れない。貴方のような方こそが、ジオンを真の勝利、真の革命に導くのです」

 キリシアは彼の下で学び、ジオン軍士官学校一期生として首席で卒業した。ザビ家の王女として少将に任官されると同時に、月の裏側、<サイド3>からは対面する位置にあるグラナダ月面基地に入り、来るべき独立戦争のための軍を編成した。突撃機動軍総司令官。それが彼女に与えられた軍職であった。参謀として彼女の下に入ったのが、士官学校で教官を務めると同時に家庭教師として彼女を支えたウリヤ・スレイヤ大佐であった。そのため、陰では実質的な司令官は彼女ではなくスレイヤ大佐だと囁かれていたが、彼女は気にしなかった。彼女自身でさえ、そう思っていたからである。

 ウリヤはその温和で静かな人柄とは裏腹に、冷徹な戦略家であった。彼女は、その姿勢と抑制された佇まいから、多くを学んだ。ともすれば論理を飛び越して感情的になりがちだった彼女は、自身の感情を抑制し冷静沈着な姿勢を崩さない術を彼によって身につけた。ウリヤ・スレイヤは彼女にとって指揮官として、いやそれだけでなく人間としての理想型であった。自分も、彼のようになりたいと思い、いつしかその一挙手一投足にまで目を留めるようになった。その憧れは日に日に強くなり、まるで彼女の胸を焦がすほどにまでなった。
 彼女が総司令官を務める突撃機動軍には、重力圏における主力部隊が配備され、戦争計画では、コロニー落としによる地球主要都市への直接攻撃、<サイド5>ルウム宙域における地球連邦軍主力艦隊撃破という第一波、第二波攻撃の後に、キシリアの突撃機動軍が地球上へ降下し、各大陸を占領することが企図されていた。キシリアは、その最も困難で重要な作戦を任されることに、身の震える思いがしていた。しかし、恐れはなかった。参謀につくスレイヤ大佐の支えがあれば、自身の手でジオンに勝利をもたらすことができるだろう。
 しかし、そうはならなかった。開戦直前の0078年12月、ウリヤ・スレイヤ大佐は異動となり、ドズル・ザビ中将率いる宇宙攻撃軍麾下の艦隊を指揮することとなった。

 スレイヤ大佐はグラナダ基地を離れるとき、キシリアに言った。
「そんな顔をなさらずに、閣下。私は必ず作戦を成し遂げ、帰ってきます、ここに。私たちの目標は、単に勝つことでも、独立を勝ち取ることでもない。我々が理想と掲げるジオニズムを地球圏にあまねく広げ、宇宙に適応した我々こそが、宇宙から地球を統治する世界を創ることなのですから」
 キシリアは、スラリとした大佐の顔を見上げた。その表情には一点の曇りもなかった。
「閣下と私とで練り上げた作戦に、私は命を吹き込まねばなりません。初戦に、ジオンは必ず勝利します。どうか閣下、いっときの出動を、お許しください」
 そういうと、彼はキシリアの前に片膝をついてひざまずき、深く頭を下げた。彼女が右手をそっと差し伸べると、彼はその手を取り、その手の甲にそっと口付けをした。

 それが、彼の姿を見た最後であった。

 のちに<1週間戦争>と呼ばれることになる、開戦当初から1週間のジオン軍の攻撃は、ほぼ一方的なものとなった。ミノフスキー粒子の散布によってレーダー等の電波を無効化された地球連邦軍は、半ば闇討ち状態でなすすべもなくモビルスーツ・ザクの餌食となり、その間に核爆弾によって減速させられたコロニーが、地球へと落下していった。ようやく集結した地球連邦軍艦隊との会戦となった<サイド5>宙域での戦闘は激戦となったが、レビル将軍の搭乗する旗艦が拿捕されてしまう。艦隊総司令官を捕虜にしたことが、コロニー落としによる壊滅的被害とともに地球連邦の組織的戦闘意欲を打ち砕いたのだ。
 だが、その戦いの中でキシリアが胸を焦がした、あのウリヤ・スレイヤは死んでいた。

 グラナダ基地の司令官室から、彼女は窓越しにバースに居並ぶ艦艇を見つめた。まだ、出動の命令はない。私はまだ、何もしていない。なのに、ジオン軍はめざましい戦果を上げ、いまや地球連邦を停戦交渉のテーブルに着かせようとしている。国中が勝利の余韻に湧き上がる中、キシリアは一人、涙をこらえて唇を噛み締めていた。
 地球連邦軍が、組織的戦闘の能力を喪失した今こそ、地球への降下と占領という第三波攻撃の好機に違いないのだ。停戦など、何を生ぬるいことを、とキシリアはほぞを噛んだ。

 そう、彼女にはわかっていた。コロニー落としと<サイド5>ルウムでの会戦でドズル・ザビ率いる宇宙攻撃軍がどれほど戦果を上げようとも、政敵たり得ないドズル・ザビは恐るるに足りない。だが、彼女は違うのだ。ギレンは、もしキシリア率いる突撃機動軍が地球に降下し、その広大な大地の一部であっても占領、ジオン化することができたなら、キシリアの政権内での評価は高まり、政治的な力を持って彼を脅かす存在になると見ているのだ。そして、その力を持たせまいと、彼は地球降下作戦が実施される前に、停戦に持ち込もうとしているのである。
 彼女には、わかっていた。兄である総帥、ギレン・ザビが、参謀でありかけがえのない右腕となるはずだった男を彼女から遠ざけ、激戦区へ追いやったのだと。それもまた、彼女の力を削ぐためであった。そして、彼は死んだ。彼女が心に秘めた想いは、届けられぬまま行方を失った。

 もう、恋になんて落ちたくはない。それが私を弱くするなら。私は、私を強くしてくれた男のために、上に立つ者にならねばならない。そう、あの兄の上にさえ立つ者に。
 拳を握りしめたそのとき、失礼します、と声がして、マ・クベ大佐が入ってきた。彼はウリヤ・スレイヤ大佐の後任として、ギレンが送り込んできた男であった。


