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機動戦士ガンダム0080 #4 逃避行 Run Away

1979年に放映された「機動戦士ガンダム」第43話(最終話)のあとに続くお話です。最終決戦の地ア・バオア・クーから脱出を果たしたホワイトベースのクルーたち、中でもアムロとセイラの「その後」を描いた短編です。
終戦後、普通の高校生に戻ったアムロですが、そのパイロットとしての才能を惜しんだ連邦軍は、卒業後、軍に戻るようにとスカウトします。そんな中、ブライトはホワイトベースの仲間たちと集まる計画を立てるのですが‥‥。さて、アムロとセイラは再会できるのでしょうか、そして二人が選ぶ道は?

「アムロ、こっちよ!」
 オーダーストップの時間前ぎりぎりに、食堂に飛び込んできたアムロに、フラウ・ボゥが手を振った。その横では、カツ、レツ、キッカがそろって食事をしている。
「遅かったわね。こんなことになるかと思って、アムロの分、確保しといたわよ」
 差し出された夕食のトレイを前に、アムロはフラウの向かいの席に座ると、首元に手をやって、ネクタイをゆるめた。
「学校の制服、着替えてこなかったの? ひょっとして今までずっと、学校にいたの?」
 夜の8時を過ぎているというのに、アムロはワッペンのついた紺のブレザーに縞のネクタイという、高校の制服姿のままである。不機嫌そうな顔つきで、黙々と食事をし始めた。
「ねえ、学校にいたの?」とフラウ・ボゥが聞き返す。
「関係ないだろ」アムロがそう言い捨てると、会話は途切れた。

 アムロらが、トーキョーのベイエリアにある<避難民居住区>に住み始めてから、1年半余りが過ぎていた。暑かった夏が通り過ぎ、空気にはひんやりとした秋の気配が漂っている。居住区には、親を失った子供たちも多く暮らしており、戦災孤児を養護する施設も兼ねていた。一人ひとりにアパートの一室が与えられていたが、ボランティアにより運営されている食堂では、無料で食事を摂ることもできるようになっている。
 入居した当初は多くいた戦災孤児たちも、成人して一人暮らしを始めたり、親戚に引き取られていくなどして一人、ひとりと姿を消している。今、17歳のアムロやフラウ・ボゥ、ハヤトらも、18歳になれば、独り立ちしてここを出て行ってもよいことになっていた。
「ハヤトは、一緒じゃなかったのかい」
 キッカがテーブルにこぼしたスープを片付けているフラウに、アムロがたずねた。
「今日は、柔道の練習日よ」
「喧嘩してるって、聞いたけど」
 フラウが、アムロの方に顔を向けると、頬杖をついて言った。
「だって、高校を卒業したら、また連邦軍に入隊するって言い出すんだもの」
「別に、いいじゃないか」
「いやよ。入隊したらどこへ飛ばされるかわからないし、それに、もし、また戦争になったら、出ていかなくちゃいけないのよ」
「だけど、ハヤトはそれでも軍で仕事をしたいって、思っているんだろ? なら、しょうがないじゃないか」
「そうよね、その通りよ」
 というフラウの言葉は刺々しい。
「アムロには、わからないわよね。私の気持ちなんか」
「なんだよ、その言い方!」
 しかしアムロは、フラウの横でおろおろしているちびっ子たちの様子を見て、それ以上何かいうのはやめておくことにした。食べ終わった夕食のトレイを持って立ち上がると、それを返却口に置いて、食堂をあとにした。

 遅くなったのには理由があった。トーキョーにある地球連邦軍地方本部の人事担当者が、アムロを訪ねて高校にやってきたのだ。担当者は彼を事務所まで連れていくと、応接室へ招き入れ、高校卒業後の進路は決まっているのか、と尋ねてきた。まだ何も考えていない、と答えると、担当者は言った。士官学校はどうですか。この大戦で新たに登場したモビルスーツのパイロットを目指すコースも新設されています。ほら、ダイバの公園に展示してあるでしょう、連邦軍の主力機、ジムです。乗ってみたくありませんか?
「なぜ、僕なんですか?」アムロが言った。
「高校には、パイロット志望の学生だっていっぱいいると思いますけど」
「ジャブローから、あ、いえ、連邦軍本部から、特別な推薦が受けられるんです」
 担当者は、よくわからない理由を言い、それから、全寮制で学費は免除、生活費も必要なく、卒業後は確実に軍の士官として一歩を踏み出せること、士官学校でも軍事訓練とともに高い教養を身につけられ、大学卒業と同等の資格を得られることなど、そのメリットを熱弁し始めた。
「どうですか、君の才能を、そこで生かしてみては?」
「興味もないし、軍人になる気もないんです」
 アムロは立ち上がると、では、と言って事務所を出ていった。その頃には、もう日もとっぷりと暮れており、急いで居住区へ戻ってきたのだった。
「誰が、軍になんて戻るものか」
 人影もまばらになった通りを歩き、彼は待つ人もいない自分の部屋へ戻った。


