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機動戦士ガンダム0080 #1 残響 Reverb

1979年に放映された「機動戦士ガンダム」第43話(最終話)のあとに続くお話です。最終決戦の地ア・バオア・クーから脱出を果たしたホワイトベースのクルーたち、中でもアムロとセイラの「その後」を描いた短編です。

 宇宙世紀0080、地球連邦政府とジオン共和国との間に、終戦協定が結ばれた。
 
 そのニュースを、ジオン公国の宇宙要塞ア・バオア・クーに沈んだ戦艦ホワイトベースから脱出してきた乗組員たちは、連邦軍がジオンから奪取した要塞ソロモンに向かう船の中で聞いた。

 生き延びた最後の一人として、コアファイターで脱出したアムロはブライトらの乗るホワイトベースの救命艇に導かれ、彼の不思議な声に導かれて沈むホワイトベースから脱出してきた仲間らに、涙と歓声をもって出迎えられた。そして彼らを乗せた救命艇は、残存した戦艦マゼランに収容された。シャア・アズナブルとの生身の戦いで腕に深い傷を負ったアムロは、艦内に乗り移るとすぐに医務室へ運ばれ、治療を受けた。そしてそのまま、彼は眠りについた。

 ‥‥ムロ、アムロ! 大丈夫? アムロ‥‥

 肩に触れた手が、彼を揺さぶっている。アムロはハッ、と目を覚ました。フラウ・ボゥの心配そうな顔が目に映る。アムロはふうっ、と大きく息を吐いた。
「大丈夫? アムロ。汗びっしょりよ」
「あ、ああ‥‥」
 彼は四肢に力を入れると、ゆっくりとベッドの上で体を起こした。いつの間にかノーマルスーツが脱がされ、アンダーウェア姿になっていた。右の上腕部に激痛が走り、アムロは思わず顔をしかめる。その額の汗を、フラウはタオルで拭き取ると、言った。
「すごく、うなされていたみたい。顔色が真っ青よ。私、ドクターを呼んでくるわ」

 立ち去るフラウの背中を見送ると、アムロは周囲を見まわした。宇宙要塞ソロモンの一画、いくつものベッドが並ぶ無機質な病室には、傷の手当を受け、点滴の管でつながれた傷病兵らが横たわっている。彼らの口から漏れるうめきやつぶやきが、その部屋全体を覆っていた。

 夢を、見ていた。不思議な夢だった。湖のほとりに、彼はたたずんでいた。湖面には、多くの白鳥が羽を休め、戯れていた。その優美な姿に、彼は見惚れていた。思わず手を伸ばし、その白い翼に触れようとした。
 そのとき、どこかで叫ぶような声が聞こえた。驚いた白鳥たちが、一斉にその翼を広げると、水飛沫を上げながら、まるで湖上を駆けるように羽ばたき始める。やがてその体が浮き上がり、次々に羽ばたきながら、青空の中へと吸い込まれていく。
 しかし、群れの中の一羽は、水面から離れられず、やがて力尽きたように羽ばたきを止めて翼を閉じた。そのままゆっくりと水面を漂い、静かに、霧の中へと消えていった。
 霧は白く、湖面を覆い尽くした。静まり返った霧の中に、ただ、少女の声だけが響いている。
 はじめ、泣いているように聞こえたその声が、やがて言葉となって響いてきた。

 ‥‥にいさん‥‥兄さん、兄さーん‥‥

 一体、誰を呼んでいるのだろう、その夢を振り返っていると、フラウ・ボゥがドクターを連れて戻ってきた。
「アムロ曹長、具合はどうですか」
「汗をすごくかいていたみたいで」アムロは答えた。
「頭が痛いんです」
 ドクターはアムロを診察すると、軽い脱水症状ですね、といって看護兵に点滴を入れるよう指示した。
「すべての戦闘行為は、停止されました」処置をしながら、看護兵は言った。
「もう、戦う必要はなくなったんです。ゆっくり休んで、といいたいところですが、しばらく補給が滞っていてね、ここも医薬品がそろそろ底を尽きそうです。あなたがたの部隊は、早急に帰還することになりそうですよ」
「そのことで、これからブリーフィングがあるみたいなの」フラウ・ボゥが言った。
「私、話を聞いてくるから、アムロは休んでいて、ね?」