 一礼すると、彼は言った。
「閣下、私に考えがあります」
 キシリアは、表情を読まれないよう、マスクで口元を覆うと、振り向いた。
「考え?」
 マ・クベ大佐は前任のウリヤとは正反対の、細く整えられた眉と細い切れ長の目を持つ、青白い顔をした痩せぎすの男だった。まとわりつくような視線と神経質そうな顎のラインに、キシリアは薄気味悪ささえ感じたが、そうしたキシリアの気配に、彼は頓着する様子もなく言葉を続けた。
「はい、閣下。ギレン総帥はこのまま停戦交渉に持ち込むお考えのようです。現状なら連邦が容易に我々の要求を飲むだろうということが一つ。もう一つは‥‥」と、彼はそこで言葉を切って、上目遣いに彼女を見た。
「何だというのだ、もう一つは?」
「はい、それは閣下、あなたです」
「何だと?」
 キシリアは、形の良い眉をひそめた。
「はい、ギレン総帥は、閣下の指揮する突撃機動軍が地上に降下して戦果を上げる前に、決着をつけようとしておられると、私は見ます。閣下の力を、恐れておいでなのです」
 キシリアは、思わずその男から目を背けた。なぜ彼は、私と同じことを考えているのか。彼は兄ギレンの送り込んできた間者ではないのか。
「だから、何だというのだ」
「このままでは、終われません。閣下。我々は地球に降下し、彼らの本拠を占領せねばなりません。とりわけ資源を。10年、20年と戦争継続を可能にする資源を確保することです。地球上で我々の支配地域が拡大すればするほど、閣下の権力は大きくなります」
「それで? どうしろというのだ。ギレンはもう、南極に停戦交渉のテーブルを用意していると聞くが」
 ぞっとするような笑みを浮かべて、マ・クベ大佐が言った。
「逃すのです、レビル将軍を」
「そうすれば、連邦軍は息を吹き返す‥‥のでは?」
「そうです。閣下。停戦交渉なぞ、吹っ飛んでしまうでしょう」
 キシリアは、その男の顔を見た。浮かんでいた笑みは、消えていた。
「なぜだ」と彼女は言った。
「ジオンにとって、勝利は目前だというのに、なぜ、そんなことを?」
「この世界の玉座に座るに値する方が勝利しなければ、意味がないのです。そして、閣下‥‥キシリア閣下こそ、その方であると」
 キリシアは、そう言ってひざまづくマ・クベに背を向けると、窓越しに、バースに居並ぶ艦艇を見つめた。そして、そのまま一言、言った。
「そなたの思うように、せよ」
「はっ、御意のままに」

 マ・クベが去ったあとも、彼女は微動だにせず彼女の艦隊を見続けていた。そうか、ウリヤよ。こうなるとわかっていて、おまえは、あの男を私の下に差し向けたのだな‥‥
 だがウリヤ、私はもう恋になど落ちたくはない。私が、恋焦がれるような目でおまえを見ていなければ、おまえが死地に送られることはなかった。
 私は、もう誰をも愛さない。あの男を、私の前にひざまずかせるまで。

 マ・クベ大佐の暗躍で、宇宙要塞ソロモンの捕虜収容所から奇跡の脱出を果たしたレビル将軍は、「ジオンに兵なし」として歴史に残る演説で連邦市民を鼓舞し、ギレン総帥が画策していた停戦交渉は破談した。
 宇宙世紀0079年1月末、地球連邦とジオン公国の間に地球圏での戦闘に関する条約<南極条約>が締結され、戦争継続は決定的となった。
 キシリア・ザビ少将率いる突撃機動軍は、こうして地球上に舞い降りたのである。


#7 ミライ・ヤシマ 0079.5.10 青春のリグレット


麗美 "青春のリグレット" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.5.10@サイド7

「もしかして、あなた、軍に入るつもりなんじゃないでしょうね? そんなライセンスを取って」
「まさか」ミライはそう言っただけで、言葉に詰まった。
「私はただ、宇宙を自由に飛びたいと思っただけ」
 母は、その表情を崩さないまま、言った。
「今日、お父様の元の同僚だった方から、あなたのことで連絡があったの。カムラン・ブルームがあなたのことを探しているって。あなた、カムランに移住のこと、伝えていなかったの?」
「ええ‥‥、こちらの生活に慣れて、落ち着いたらいずれ、と思って‥‥」
「どうして? あんなに仲良くしていたのに。お父様の尽力を無駄にする気なの?」
 ミライは、その言葉でハッとしたように母の目を見た。そこには、かすかな非難の色が浮かんでいた。

 まだ1基のコロニーの運用が開始されて数年にしかならない<サイド7>に移民しようと決めたのは、政府高官を務めていた父だった。曽祖父は地球圏の統一国家である地球連邦の創設に尽力し、以来ヤシマ家は地球連邦の支配階級エスタブリッシュメントの一角を担う名家と認識されるようになっていた。祖父は長年にわたって地球連邦最高議会の議員を務め、父は政府官僚として高い地位にあった。
 しかし宇宙世紀0078年の夏のある日、父は自宅に戻ってくるなり、母とミライを前にして言った。もう我慢できない、私は仕事を辞めた、と。ミライは母と顔を見合わせた。驚くことではなかった。<サイド3>で独立運動が盛り上がりを見せる中、その指導者でありジオン共和国初代首相となったジオン・ダイクンが志半ばで倒れた頃から、父は政府中枢で他の官僚と意見が対立するようになっていた。連邦政府は、ジオン共和国を独立国家として承認しようとはせず、もし独立を求めて武装蜂起した場合には、秘密裏に武力でこれを鎮圧する、という方針を立てていた。各コロニーの宇宙都市国家としての成熟により、各都市が独立する動きは時代の要請として避けられないと見ていたミライの父には、それは受け入れられないことだった。そして、武力鎮圧に加担したくないとして、退職したのである。

 ミライが、カムラン・ブルームと出会ったのはその半年ほど前のことだった。きっかけは、母からの一言だった。知り合いの息子さんで、あなたが志望している大学の学生がいるの。それで、あなたのことを話したら、ぜひ会いたいって。あなたも、大学のことなど聞いてみてはどう? 
 彼はミライより5歳年上で、もうまもなく卒業の時期だということだった。スラリと背が高い、メガネがよく似合う青年で、まだ高校生だったミライには、彼は同級生の男子よりずっと落ち着いていて知的に見えた。それに、彼は博識で話題も豊富だった。彼は自分を高めてくれる人だ、とミライは思った。二人はこうして、付き合うようになった。といっても、ミライは彼の気持ちを聞いたわけではなかったが。
 
 あるとき、将来の夢の話になった。ミライは、いつか宇宙に出ていきたい、自分で船を操縦できたら、もっといい、と言った。するとカムランは、ちょっと驚いたような顔をして言った。
「へえ‥‥、なんだか君らしくないね」
 ミライは、むっとしたことを覚えている。君らしいというのは、逆にどういうことなんだろう? 彼の方はというと、22年後に建国から100年を迎えることになる地球連邦の統一国家としての結びつきをより強めて、今の危機を乗り切るために、自分の力を役立てられたら、と言った。今の危機というのは、独立を求めて連邦から離れようとしている<サイド3>の動きのことを言っているのだろう。それは、彼女の父の考えとは違っていた。それが夢?と彼女は思ったが、そのときは曖昧に笑ってごまかした気がする。