 ミライ・ヤシマのもとに、ブライトから連絡が入ったのはそれからひと月ほどたった頃だった。来月、感謝祭の休暇がある。君に会いにトーキョーへ行こうと思っているのだけれど、予定はどうだろう、という話だった。一も二もなく、ミライはいいわね、と返事をした。日本では、ちょうど紅葉のシーズンだから、観光にもとてもいいわ。
「それともう一つ、希望があるんだが」
「なあに?」
「せっかくの機会だから、ホワイトベースの仲間を集めて、一緒に食事でもできないか、と思っているんだが」
「いいじゃない、みんなには私から連絡しておくわ。カイとセイラはどうかしら、確かヨーロッパの方にいたわね。来れるといいんだけど」
「アムロにも、声をかけてくれよ」ブライトが言った。
「少し、個人的に話したいことがある」
「アムロと?」
 少し嫌な予感を抱きつつ、ミライは電話を切った。

「ちょうどいいわ、感謝祭の休暇をどこで過ごそうか、と思っていたところなの」
 ミライからの連絡を受けて、セイラはそう即答していた。
「まあ、セイラ、ということは、あなたも北米にいるの?」
「ええ、やっぱり大学で、きちんと勉強しようと思って」
「では、最初の望み通り、お医者さんになるのね?」
「いえ、そういうことじゃないんだけど、その話は、会ったときにね」
「そうだったわね」
 ふふふ、とミライは楽しそうに笑い、会合の日時と場所を告げた。
「トーキョー組は、みんな顔を揃えるわ。アムロ、ハヤト、フラウ・ボゥ、それにちびっ子三人組。あと、カイも来るって」
「楽しみだわ」セイラが言った。
「でも、いいのかしら。あなたたち、二人で久しぶりの逢瀬を楽しむ予定ではなかったの? 聞いたわよ、カイから。ブライトと、お付き合いしているんですってね」
「え、ええ、そうなの。大丈夫よ、それはそれで時間を取ってくれているみたいだから」
 その時間も大切に、楽しんでね。そう言うとセイラは、電話を切った。


 その後しばらくして、セイラはブライトから電話をもらい、買い物に付き合う約束をした。休みを取って都合を合わせ、セイラの住むボストンまで来るという。
 その約束の日、セイラはボストンのサウス・ステーションの前で彼が来るのを待っていた。1899年に建てられたという石造りの古めかしいその駅舎は、いまだ現役であるのが不思議なくらいだった。セイラが養父母と過ごした南フランス同様に、この街も戦災を免れ、その美しい風景を保っている。
 終戦後除隊した他のホワイトベースの仲間たちと違い、もともと士官候補生としてホワイトベースに乗り込んでいたブライト・ノアはそのまま地球連邦本部ジャブローに残り、戦後処理と連邦軍の再編のため勤務していた。この秋に転属になり、今は北米・東海岸地区の基地で実務に就いている。
 やがてステーションから、私服姿のブライトが現れた。モスグリーンのコーデュロイのブレザーに丸首のニット、チノパンツにウイングチップの靴を合わせている。
 セイラは手を振ると、言った。
「私が北米にいると知ったとたんに、浮気しちゃうわけ?」
「そういうことじゃない」
「冗談よ、ブライト」
 少し歩きましょうか。そう言うとセイラは、ブライトを目的の場所まで連れていった。
 トーキョーに行く時、ミライに何かプレゼントをしたいんだ、だが、どんなものを女性は喜ぶのか、僕には皆目わからない。選ぶのを手伝ってくれないか。そう言ってブライトが口にしたのは、古い映画のタイトルにも登場する、有名な高級ブランドの宝飾店の名前だった。セイラは言った。あなた、私のことを誤解しているんじゃない? いくら私でも、そんな高級店で買い物をしたことはないわ。だってまだ学生なのよ?
 それでもいい、というので一緒に来たのだ。