 どれくらい、まどろんでいただろうか。気がつくと、ベッドの傍らにフラウ・ボゥとハヤトがいる。アムロが体を起こすと、二人は安心した面持ちを見せた。
「ブリーフィングを受けてきたわ」とフラウ・ボゥが言った。それによれば、旧ホワイトベース乗組員は全員、明日10時発の船で、ジャブローに向かうよう指示された。ジャブローに到着した後、現地徴用兵は除隊の手続きを行うとともに、18歳未満の未成年者は、身元引受人と連絡が取れ次第、帰宅できるという。
「身元引受人?」アムロが疑問の声をあげる。
「そんな人、いるのかな」
「アムロには、お母さんがいるでしょ」フラウ・ボゥの言葉に、彼は首を振る。
「身元引受人が見つからない人は、東京に開設されている避難民居住区に入ることになるって」ハヤトが言った。
「やっぱり<サイド7>には戻れならしい。コロニーに穴が空いたまま、放置されてて」
「明日、9時にここに迎えにくるわ」フラウ・ボゥはそう言うと、持ってきた着替えの制服一式を彼に渡した。
「とりあえず、ジャブローに着いて除隊になるまでは、これを着ていなきゃいけないんだって」

 意外にも、ジャブロー行きのために割り当てられた船は、適当な輸送船ではなく、きちんとしたシートのある旅客船だった。ノーマルスーツを着用していなくても搭乗できる、将官用の特別デッキから、彼らは船に乗り込んだ。持っていたものはすべてホワイトベースとともに吹き飛ばされてしまった彼らには、何の荷物もない。
 フラウ・ボゥに連れられて、そのデッキにやってきたアムロは、無意識のうちにセイラの姿を探していた。Gアーマーにガンダムをボルトインし、共に出撃することの多かったアムロにとって、それは自然なことだった。アムロは、カイ・シデンやミライ・ヤシマの背中ごしに、彼女がいるのを見つけた。

 あ‥‥

 その横顔を認めた瞬間、セイラはアムロの方に目を向けた。視線を合わせたそのとき、アムロはドクン!と大きく、みぞおちのあたりが音を立てたのを感じた。それはやがて、焼け付くような熱になって、のどの奥にまで込み上げてきた。ふうっ、と大きく、彼は息を吐いた。
「よおっ、アムロ」彼に気づいたカイが、右手を上げた。
「あら、アムロ。よかった、すっかり元気を取り戻したみたいで」とミライも声をかける。
「ありがとうございます、まだ右腕を動かすと痛みはあるけど、体はもうすっかり大丈夫です。いつまでも寝込んでいて、こんなところに置いてきぼりにされたくありませんからね」
 搭乗口が開くと、彼らは先を争うように船に乗り込んだ。アムロはセイラの後を追っていき、彼女がシートに座ると、すかさず言った。
「隣り、いいですか?」
「もちろんよ」彼女が言った。
 船窓の外では、発進準備作業が進んでいる。その様子を見ながら、船の中ではカウントダウンが始まっていた。船が動き出すと、わあっ、と歓声が上がった。この顔ぶれで発つ、これが最後の旅だった。