 しかし、そのちょっとした違和感が、父の突然の退職で、あらわになった。父が退職して1ヶ月後、連邦政府から通知が来た。年内で、地球市民権が失効するという知らせだった。権力を傘に、意に従わなかった父への政府の嫌がらせのような仕打ちであった。父はいよいよ地球連邦政府に見切りをつけ、新興コロニーである<サイド7>への移民を決めた。
 そのとき、父が言ったのだ。実はブルームさんと話したのだ。ミライ、カムランと付き合っているだろう? 結婚しなさい。そうすれば、おまえは地球市民でいられる。父は、ある意味自分の身勝手で、娘まで地球の市民権を失ってしまうことに、良心の呵責を感じているようだった。それで、何とかしてやりたいと思ったのだろう。
 だが、そんなバカな、とミライは言った。付き合っていると言っても、たまに一緒に出かけて食事をしたりするだけよ。まだ、彼の気持ちも聞いていない。すると父は言った。カムランは、それでもいいと言っている。急ぐ必要はない。おまえが大学を卒業するまで、いや、いつでも待っていると彼は言っていた。
 すったもんだの挙句、結局ミライは、その結論をとりあえず先延ばしにすることに、父を同意させた。別にカムランが嫌とか、そういうことではなくて、そんなに急がなくてもいいと思うの。そうは言っても、まだ18歳、大学にも行きたいし、自分の生き方をしっかりと固めた上で考えたい。そう言うと、父は納得してくれた。ミライは両親とともに<サイド7>へ移り住むことを決めた。カムランには、私から話すから、と彼女は父に言った。そうしなさい、と父は言ってくれた。だが、ミライはカムランに、「ありがとう、お気持ちとってもうれしいわ。落ち着いたら、また連絡します」とだけ書いたメールを送り、<サイド7>に移住することは、伝えなかった。

 大学に進学するつもりだったが、スペースコロニーへの移民は彼女にとって、宇宙に出てみたいという願いをかなえるきっかけになったので、ギャップイヤーを取って、大学へ進学する時期を一年、遅らせることにした。そして<サイド7>で専門のスクールに入り、スペースグライダーのライセンスを取得することにした。そして彼女は宇宙雨世紀0078年の秋から、<サイド7>で暮らし始めた。その時はまだ、その次の年の年明け早々に戦争が始まるなど、彼女は予想だにしていなかった。

 ジオン公国軍宣戦布告のニュースと、それに続く一方的な攻撃の様子を知ると、普段温厚な父が、握りしめた拳でテーブルを叩き続けるのを見て、ミライは驚いた。こうなるに違いない、と、ずっと私は警告していたのに、と父は言った。<コロニー落とし>の犠牲になった人々は、ジオン軍に殺されたんじゃない、我々地球連邦政府の不作為によって、犠牲になってしまったのだ。
 1ヶ月後、そんな父に召集令状が届いた。もう40歳代半ばの父に、軍隊に入れなど、どう考えてもおかしい、と母は半狂乱になった。役人どもの考えそうなことだ、と父は言った。若者たちを戦場に送る前に、まず、責任ある我々が、行くべきではないか。届いた令状にはそんな檄文が添えられていた。父は母を宥め尽くすと、大丈夫、必ず帰ってくるから、と言い残して、入隊した。彼女がスペースグライダーのライセンスを取得できたのは、その3ヶ月後のことだった。


 手にしたスペースグライダーのライセンスを、ミライ・ヤシマはぎゅっと握りしめた。あの人は君らしくないと笑ったけれど、父は「やってみなさい」と応援してくれた。だが、その父は戦死してしまった。1週間前、地球連邦軍から届いた1通のメールが、伝えてきた。見せたかったのに、お父様に。叶わぬ夢になってしまった。
 家に帰ると、ミライはそのライセンスを母に見せた。母は「おめでとう」と言ったが、その表情は険しかった。
「もしかして、あなた、軍に入るつもりなんじゃないでしょうね? そんなライセンスを取って」
「まさか」ミライはそう言っただけで、言葉に詰まった。
「私はただ、宇宙を自由に飛びたいと思っただけ」
 母は、その表情を崩さないまま、言った。
「今日、お父様の元の同僚だった方から、あなたのことで連絡があったの。カムラン・ブルームがあなたのことを探しているって。あなた、カムランに移民のこと、伝えていなかったの?」
「ええ‥‥、こちらの生活に慣れて、落ち着いたらいずれ、と思って‥‥」
「どうして? あんなに仲良くしていたのに。お父様の尽力を無駄にする気なの?」
 ミライは、その言葉でハッとしたように母の目を見た。そこには、かすかな非難の色が浮かんでいた。父が相談もなく仕事を辞めたことを、とりわけ、そのために地球から宇宙へ出なければならなくなったことを、恨み節のように父にくどくどと言い続けていた母が納得した理由を、ミライは初めて悟った気がした。それが、私のカムランとの婚約、だったのだ。娘の結婚を機に、地球市民権を回復させようという約束をしたに違いない。カムラン・ブルームの父親もまた、連邦政府の高級官僚で、そのような便宜を図ることのできる特権的な立場にいたからだ。

「一体、どうして? ミライ。あなた、何を考えているの?」
 母の言葉を背に受けながら、ミライは逃げるようにその場を立ち去ると、自分の部屋に入ってドアを閉めた。
 だってお母様、と彼女は心の中で叫んだ。私の、人生なのよ。なぜ、あなたのために、私がカムランと結婚しなければいけないの? 別に嫌いなわけじゃない、むしろ、好きだと思う。だけど、お互いの気持ちを確かめ合ったことさえないのよ。
 ミライには、自己保身に自分を利用しようとする母以上に、ミライに話しもせずに、結婚の約束を承諾したカムランのことが許せなかった。だから、自分の行先を知らせなかったのだ。本当に結婚したいと思うほど愛する気持ちがあるのなら、ここにいる私を、探し出してほしい、自分の力で。
 それくらいの、強い気持ちを、ミライは彼から受け取りたかった。

 しばらくして、ドアの外で母がノックするのが聞こえた。
「ミライ、そこにいるわね。カムランへの返事は、どうするの?」
 ミライは、ドアに背を向けたまま、言った。
「お父様が亡くなったばかりなのよ、そっとしておいてほしいの。だから、何も言わないで」
「だからこそ、心配して探してくれていると思うのだけど」
「何も言わないで」ミライはドアの方に振り返ると、もう一度強い口調で言った。カムラン本人ではなく、父の元同僚という人物からの連絡だったことが、自分を苛立たせているんだ、とミライは思った。

 きっと、来ないでしょうね、カムラン、あなたは‥‥。今更後悔しても、もう遅い、と彼女は自分に言い聞かせた。


#8 リュウ・ホセイ 0079.6.12 
   Everybody wants to rule the world


Tears for Fears"Everybody wants to rule the world" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.6.12@ホワイトベース