 店内に入ると、セイラは言った。
「贈りたいのは、指輪なの? ひょっとして、プロポーズでもするおつもり?」
「いや、まだ、そこまでは‥‥、でも、あまり気取らずに身につけられるものを、と思っているんだ」
 彼女はシンプルなペンダントを選ぶようすすめ、ブライトは店員に希望を伝えて熱心に贈り物を選んでいる。その様子を横で見ながら、セイラは自分は何をしているのだろうとバカバカしい気持ちになった。
 ショッピングを終えたブライトは、大変な出費だったに違いないが、満足そうな表情をしていたので、セイラは少しほっとした。二人で歴史のある公園を少し散歩したあと、マーケットプレイスに足を伸ばし、そこで遅めのランチを楽しんだ。
 実は歴史の本を読むのが好きでね、というブライトは、ボストン中心地のこの歴史ある街並みに興味津々のようだった。イギリス出身で父は弁護士事務所を営み、代々法曹関係の仕事を主にしてきた、ということもあり、彼自身もその道を進むことになるだろうと、ぼんやりと考えていたという。だが、戦争がすべてを変えた。両親の反対を振り切って、彼は大学を辞め軍に志願。士官候補生として半年余りの訓練を終え、はじめて宇宙に上がったところが、あの<サイド7>だったのだという。
 セイラは、ホワイトベースのブリッジに向かうエレベーターで、はじめてブライトと言葉を交わしたときのことを思い出した。確かに彼は「宇宙に出るの、初めてなんです」と言っていた。そのときセイラは「エリートでいらっしゃるのね」などと皮肉めいた言葉を返した気がする。そんな自分にセイラは苦笑したくなった。
「こんなふうに、あなたと二人で食事しているところをミライが見たら、きっとやきもちを焼いてしまうわね。でも、なぜ私と買い物を? トーキョーにも、ギンザという高級ブランドが立ち並ぶ有名な街があるのに。彼女のところへ行くなら、街をぶらぶら歩きながら、一緒に彼女の欲しいものを選べばよかったじゃない?」
「僕もそう思ったんだが‥‥、実は仕事絡みで一件時間を取らないといけないことがあってな。アムロと面談をしたいんだ」
「アムロと?」不意に出てきた名前に、セイラは眉根を寄せる。
「ひょっとして、彼をまたジャブローに呼び戻そうっていうわけ?」
「そうじゃない、そうじゃなくて、ただ、高校を卒業したら、また軍へ戻ってモビルスーツのパイロットになるという選択肢もある、という話を‥‥」
「同じことじゃない」低い声で、セイラが言った。なぜか、怒りが込み上げてきて手が震えそうになる。
「都合よく利用して、必要なくなったらお役御免とばかりに突き放す。まだ利用価値があると気づいたら、手のひらを返したように、誘いをかける。ひどいと思わない? 確かに彼はパイロットとしては最強だったかもしれないけど、モビルスーツを降りれば、まだほんの子どもなのよ。戦いに傷ついて癒される間もない、ほんの子ども。なぜ、そっとしておいてあげられないの?」
 手にした紅茶のカップを置くと、ブライトが静かに言った。
「彼のパートナーとして戦ってきたセイラ、君ならわかってくれると思ったんだが」
「私に協力を願っているのだとしたら、とんだ筋違いよ」
 彼女は立ち上がった。
「トーキョーにはもちろん行くけど、それは旧交を温めるためよ。じゃあね、ミライによろしく」
 席に彼を一人残して、セイラは立ち去った。