 前で足をクロスさせ、ゆったりとシートに腰掛けたセイラは、パイロットだったときとはまるで違って感じられた。いつも、どこか物憂げに思い悩んでいるような表情が、今は柔らかな笑みに変わっている。
「不思議なものね」と彼女は言った。
「ホワイトベースに乗っているときは、船から1日も早く降りたくてたまらなかったのに、こうして離れてみると、寂しく感じてしまうなんて」
「セイラさんは、どうするんですか? ジャブローに戻ったら」アムロが言った。
「そうね」セイラは、少し戸惑ったように俯いた。
「もし連絡が取れたらだけど、南フランスに家族がいるの。そこでしばらく、羽を伸ばせたら、って思ってるわ」
「そうですか、家族が‥‥」
 思いがけない返答に、アムロは彼女の顔をぽかんと見つめた。
「家族が、いたんですね、地球に‥‥」
 ふと耳の奥に、あのとき夢で聞いた、あの声が蘇ってくる。

 ‥‥にいさん‥‥兄さん、兄さーん‥‥

 その瞬間、アムロは腹の底から湧き上がってくるような衝撃を感じ、まるで金縛りにあったように身を固くした。

  ‥‥‥兄さん、キャスバル兄さーん‥‥

 夢で聞いた、と思ったあの少女の声が、どこで耳にした誰の声だったか、そのときアムロははっきりと思い出した。
 言葉もなく、アムロは隣に座るセイラを見つめた。まるで、ここではないどこかを凝視しているような目だった。
「どうしたの、アムロ、大丈夫?」
 思わず、セイラは彼の顔をのぞきこむ。我に帰ったように、アムロは曖昧な笑みを浮かべると立ち上がった。
「え、ええ、大丈夫、ちょっと席を外します」


 化粧室のドアを閉めると、アムロは洗面台のふちに両手を置いて、身をかがめた。その脳裏に、ありありとあの時の光景がよみがえってくる。最終決戦の戦場となったジオンの宇宙要塞ア・バオア・クー。ガンダムに最後の一撃をさせた後、倒すべき本当の敵の姿を求めて深く入り込んだ、その場所で、彼を呼び止めたのはあの男、「赤い彗星」と恐れられたシャア・アズナブルその人だった。
 その場にあった剣を取って、二人はぶつかり合った。もはや、戦争ではない。剥き出しの敵意だけが、そこにあった。この男だけは、生かしておいてはいけない。そんな思いがアムロを突き動かしていた。シャアもまた、そうだったに違いない。確かに、彼はこう言ったのだ。君のようなニュータイプは危険すぎる。私は君を殺す、と。
 そのときだ、兄さん、と呼ぶ声を聞いたのは。二人の私闘を止めさせようと、彼女はその場に飛び込んできた。

 ‥‥やめなさい、アムロ! やめなさい、兄さん! 二人が戦うことなんてないのよ!戦争だからって二人が戦うことは‥‥

 そのときは無我夢中で考える間もなかったが、あのとき確かにセイラは言ったのだ、兄さん、やめて、と。自分とシャアしかいない空間で、その言葉が誰を指しているのか、疑う余地もないではないか。
 
 アムロは力なく、その場にうずくまった。まるで真空に放り出されたかのように、吸っても吸っても、息ができない。


 心地よいシートに身を預け、まどろみかけていたブライトは、自分の名を呼ぶセイラの声に目を開いた。
「どうした、セイラ? 何かあったのか」
「アムロが化粧室に入ったまま、いつまでたっても戻らないの。様子を見てきていただけないかしら」
「わかった」彼は頷くと立ち上がり、通路をたどって化粧室へ向かった。セイラも後からついてくる。扉を開けると、そこにうずくまり、苦しげに息をしているアムロを見つけた。
「どうした、アムロ、大丈夫か?」
 ブライトは身を屈めると、うずくまる彼を抱き起こした。その苦悶の表情に、セイラは思わず息を呑む。
「セイラ、サンマロを呼んできてくれ」ブライトはホワイトベースの看護兵の名を告げた。