「そこの二人、無駄口がすぎるぞ」
 リュウ・ホセイは、腕組みをして傍に立つ男を見上げた。少尉の階級章をつけてはいるが、どうせこいつも大学中途で志願したペーペーの候補生か何かだろう。そのリュウの視線に気づいたのか、彼は言った。
「ブライト・ノア、士官候補生だ。実を言うと初出動だ、よろしく頼む」
 二人は立ち上がり、さっ、と腕を上げて敬礼した。ブライトと名乗った候補生が立ち去ると、ジョブ・ジョンが言った。
「見かけによらず、礼儀正しいヤツだったな」
「どうだろうな。そういう態度を見せれば、俺たちが従うと思っているんだ」
 声をひそめて、リュウが言った。
「みんな、なんとかしてこの世界を支配したいと思っているんだ」

 高校を卒業後、リュウ・ホセイは職業として軍人になることを選び、地球連邦軍に入隊した。そのとき、まだ地球圏には平和があり、地球連邦軍は外敵を持たない軍隊であった。実は<サイド3>にきな臭い動きがあったが、そうした情勢に、彼はまだ無頓着だった。軍の任務はテロ対策を除けば、宇宙を航行する船舶の安全を守ること、遭難した船舶の救援救助、スペースデブリの回収などが主となっていた。そういう仕事をできればいい、とリュウは思っていた。先祖は南米出身だと聞いていた。運良く地球勤務になれば、先祖の故郷を訪れることができるかもしれない。そんな期待を持っていた程度であった。

 しかし、入隊してわずか4ヶ月後に、思いがけず戦争が始まった。<サイド3>がジオン公国を名乗り、独立を求めて戦いを挑んできたのだ。宣戦布告の直後、地球に向かってコロニーを落とすという、最悪の始まり方だった。幸い、リュウら新規入隊組は連邦軍の宇宙要塞ルナツーで訓練中だった。ルナツーは、もともとは鉱物資源等を採掘するため、月軌道上に設置された小惑星で、採掘後に宇宙要塞化された基地だった。月とは地球をはさんで正反対の位置にあり、戦争を起こしたコロニー<サイド3>からは最も遠い所にあった。
 その基地に、開戦当初の激戦で辛うじて生き残った戦艦が、多数入港してきた。最初の一週間の戦いで、地球連邦軍は壊滅的な打撃を受け、<サイド1>から<サイド6>に至るまでの制空権を失った。艦隊の総司令官だったレビル将軍が捕虜になったと聞き、リュウは、これで戦争も終わるな、と思った。こんなことになるのなら、独立したいという<サイド3>の言い分を聞き入れて、ジオン公国を国家として認めてやればよかったのだ。地球連邦の払った犠牲は、あまりにも大きかった。
 だが、リュウの期待に反して、戦争は終わらなかった。ジオン軍の捕虜収容所から奇跡の脱出を果たしたレビル将軍によって、壊滅状態だった地球連邦軍が再編されたのだ。戦争は膠着状態に陥った。

 ルナツーにいるリュウはパイロット候補生ということになっていたが、実際には、飛行訓練をしようにも実機がなく、彼の部隊は補給部隊に編入されて、基地に入港する艦艇に物資を搬入したり、入荷した補充物資を搬入したりするような雑用を割り当てられた。ときには、艦艇から荷物を下ろすという仕事もやらされた。下ろす荷物はボディ・バッグと呼ばれていた。中には遺体が入っていた。

 それから1ヶ月ほどたってからだろうか、リュウの補給部隊は新たな任務を与えられた。<サイド7>に物資を運搬するという任務だった。極秘に進められる作戦のためだという。
「なんでも、連邦軍もモビルスーツを開発するってことらしい」
 食堂で一緒になった、同じ部隊のメカニックマンで同期のオムル・ハングがリュウに耳打ちした。
「モビルスーツ? 連邦が?」
 リュウとジョブ・ジョンは顔を見合わせた。ジョブ・ジョンもまたパイロット候補生だったが、パイロットといっても操縦するのは宇宙艇ということになっていた。だが、ジオン軍はレーダー等の電波を無効化するミノフスキー粒子を散布するとともに、その状況下でこそ優位な戦闘が可能な兵器として、モビルスーツと呼ばれる汎用人型兵器を開発し、開戦当初から実戦投入していた。連邦軍が反転攻勢をかけるためには、同等以上の性能を持つモビルスーツの開発は必至だと言われていた。
「そうだとしたら僕らは、そのモビルスーツのパイロット候補生ってことになるのかな?」
 ジョブ・ジョンが目を輝かせながら言った。
「たまらんな」とリュウが言った。
「ザクとか言ったな? あのジオンのモビルスーツ。あんなので戦場に出るなんて、考えられるか?」
「怖いのか?」
「そりゃ、そうだ」とリュウは眉をしかめた。
「宇宙で白兵戦をやろうっていうんだぜ? あんな、手足のついたロボットで。戦闘機にさえ、実機に乗ったこともない、シミュレーションを数回やっただけだっていうのに」
「それでな、そのモビルスーツを搭載して運用できる、専用の最新鋭戦艦を建造中らしい。うまくすると、その戦艦のクルーになれるかもしれんって話だ」
 オムルはそういうと、二人の顔を見た。
「ここで、ボディ・バッグを船から下ろす仕事より、ずっといいんじゃないか?」
「しかし、自分がそれに入ることになるかもしれんぜ?」リュウが言った。
「俺はな、こんな馬鹿げた戦争で、死にたくはないんだ」

 補給物資を運んでいるだけで戦争が終わってくれればいい、とリュウは心底思っていたが、予想に反して意外に早く、その日はやって来た。モビルスーツ搭載用の最新鋭戦艦の本体が完成し、艤装作業に入ったというのだ。リュウ、ジョブ・ジョン、それにオムル・ハングはクルーとして選ばれ、<サイド7>へ向けた慣熟航行に出ることになった。<サイド7>には、完成してテストに入った連邦軍の試作モビルスーツがあるという。出航予定は1ヶ月後で、それまでに、ルナツー基地でもモビルスーツ専用のシミュレーターが導入され、模擬訓練を受ける手筈になっていた。
 だが、ことは予定通りには進まなかった。


 彼らは新造戦艦の第2デッキで、窓の外に広がる虚空を見ていた。目をこらしたところで、目指すコロニー<サイド7>が見えるわけではない。
「大丈夫なんですかね」
 シートに腰掛けて手持ち無沙汰な様子のリュウを見て、ジョブ・ジョンが言った。
「俺のことか? それとも、このホワイトベースって船のことか?」
「両方です」
「何が、心配なんだ」
「最新鋭艦だっていうのに、見ただろう? ブリッジのオペレーター、僕たちの同期だったぜ?」
「マーカーとオスカのことか」リュウが言った。「慣熟航行ってやつだ。慣れるためなんだ。奴らだって初体験だろうが、経験値を積むためには、仕方がない」
 ジョブ・ジョンが肩をすぼめた。リュウには、彼の言いたいことがよくわかった。艦長のパオロは定年退職したご隠居を引き摺り出してきたかと思うような年寄りだったし、見渡す限り、他の士官も下士官も、軍に入って一年未満としか思えないような若手ばかりだ。彼らは一応連邦軍のモビルスーツのパイロット候補生ということにされていたが、慣熟どころか、まだそのモビルスーツ用のシミュレーションを2回ばかりやったにすぎない。
「今更経験値を積んでる状態で、勝てるのか? ジオンに」ジョブ・ジョンが言った。
「さあな」リュウは、まるで他人事のような顔をしている。
「そもそも、勝つ必要があるのか? こんな戦争はクソだ。受けてたつ必要はなかった。独立したい? だったら好きなようにさせてやればよかったんだ」
 そのとき、後ろから声がした。
「そこの二人、無駄口がすぎるぞ」
 二人は、腕組みをして傍に立つ男を見上げた。少尉の階級章をつけてはいるが、どうせこいつも大学中とで志願したペーペーの候補生か何かだろう。そのリュウの視線に気づいたのか、彼は言った。
「ブライト・ノア、士官候補生だ。実をいうと初出動だ、よろしく頼む」
 二人は立ち上がり、さっ、と腕を上げて敬礼した。ブライトと名乗った候補生が立ち去ると、ジョブ・ジョンが言った。
「見かけによらず、礼儀正しいヤツだったな」
「どうだろうな。そういう態度を見せれば、俺たちが従うと思っているんだ」
 声をひそめて、リュウが言った。
「みんな、なんとかしてこの世界を支配したいと思っているんだ」


 ホワイトベースは、<サイド7>でテストを終えた連邦軍の試作モビルスーツを積載し、ルナツーへ戻ることになっていた。そこで試作機の宇宙空間でのテスト運用を行ったのち、地球連邦本部ジャブローへ向かう。リュウら入隊一期生の下士官を集めたブリーフィングには、艦長自らが出てきて説明した。艦長の背後に並ぶ士官らの傍らに、リュウは第2デッキで声をかけられた士官候補生がいるのに気づいた。
 ブリーディングが終わって部屋から出ようとしていたところで、リュウはその士官候補生に声をかけられた。
「君、リュウ・ホセイといったな」
「ああ、‥‥ブライト・ノア少尉、でしたっけ? なんでしょう」
「君は、戦争に反対なのか」
「そういうわけじゃありません」リュウが言った。
「コロニー落としなんて暴挙に出た相手の要求を、そのまま聞き入れるなんて、今更できないでしょう」
「だが、こう言っていなかったか? こんな戦争はクソだ、と」
 リュウはうなずいた。
「なぜだ」
「簡単なことですよ。奴らが独立したいというなら、うまいこと交渉して落とし所を探し出し、希望をかなえてやればよかった。戦争になる前に、政治的に解決できたはずだ」
「言いたいことは、わかった」ブライトが言った。
「だが、ここは議論する場ではないんだ。あまり、そういうことを人前で口にしないほうがいいんじゃないかね」
「ほらね、そういうところですよ」リュウが、肩をすぼめた。
「あんただってそうだ。そうやって、自分が主導権を握ることで、なんとかしてこの世界を支配したいと思っているんだ」
「なんだと?」
「おっと、手出しはなしだぜ」リュウが手を上げて彼を制すると、言った。
「な、こんなことに命を賭けるなんて、馬鹿馬鹿しいだろう? とにかく俺たちは死なないように、任務をこなして嵐をやり過ごすに限るってこった」
 
 そのとき、この船を追ってくる不審な艦艇があることを、彼らはまだ知る由もなかった。


#9 ランバ・ラル 0079.4.22 Nothing to Fear


Chris Rea "Nothing to Fear" を聞きながら‥‥
宇宙世紀0079.4.22@アリゾナ

「大尉、客人です」
「客人?」
 駐屯地の仮設の兵舎の個室をノックして、副官のクランプが言った。ドアを開けると、彼はにやにやと笑っている。客人?ともう一度ランバ・ラルは繰り返した。こんな砂漠地帯でゲリラ活動をしている自分を、一体誰が尋ねてくるというのだろう。
 しかし、クランプの後ろから現れた人影を見て、彼は言葉を失った。
「来てしまいましたわ」クラウレ・ハモンだった。出動の朝、彼を見送ったときと同じスカーフを巻き、サングラスをかけていた。
「地球に連れて行ってやる、と約束したのに、ちっともお声が掛からないんですもの」

 彼の父、ジンバ・ラルはジオニズムを提唱し独立運動を先導していた活動家、ジオン・ダイクンの側近だった。彼はその父から、軍人になることをすすめられた。独立運動は、いずれ武装蜂起へ向かっていくと考えたからである。彼は父に力を貸すつもりで、軍人の道を進んだ。
 しかし、彼が支えたいと思った父はやがて、彼の前から姿を消した。ジオン・ダイクンが急死し、その血脈が絶えることを恐れた父はジオンの遺児であるキャスバルとアルテイシアを連れて、雲隠れしたのである。
 ジオン・ダイクンと近しかった人々が、次々に失脚していく様を目の当たりにして、ランバ・ラルは自らの身の危険を感じた。彼自身は、父のつながりでダイクン家の人々と多少親しくしていたことはあったが、父のジンバ・ラルが強弁していたように、ジオンがザビ家により暗殺されたとは、思っていなかった。もしそうだとして、地球連邦という強大な勢力を前に、内部分裂しているようなときではない。彼は父を離れてザビ家に忠誠を誓う道を選び、特殊部隊に身を投じて星を稼いだ。

 やがて彼は「ゲリラ屋」と呼ばれるようになっていた。<サイド3>の各コロニーで次々に起こる大規模デモに対抗し、治安維持のため出動する地球連邦軍の駐留部隊に、小部隊で奇襲攻撃をかけ撹乱するのである。連邦軍の<サイド3>駐留部隊は大混乱に陥り、事態の沈静化を図るため、一時的に部隊を<サイド3>から撤退させざるを得なくなった。これを機に、<サイド3>はジオン公国を名乗り、デギン・ザビを公王に立て、ザビ家に権力を集中させることで戦時体制を固めていった。それから数ヶ月後の宇宙世紀0079年1月1日、ついにジオン公国は地球連邦に独立を求めて宣戦を布告。のちにいう「一年戦争」が始まった。
 ランバ・ラルを隊長とする部隊は、ドズル・ザビ中将を総司令官に据えたジオン公国軍・宇宙攻撃軍に組入られ、<サイド3>以外の各コロニーに駐留する連邦軍部隊を、内部に侵入して急襲するゲリラ攻撃を主な任務として戦った。開戦から一週間で行われた「コロニー落とし」と、<サイド5>ルウムで地球連邦軍主力艦隊を迎え撃った「ルウム戦役」で圧倒的勝利を収めたジオン公国軍は、<サイド3>から最も離れた新興コロニー<サイド7>を除く大半の空域を制圧するに至った。