 駆けつけたサンマロは、アムロを床に座らせると、リズムを取ってゆっくりと呼吸を整えさせた。
「大丈夫、過呼吸になっているだけです、これで死ぬようなことはありませんから」
 やがて、アムロは落ち着きを取り戻し、セイラはほっとした表情を見せた。
「すみません、もう大丈夫」アムロはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。サンマロは、ブライトとアムロの顔を交互に見ながら、言った。
「ジャブローに到着したら、きちんと診察を受けた方がいいですね、恐らくアムロはPTSDを発症しているのだと思います」
「PTSD?」
「心的外傷後ストレス障害といって、戦争とか災害とか、命の危険を感じるような出来事を経験したことをきっかけに、心身に不調が生じるというものです」
「誰だって、こんなふうになるかもしれないってこと?」
 サンマロが、うなずいた。アムロは首を振ると、何事もなかったかのように、席へと戻って行った。

 ジャブローに着いたあとも、あのときのセイラの声が、残響となってアムロの心の中にあった。シャアは、セイラの兄だと、あの出来事は語っていた。信じられないことだった。だが、そうだとすると、腑に落ちることも少なくなかった。そのことが、なおさらアムロの心を傷つけた。

 シャアが戦場に、ニュータイプの少女ララァ・スンを投入したときのこともまた、脳裏に鮮明に蘇ってきた。ニュータイプとして覚醒状態に入ったアムロは、瞬く間に敵の遠隔操作兵器を撃ち落とし、本体に迫った。そのとき、敵であったその少女と、彼は不思議な能力で意思疎通を果たした。そして、わかりあうことができたのだ、互いは戦うべき相手ではないと。だが、二人の思いがつながり合った次の瞬間、シャアのゲルググが介入し二人の機体を引き離した。アムロは彼に迫り、セイラのGファイターがシャアの気を外らせたその時、ゲルググにトドメを刺そうとガンダムのビームサーベルを振り翳した。しかし、そのビーム光が刺し貫いたのは、シャアの機体ではなかった。その前に立ちはだかったララァの機体を、アムロのビームサーベルは貫いていた。
 自分の身を投げ出してまで、ララァはシャアを守った。そのことが、アムロにはとてつもなく苦かった。シャアこそが彼女を戦争の道具にしたのに、そのくびきから抜け出そうとせずシャアを愛する自らの意志を貫いたのだ。だが、それだけではなかった。あの空域には、セイラもいた。もしあのとき自分がシャアを撃墜していたら、セイラはどれほど悲しんだだろう。確かにあのときも、彼女は叫んでいた、兄さん、下がって!私よ、わからないの?と。
 覚醒したニュータイプ能力のすべてを、あのときアムロはただ、シャアに勝つことだけに集中していた。だが、本当になすべきことは、違ったのだ。ララァはあのとき、人の心の叫びを聞いていた。そして、アムロとシャアとの間に横たわる殺意を一身に受けて、散ったのだ。

 ジャブローで残務処理を終え、除隊の日が近づいていた。除隊後の落ち着き先の決まった者から順に、ジャブローを離れてゆく。ア・バオア・クーから脱出を果たしたとき、帰るべき場所だった仲間たちが、こんなにも早く消えゆこうとしていることが、アムロをますます落ち込ませた。

 そんなアムロの様子の変化に、セイラは気づいていた。その理由にも。自分が強い敵意を持って堕とそうとしていた男が、バディを組む相手の兄だったのだ。
 もし、今までのアムロだったなら、それを知ればきっと黙ってはいなかっただろう。どういうことなんですか、セイラさん。ぼくはあなたの兄さんと戦っていたってことなんですか、と、ちょっと怒ったような口調で問いかけてきたに違いない。だが、彼はそうはしなかった。彼はセイラに、決して話しかけようとはしなかった。避けているのだ、と彼女は思った。
 彼女がジャブローで過ごす日も、残りわずかになっていた。南仏にいる養父母と、連絡を取ることができ、帰る日も決まった。それまでに、アムロにだけは話しておかなければ。
 セイラは、食堂で仲間から離れて一人でいるアムロの横顔を見た。そのとき、彼女の視線に気づいたかのように、アムロはその目をセイラに向けた。その表情に、胸が突かれる思いがした。