 この戦争に勝利するために開発された汎用人型兵器「モビルスーツ」を駆って戦場に出たパイロットらの活躍は目覚ましかった。とくに、ルウム戦役で、たった1機で連邦軍の戦艦5隻を沈めたというパイロット、シャア・アズナブルは、その乗機をカスタムカラーの赤としていたことから「赤い彗星」の異名をとり、新興ジオン軍の英雄として、その活躍が連日連夜報道されるようになった。
 華々しい艦隊戦とは無縁のところで、ゲリラ戦に勤しんでいたランバ・ラルは、ローテーションのため戻った首都コロニー<ズム・シティ>で、凱旋するその若き英雄の尊顔を見た。その裏で彼のようなヴェテランが、ゲリラ活動という汚れ仕事をしていたことなど、勝利に湧くジオン国民は知る由もない。

 休暇のために戻った自宅にも、待つものはいなかった。10年ほど前結婚した妻は、一度出動すれば数ヶ月は戻ってこない彼とは結婚生活が成り立たない、と、一人息子を連れて出て行った。前線に送られてきた離婚届にサインをしてから、もう2年がたっていた。彼は、ガランとして人気のない自宅を出ると、夜の街へ出て馴染みの店に顔を出した。


 そのバー「エンゲディ」は古めかしいカウンターバーのある酒場で、ピアノの前でいつも誰かが歌っていた。歌い手の女は、いくたびに変わっていた。馴染みとはいえ最近は数ヶ月に1回顔を出す程度になっていた。その夜の歌い手も、初めて見る顔だった。その低いウィスパー・ボイスが、戦いに疲れた彼の耳に心地よく、ふと気がつくと、彼はその女の白いうなじを見つめていた。

 歌い終わった女が、バーカウンターの彼の隣に座ると、言った。
「見ない顔ね」
「任務を終えて、帰ってきたばかりだ」
「軍人ね?」
 ランバ・ラルが、頷いた。
「ランバ・ラル大尉、ドズル中将率いる宇宙攻撃軍の軍人だ。君は?」
「ハモン。クラウレ・ハモン」
「初めて聞く名前だな。ずっとここで歌っていたのか?」
「いいえ、仕事をやめて、やりたいことをやることにしたの」
「前はなにを?」
 ハモンは小首を傾げると、言った。
「大っぴらには、言えないような仕事よ」
「奇遇だな。俺もそうだ」と、ランバ・ラルは言った。
「思ったとおりね」
「わかるのか?」
「ええ、わかるわ。匂いよ」と、クラウレ・ハモンは笑った。
「ここではないどこかの、土の匂いがする」
 彼はグラスに残ったウイスキーを飲み干すと、言った。
「ゲリラ屋だ、休暇を終えたら、今度は地球に降りる。ザビ家のお坊っちゃまが安全安心に地上で戦果を上げられるように、先回りして敵を押さえつけておく。そういう役回りだ」
「貧乏くじね」ハモンが言った。
「でも、うらやましい」
「ほう‥‥それはまた、どうして」
 ハモンが、ほっそりとした肩をすぼめた。
「飽き飽きしているの、この狭苦しいコロニーって世界に。地球は、広いんでしょう?」
「行きたいのか」
「ええ」
「だが、連れていくわけにはいかん。俺の行くのは、戦場だからな」
 彼女が、頷いた。
「しかし、出動までまだ日がある」
「妻帯者とは、付き合わない主義よ」
「俺は違う」ランバ・ラルが言った。
「もう随分前に、妻は出ていった。息子を連れて、な」
 ハモンが、そっと彼の手に触れた。
「明日は、休みなの」
 彼が、頷いた。休暇を過ごすのに、悪くない相手だと彼は思った。

 しかし数日後、彼はその考えを捨てることにした。彼の部屋で、書架に並ぶ本のタイトルを眺めながら、彼女は言った。
「恨んでいるの? ジオン・ダイクンのこと」
 唐突な問いだった。
「いや‥‥、なぜ、そんなことを聞く?」
「ジオンの軍人なら誰でも読んでいるはずの、ジオン・ダイクンの本が一冊もないわ」
 ふっ、と笑うと、ランバ・ラルは答えた。
「親父の本棚に、いやというほどあった。浴びるほど読まされた。もう、たくさんだ」
 彼女がにっこり微笑むと、言葉をつないだ。
「恨んでいるのは、父親の方なのね」
「恨んでなど、いないぞ。親父は、ザビ家を認めなかった。俺は認めた。それだけだ」
「ほんとうに?」
「処世術というやつだ」
「‥‥にしては、生きるのが下手ね」
 彼は、クラウレ・ハモンの切れ長の目に浮かぶものを見た。そして思った。もし俺が戦死したと知っても、あの父親は、ザビ家のために死ぬなど理想を捨てた愚者のすること、と鼻で嗤って済ますだろう。彼女が一瞬見せる、鋭く尖ったナイフのような眼差しは、そんな彼の心に溜まった澱のような感情を見てとったのだ。
 そして思った。彼女なら、俺の死を少しは悲しんでくれるかもしれない。


 出動の朝、ハモンは彼を宇宙港まで送ってくれた。頭から大判のスカーフをかぶり、首に巻きつけて前で結んでいる。濃い色のサングラスをかけたその姿は、旧世紀時代の古い映画に出てくる女優のように見えた。
 車を降りてキスすると、彼女は言った。
「ご武運を‥‥、そして落ち着いたら、私も地球へ呼んでくださいましね」
「わかった」
 それも悪くない、と最初は思ったランバ・ラルだったが、遊びで終わる相手ではないと感じている今、それを実行に移す気持ちは消えていた。連邦軍は地上で最後の抵抗を試みている。占領して統治が安定するまで、そう長くはかかるまい。それからでいい、と彼は思った。
 それからの3ヶ月を、ランバ・ラルの部隊は北米大陸の砂漠地帯で過ごした。ザビ家の御曹司、ガルマ・ ザビ大佐率いる部隊がさしたる抵抗もなく無傷で勝利できるよう、先んじて連邦軍の地上部隊を叩く、という任務を、彼らはそつなくこなしていた。
 そして、アリゾナの砂漠の中の都市、フェニックスの郊外に彼らはキャンプを張った。そんなある日のことだった。
 