 悲しい目をしている‥‥

 セイラは、彼にそっと微笑みかけたいと思ったが、できなかった。その目に浮かぶわずかな感情、それが、あまりにも自分と似ている、と思った。


「あ、アムロ」彼が、一人でいることに気づいたフラウ・ボゥが、近づいてきた。
「ここ、座っていい?」と、彼の向いの席を指す。
「うん」アムロが頷いた。
「相変わらず、元気そうだね、フラウ」
 その足元を転がるようにやってきたハロが、つぶらな瞳を輝かせながら、答える。
「アムロ、ゲンキ、ナイ、ゲンキ、ナイ、ダイジョウブカ、アムロ」
 苦笑いを浮かべながら、アムロが言った。
「大丈夫だよ、ハロ。怪我も治ったし、もうすっかり元気さ」
「ちっとも、そんなふうには見えないけど、ねー、ハロ」とフラウがアムロの方に身を乗り出して、言う。
「いいの? このままで。セイラさん、2日後にはここを発つことになってるのよ?」
「えっ」フラウの言葉に、アムロは目を丸くする。
「ほら、やっぱり知らなかったのね。どうするの、このままでいいわけ?」
「な、何の話だよ」
 フラウは、アムロに顔を近づけると、声を低めて言った。
「わかってるわよ、アムロ。好きなんでしょ? セイラさんのこと」
 アムロは口を閉じ、否定も肯定もしなかった。だがフラウはその頬が、さっと赤らんだのを見逃さなかった。
「その気持ち、今伝えないでいたら、一生後悔すると思うわ」
 アムロの目の色がさっと変わった。
「関係ないだろ、何もかも分かったような口を聞くなよ」
 今まで聞いたことのないような、低い、けれど激しい怒りを含んだ声だった。思わずフラウは、肩をすぼめた。
「ごめんなさい‥‥」
「除隊申請書ってやつを書かされたとき、聞いただろ? ガンダムのこと、ホワイトベースのこと、何もかも軍の機密で口外してはいけないって。僕たちは必死に戦った、だけど、結局その事実も隠されたまま、何もなかったことにされてしまうんだ。ホワイトベースのことなんて、一年もたてば、僕らだって忘れてしまうさ」
「そうかもしれないわね、そうかも‥‥」
 フラウ・ボゥは、テーブルに置かれたグラスを、じっと見つめている。グラスの表面に浮かんだ水滴が、涙のようにしたたり落ちてテーブルの上を濡らしていた。
「でも、人を好きになる、っていう気持ちは、そんなに簡単に、消えてしまうと思わない。そう思わない? アムロ」
 フラウは目をあげて、アムロを見た。
「アムロはいつだって、自分の気持ちに正直だったじゃない。それで、人とぶつかったり、腹の立つこともあったけど、でも、そんなアムロのまっすぐなところが、私は好きだった。だから、今の自分の気持ちに、嘘をつかないてほしいな、って思うの」
「僕たちはもう、子供じゃないんだ」アムロが言った。
「自分に正直になることで、人を傷つけることもある。それなら、自分が傷ついている方がましだ」
 どうして? フラウ・ボゥは口から出そうになった叫びを飲み込んだ。セイラさんは、あんなに愛おしそうな目でアムロを見ている、というのに。
 「それじゃ、僕はもう行くから」そう言い残して、アムロは去っていった。


 旅立ちの日が、近づいていた。セイラはアムロに、せめて本当のことを話しておきたかった。夜が来て、各自が自分の個室に戻る頃、彼女はアムロの部屋の前までやって来た。ちょうど彼は、ヘルメットを片手にノーマルスーツ姿で立っていて、自室のドアを開けようとしているところだった。
「あ、アムロ。どうしたの? その格好」
 振り向くと、彼は静かに答えた。
「ジムの操縦テストをしていたんです、僕の操縦データを記録して、今後のシミュレーションに使うそうです」
「最後まで、忙しいのね」
「何か、用ですか」
 感情のこもらない声で、アムロは言った。
「え、ええ、明後日には私、ここを発つことになっているの。それで最後に、あなたと話をしておきたい、と思って」
「わかりました、では着替えるので食堂で待っていてください」
 そう答えたアムロの目に、笑みはなかった。


 人気のなくなった食堂で、セイラはアムロにすべてを話した。ジオン・ダイクンの娘として生まれたこと、父が暗殺され、名前を変えて地球に隠れ住んだこと、兄キャスバルは暗殺された父の復讐のため、シャア・アズナブルと名前を変えてジオンへ渡ったこと、<サイド7>が襲撃されたとき最初に遭遇し、シャアは兄ではないかと疑い始め、本当のことを知るために軍に身を置いたこと、シャアの正体を知ってからは、兄を止めようとしたこと。
 話終わると、アムロは静かに言った。
「ありがとうございます。言いづらいことを話してくれて」
 セイラは、微笑んだ。だがアムロは表情を崩さなかった。
「話を聞いて、そうだったのか、と思いましたよ。ときどきセイラさんは、敵の機体に誰が乗っていると思う?とか、不思議なことを聞いてきたけど、お兄さんのことを心配していたんですね、僕に殺されるんじゃないか、って」
「違うわ、そんなこと!」
 セイラは、アムロの瞳の奥に燃える怒りを見た。
「それならそうと、どうしてあの時話してくれなかったんですか、そうすれば、僕だって戦いを止める方法を考えられたのに」
 セイラは、口を閉じた。アムロは口にしなかったが、言いたいことはわかっていた。僕のこと、それほどには信じてくれなかったんですね。
「でも、もう済んだことです。元に戻してやり直すってわけにもいかないんだから、過ぎたことは忘れるしかないでしょう」
「そう‥‥それが正しいことなのかもしれないわね」消え入るような声で、セイラは言った。アムロは、立ち上がった。
「じゃあ、僕はこれで失礼します。ジムのテストは明日も、明後日も続くので、見送りにはいけませんけど、どうか、これからもお元気で」
 去っていくアムロの背中が見えなくなるまで、セイラはみじろぎもせずにいた。

 ‥‥‥兄さん、キャスバル兄さーん‥‥なぜ行っちゃうのー? 行かないで‥‥

 耳の奥に、あの時の声がリフレインしている。セイラは流れ落ちる涙を、ぬぐうことさえできなかった。


 南フランスにいる養父母のもとへ、旅立つ日が来た。制服を脱いだセイラは、ジャブローの広大な基地内にあるショッピングモールで買った、鮮やかなブルーのワンピースで装い、手には白いコートをかけていた。南米にあるジャブローは夏だけれど、北半球は冬の最中だ。
 ジャブローにある航空機の発着デッキには、ブライトやミライ、カイやハヤトなど、ホワイトベースの仲間たちが、見送りのために集まっていた。私服姿の彼女を見て、フラウ・ボゥが声を上げた。
「わー、素敵。やっぱり、すごくよく似合ってるわ、そのドレス」
「ありがとう、フラウ・ボゥ」
 カジュアルな服でいい、と思っていたのに、フラウは絶対にこの方が素敵に見えるから、とこのフェミニンなドレスを勧めてくれたのだ。
「ところで、アムロは? まだ来ていないの?」
「そう言えば、今日は朝から全然、見かけないけど」とカイも言う。
「アムロは、ジムのテストがあるから来られないって、言っていたわ」
「えーっ」と、一同が一斉に声を上げる。
「何やってんだ、あいつは。俺に一言言ってくれたら、予定を変更するぐらいのことはできたのに」
「いいのよ、ブライト。あなたが声をかけてくれたんでしょう?みんなが来てくれて、うれしいわ」
 搭乗ゲートが開いた。セイラは一人ひとりと抱き合って別れを告げ、ゲートの向こうへ消えていった。


 離陸した航空機の窓から、広大なアマゾンの熱帯雨林が見え始めた。セイラの他にも何人か、除隊になったり異動を命じられた兵士たちが、乗っていた。みなそれぞれの場所で窓の外から、その風景を眺めている。
 
 ゴォッ!!