「大尉、客人です」
「客人?」
 駐屯地の仮設の兵舎の個室をノックして、副官のクランプが言った。ドアを開けると、彼はにやにやと笑っている。客人?ともう一度ランバ・ラルは繰り返した。こんな砂漠地帯でゲリラ活動をしている自分を、一体誰が尋ねてくるというのだろう。
 しかし、クランプの後ろから現れた人影を見て、彼は言葉を失った。
「来てしまいましたわ」クラウレ・ハモンだった。出動の朝、彼を見送ったときと同じスカーフを巻き、サングラスをかけていた。
「地球に連れて行ってやる、と約束したのに、ちっともお声が掛からないんですもの」
 ランバ・ラルは、どうやってここを知ったのだ、と聞こうとして、やめた。明言はしなかったが、彼女の前職がザビ家直属の諜報員であることは間違いない。彼らは親衛隊と呼ばれていた。やめた、というのも本当かどうか怪しかった。
 クランプがドアを閉め、部屋で二人きりになると、ランバ・ラルは彼女に椅子をすすめて言った。
「よく来てくれた。もっとも、あと半月もすれば、北米での作戦行動は終了して、本国へ帰る予定なのだが」
「それまで待っていたら、次にいつ地球に降りられるのか、わからないわ」ハモンが言った。
「ここへ来て、どうするつもりだ」
「戦うわ、私も」
「怖くないのか」
「ちっとも」平然と、彼女は言った。
「あなたが横にいて、何か怖れるようなことがあるのかしら。そこが、どこであっても」
 ランバ・ラルは小さく笑った。
「ちょうどよかった。俺はいつも最前線に立つのが信条だ。後ろにいて部隊をまとめる指揮官が要る」
「私に、それができるとお思いになって?」
「だから、来たのだろう、ここへ」
 彼女が声を立てずに、にっこりと笑った。ランバ・ラルは受話器を取ると、言った。
「クランプ、彼女の部屋を、用意してやれ」


#10 セイラ・マス 0079.2.12 With Or Without You


U2 "With Or Without You" を聴きながら‥‥
宇宙世紀0079.2.12@サイド7

 フェンスの向こうに聳える、その巨大な壁をセイラは見ていた。その壁が、何を隠しているのかセイラは知らない。だが彼女には、それが自分と世界とを隔てる壁であるかのように見えた。自分のいるこの世界には兄はおらず、兄の生きている世界のどこかに自分はもう存在していない。
 そのとき、ふと少し離れたところで壁を見上げる男の声が、耳に入ってきた。
「俺は、面倒はごめんだ。軍隊なんて、真平だ。逃げるは恥だが役に立つのさ」
 そうね、とセイラは思った。私も、逃げたんだわ。兄さんがいない地球で生きることから。しかし、その声は次に彼女の方に向かって飛んできた。
「そう思わないか。え? そこの金髪さん」
 その男を見たとき、思わぬ言葉が口から出ていた。
「恥と思うくらいのプライドはあるのね」

 キャスバル兄さんが南フランスのまち、マルセイユにあったマス家の邸宅から旅立って行った日のことを、セイラはずっと忘れられずにいた。その光景はたびたび夢の中に現れた。兄はあの日と同じ、カーキ色のトレンチコート姿でスーツケースを持っている。その背中を追いかける自分は、いつも実際に別れた14歳より幼くて、フリルのついた青いワンピースを着ていた。
 その夜も、セイラは同じ夢の途中で目が覚めた。兄の名を叫びながらその背中を追いかけているのだが、向かい風が強くて、走っても走っても、一向に兄の背中は近づかず、遠ざかっていくばかり、といういつもの夢だった。
 彼女はベッドの上に体を起こし、時計を見た。4時35分。ベッドから出てカーテンを開けると、窓の外には夜明け前の薄明と、耳が鳴るような静けさが広がっている。
 セイラは部屋の中に視線を移した。父ジオン・ダイクンが倒れてからの6年間を過ごしたその場所は、今はすっかり片付けられ、荷物はスーツケースひとつにまとめられている。兄が旅立った日と同じように。
 まだ時間は早かったが、一度目が覚めると、もう寝付けなかった。セイラは部屋の片隅のライティングデスクの前に腰掛け、デスクの上の写真立てを手に取った。まだ<サイド3>にいてジオンの姫君と呼ばれていた頃、正装して兄と二人で撮ってもらった写真だった。 移住先の<サイド7>に持っていくかどうか、昨日の夜まで決めかねたまま、スーツケースに入れることもできずにデスクに置いたままにしてあったのだ。
 懐かしむようにその写真をそっと指先で撫でたあと、セイラは写真立てを伏せてデスクの引き出しに仕舞った。もう、ここに戻ってくることはないだろう。<サイド3>でジオン・ダイクンの娘、アルテイシア・ソム・ダイクンとして生まれた彼女は、父の死とともに国から捨てられ、父の腹心だったジンバ・ラルに連れられて、この南フランスのマス家の邸宅に匿われた。そこでマス家の養子セイラ・マスとなった彼女は、地球市民として兄とともにここで静かに生きていくもの、と思っていた。だがある日、兄を訪ねて黒服の男がやって来たあと、兄は言った。俺は<サイド3>へ戻る。そして、父の仇を討つ、と。

 セイラは、そのことで自分にも負い目があると感じていた。その1ヶ月ほど前、セイラが交際していた兄の親友に暴力を振るって怪我をさせ、高校を停学処分になっていたからである。しかし、兄はただ、おまえは関係ない、というばかりだった。 俺のことは忘れろ、アルテイシア。ジオン・ダイクンの娘だったことも。そうすれば、地球で幸せに生きていけるはずだ。
 せめてその兄の言葉を信じて、セイラは地球で生きていこうと思っていた。だが、家にいても、学校にいても、街に出かけても、いつも一緒だった兄が存在しないことに、やがて耐えられない自分に気がついた。そんなとき、彼女は開発中のコロニー<サイド7>への移住者募集の公告を見つけた。将来 <サイド7>で専門職に就く人材を育成するための全寮制の学校も開校されるという。
 新天地だ、とセイラは思った。兄との思い出のまったくない新しい場所でなら、自分も一人で生きていけるかもしれない。かつて<サイド3>でコロニーの独立運動を起こした革命家、ジオン・ダイクンの娘アルテイシアという自分を脱ぎ捨てて、ただの宇宙移民者の一人、セイラ・マスとして。

 やがて、窓の外で空が白み始めた。セイラは立ち上がると着替えて身支度を整え、荷物を持って部屋を出た。

 <サイド7>はまだ移民が開始されて間もない新興サイドで、コロニーはまだ1基しか完成していなかった。コロニー内部は都市開発の途上にあり、まだ何も手のつけられていない更地のままの区画も多かった。そこで医療系の学校に籍を置いたセイラにとっては、まさに新天地だった。真新しい学舎と、学生寮とは離れた区画にあった。日々開発が進み変わりゆく街並みを見ながら通学し、新しい店や施設が出来ているのを見つけては、寄り道して帰るのが楽しい日課になっていた。
 だが、ようやく手に入れた心の平穏も、長くは続かなかった。宇宙世紀0079を迎えた年初め、<サイド3>はジオン公国を名乗り、地球連邦に宣戦布告したのだ。