 そのとき、すさまじい轟音が響き、窓の外を何かがよぎった。なんだ、あれは?という問いに、パイロットが答える。ジムってあるでしょう、モビルスーツの。何でも凄腕のテストパイロットが基地にいるらしくてね、ここ数日、操縦テストをやってるんですよ。
 見てみると、左の空に、ガンペリーによく似た輸送機が飛んでいる。ジムはそこから、自由落下しつつ数機で模擬戦闘をしているのだ。
「来るわ、今度は下から!」思わずセイラは声を上げる。次の瞬間、今度は下から大地が揺れるような轟音とともに、ジムの白い機体が飛び上がってくる。その中の1機は、セイラらの乗った航空機のまじかを、かすめるように上昇していた。他の数機が、とても追いつけないような速さだった。
 セイラは窓から、その機体を見上げた。モビルスーツには飛行能力はないが、ジャンプと落下を繰り返すことで、空中戦ができるのだ。
 上昇し切ったジムが、落下を始める。アマゾン上空を上昇してゆく航空機と、一瞬、ジムが交叉した。
 そのとき、ジムの頭部がこちらを向き、まるで別れを告げるかのように、その手を上げた。
「アムロ、アムロなの?」
 セイラは思わず身を乗り出し、窓に額をつけるようにして、その様子を見つめていた。目の前を、その白い機体がスローモーションのように通り過ぎてゆく。
 エンジンがうなりを上げ、セイラの乗った航空機は上昇していく。熱帯雨林に覆われた大地に、アマゾンの大河がうねるような曲線を描いている。
 遠ざかるそのジムの機体は、緑の大地へと消えていった。


 やがて機体は雲を抜け、抜けるように青い空が窓の外に広がった。セイラはシートに身をあずけ、そっと目を閉じた。耳の奥にまだ、ジムが通り過ぎたあの瞬間、心の中に飛び込んできた声が響いている。

 ‥‥それでも、愛してる‥‥セイラさん、僕は忘れない、あなたと飛んだ、この宇宙そらを‥‥


〜Fin〜


<ちょっとしたあとがき>

本作を、最後までお読みくださりありがとうございます。
レビューをするため、テレビ版「機動戦士ガンダム」を最終話まで見たあとに、どうしても心に引っかかったことがあって思い巡らすうちに、頭の中にイメージが降りてきて、衝動的に描いた短編です。

アムロとシャアとの最後の戦いの場に、二人を止めようとやってきたセイラはシャアを「兄さん」と呼びますが、アムロはそのとき初めて、セイラがシャアの妹であることを知ったのではないでしょうか。だとすれば、アムロはその事実を、すんなりと受け入れることができたのか、どうしても気になって、夜も眠れなくなってしまったんです。

だってアムロは最初から、ずっと「赤い彗星」を敵として、命を賭して戦ってきたのですから、そして特別な出会いをしたララァを、自らの手で殺めてしまったのです。その原因を作ったシャアという男を、セイラの兄だからという理由で、簡単に受け入れることなどできなかったはず。

そこに生まれる、心の葛藤というものを描いてみたい、と思ったんんです。

このお話は、テレビ版原作を土台にしているので、そのまま、続編であるΖガンダムにつながります。
けれど、私はアムロとセイラというカップリングが大好きなので、それとは別のお話を書きました。本作は、アムロとセイラの別れのお話ですが、この続きには、ふたりの再会が待っています。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。 ぜひ、スキやシェアで応援いただければ幸いです。 よろしければ、サポートをお願いします。 いただいたサポートは、noteでの活動のために使わせていただきます。 よろしくお願いいたします。