 ジオン公国は宣戦布告と同時に、地球に向けて<コロニー落とし>を敢行した、という。甚大なその被害と死者数がニュースで流れてきたが、セイラはまるでそれが絵空事のように思え現実感を持てずにいた。それは決して彼女だけではなかっただろう。ジオン公国軍はミノフスキー粒子なる電波妨害物資を散布したため地球とコロニー間との電波通信に支障を来たし、リアルタイムの情報がなかなか入ってこなくなったからである。
 それよりも、彼女の心を占めていたのは、兄キャスバルのことだった。父の仇を討つために<サイド3>に行く。そう言い残して彼女のもとを去ってから、兄の消息は完全に途絶えていた。本当に<サイド3>に行ったのかどうか、今生きているのかどうかもわからなかった。
 だが、そこに彼女は不思議な安堵感を感じていた。ジオン公国が戦争を起こしたなら、もう、兄が父の仇を討つまでもないだろう、と思ったのだ。まちがいなく、地球連邦がジオン公国に勝利するだろう。そうすれば、父ジオンを暗殺して独裁政権を築いたというザビ家一族は、敗戦の責任を問われることになる。
 しかし、国力では地球連邦が圧倒的であるにもかかわらず、戦局は日に日に悪化していった。<コロニー落とし>に続いて<サイド5>ルウム宙域で両軍の艦隊が繰り広げた会戦で壊滅的な敗北を喫した地球連邦軍艦隊は、総司令官だったレビル将軍が捕虜となり、もはや停戦交渉やむなしという状況に陥った。
 そのレビル将軍が捕虜収容所から奇跡の脱出を果たしたことで、南極で行われるはずだった停戦交渉は頓挫したが、地球連邦軍は反転攻勢に出るほどの戦力を確保できないまま、ジオン軍の地球降下を許し、ジオン軍の占領地域は瞬く間に五大陸の半分を占めるほどにまで拡大した。

 こんな状況の中で、兄は<サイド3>に今も身を隠しているのだろうか。あるいは素性が知られて囚われているかもしれない。もはやこの世にいないかもしれない。ニュースで戦況が伝えられるたび、セイラは兄を思って心の震えを止められなかった。

 キャスバル兄さん、あなたという人は、一緒にいてもいなくても、いつも私を不安にさせるのね‥‥

 セイラは部屋の窓から夜空を見上げた。コロニーの中の夜空には、コロニーシリンダー内部にへばりつく街の灯りがまたたくばかりだ。もし兄さんが生きていたとしても、ここからは兄さんの見ている宇宙は見えないのだ、とセイラは思った。

 それからしばらくたった頃、まだ何も建てられていなかった広大な区画がフェンスで区切られ、巨大な壁面で囲われた。今、秘密裏に連邦軍がジオン軍に対抗できるモビルスーツを開発している、とも噂されている。学校では、突然建設が始まったあの巨大構築物こそ、モビルスーツ開発のファクトリーではないかとささやかれていた。
 ふとした好奇心で、セイラは学校からの帰り道に、少し遠回りして噂の場所を見てみることにして、遠くからでもよく見えるその壁に向かって、自転車を走らせた。

 自転車を降りてフェンスに立てかけると、セイラはその巨大な壁をた。その壁が、何を隠しているのか本当のところはわからない。だが彼女には、それが自分と世界とを隔てる壁であるかのように見えた。自分のいるこの世界には兄はおらず、兄の生きている世界のどこかに自分はもう存在していない。
 そのとき、ふと少し離れたところで壁を見上げる男の声が、耳に入ってきた。

「‥‥俺は、面倒はごめんだ。軍隊なんて、真平だ。逃げるは恥だが役に立つのさ」

 そうね、とセイラは思った。私も、逃げたんだわ。兄さんがいない地球で生きることから。
 しかし、その声は次に彼女の方に向かって飛んできた。
「そう思わないか。え? そこの金髪さん」
 その男を見たとき、思わぬ言葉が口から出ていた。
「恥と思うくらいのプライドはあるのね」
 予想もしなかった返答に、その男はムッとした表情で言い返してきた。
「へー、あんた。きれいな顔してるくせに、随分と刺々しいじゃないか。何が言いたいんだ? はっきり言えよ」
「金髪さん、じゃないわ。セイラ・マスよ」彼女は言った。
「あなたも私と同じってことよ。私もここへ、逃げてきたのだから、地球から」
「なんだ、エリートさんかよ、つまらねえ」
「新天地だと思っていたわ。だけど‥‥、どこまでも追いかけてくるわね、現実は」
「俺たちのせいじゃない」男が言った。
「大人たちの、失敗のせいだ。俺たちは、ただ巻き込ままれただけだ」
 彼女は、フェンスの向こうに目を向けた。そして静かに言った。
「でも、大人の失敗のツケを背負わされるのも、私たちなのよ」
 もう一人の少年が、男の肩を叩いて言った。
「行こうぜ、カイ。とにかく、俺は行くことにしたんだ。 残りの日ぐらい、楽しくやろうぜ」
「お、おう」
 二人は、そのフェンスの前から去っていった。セイラは、カイと呼ばれたその男の背中を見送ると、また、目の前の壁に視線を戻した。
 
 バカな、兄さん。こんなことになるのなら、そのまま地球にいればよかったのに‥‥

 さっきまで横で話していた少年は、志願して軍に入隊するつもりらしい。セイラはそれを聞いて、ふと嫌な予感に囚われた。もし、兄さんもあの少年のように、志願して軍に入隊していたら? もうすでに前線に出て戦っているとしたら?
 そうすると、またあの心の震えが彼女を襲った。

 見知らぬ地球へ降りたとき、安心を求めていつもその背中を追いかけていた。その兄が姿を消した今、セイラの心は、安心を求めて、見えない壁の向こうを彷徨っていた。

 キャスバル兄さん、一緒にいてもいなくても、いつも私はどうしていいか、わからない‥‥。兄さんは優しいけれど、いつも心を隠しているような気がしたから。
 新天地を求めてやって来た<サイド7>にいたとしても、結局、その心は元いた場所に引き戻されている。そんな自分をセイラは悲しい、と思った。

 気がつくと、あたりはもう薄暗くなっていた。セイラはフェンスに立てかけてあった自転車を起こして跨り、強くペダルを踏み込んだ。
 そして、頬を撫でる夜風を感じながら、思っていた。どんな方法でもいい、せめて兄さんが今も生きているということがわかるなら‥‥、もう一度私は、その背中を追いかけていくだろう。

 きっと、追いかけてゆくだろう。











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