 その日の夕方も、フラウ・ボゥはカツ、レツ、キッカとともに居住区の食堂にいた。ハヤトも一緒に、夕食を摂っている。アムロが姿を現すと手をあげ、同じテーブルに誘った。
「明日の夕方、カイとセイラさんが空港に着く予定なんだって。それで、みんなで迎えに行かないかって、相談していたところなんだ」
 ハヤトが言った。
「明日か‥‥、ちょっと無理だな、約束があるんだ」
「約束?」と、フラウは早くも膨れっ面である。
「また、あのヒロ・サイトウってクラスメイト? まあ、わかるわよ。アムロと似たタイプだから気が合うっていうのは。でも、カイさんとセイラさんは、ホワイトベースの仲間なのよ」
「わかってるよ、そんなこと。それに、勝手に決めつけるなよ、約束の相手がヒロだって、一言も言ってないだろ」
「じゃあ、誰なのよ」言いなさいよ、とフラウはテーブルに両手をついて、立ち上がる。
「ブライトさんだよ」
 えっ、と拍子抜けしたように、フラウとハヤトは顔を見合わせる。
「ブライトさん、もうトーキョーに来ているの? ミライさん、まだ知らないんじゃないの?」
 と、またフラウが不審な目を向ける。
「嘘じゃない、ブライトさんは僕に話があるからって、わざわざ出張してくるって言ったんだ」
 アムロは、なぜ自分がブライトの弁護をしなければならないのか、と苛立ちながら答えた。
「それに、どうせみんなで会うつもりで集まってくるのに、わざわざ空港まで迎えにいくこともないだろ」
「まあ、呆れた」
 と、フラウは大袈裟に言う。
「セイラさんの顔、一刻も早く見たいんじゃないかと思って、せっかく気をきかせてあげたのに」
 アムロは、口を閉じると何も言わずに、踵を返して出ていった。
「あーあ」とフラウはどさっと椅子に腰を下ろして足を投げ出す。
「アムロってさ、セイラさんのことになると、ムキになるよな?」
 気の抜けたようなフラウ・ボゥの顔を見て、ハヤトが言った。フラウは右の手のひらをおでこに当てて、力なく言った。
「もう、今更何言ってるのよ」


 翌日、アムロは、ブライトに呼び出されて、普段は近寄ることさえない、ベイサイドの高級ホテルのラウンジにいた。目の前のブライトは、連邦軍士官のグレーの制服姿だが、ホワイトベースの頃とは違い、ボトムも同色のスラックスを履いている。マチルダ中尉のような制帽をかぶった姿は、艦長席で怒鳴り散らしていた頃よりはるかに威厳に満ちて見えた。自分もまた、制服姿ではある。しかし高校のワッペンつきのブレザーとあっては、ブライトと並ぶと親子ぐらい年が離れて見えるだろう。
 しかし、威圧的な外見とは違い、ブライトは以前と変わらぬ距離感で話しかけてきた。
「よく来てくれた、アムロ。まあ、掛けてくれ。ここは私の奢りだ、何を注文してもいいぞ」
 ウェイトレスが持ってきたメニュー表を見ると、どれも目玉が飛び出るほどの値段だったが、アムロは構わず、スーパーならガロンで買えそうな値段のグレープフルーツジュースを注文した。
「知ってますよ、ブライトさん。経費で落ちるんだって、父もよくそう言ってぜいたくな食事をしていました」
 ふと、ブライトはあの日、ホワイトベースが<サイド7>に入港する前、軍属の技師テム・レイ大尉を呼びに部屋へ行ったときのことを思い出した。デスクの上に飾られた、息子の写真。それが、目の前のこの少年だった。
 ウエイトレスが注文の品を運んできて、それぞれの前にグラスとカップを置いて立ち去ると、アムロが言った。
「話って、何ですか。‥‥だいたい、予想はつきますけど」
「そうか、それなら話は早い。前にトーキョー支部からも話があったと思うが、高校卒業後の進路のことだ」
「士官学校のパイロットコースに進学して、軍に復帰したらどうだ、って言いたいんでしょ、わかりますよ。その話はもう、断りました」
 ブライトは、コーヒーカップに口をつけ、ゆっくりと一口を味わうと、静かにカップをソーサーに置いた。
「アムロ、君には才能がある。なぜそれを、もっと生かそうとしないんだ?」
「何の才能ですか」
「とぼけるんじゃない。君は連邦軍の歴史上、初めて対モビルスーツ戦を戦い、そして勝ったパイロットだ。撃墜スコア142、連邦軍最高位の名誉勲章授賞。それだけじゃない。君はホワイトベースのコンピュータを使って収集したデータからシミュレーションも製作した。コアファイターを弾道軌道に乗せるアイデアを出して計算もした。率先して敵陣に飛び込む勇気も見せた。そんな奴は他にどこを探してもいやしない。君だけなんだ」
 アムロはグラスを置くと、床から天井まで張り巡らされたガラスの外に目を向けていた。
「それに君は言っていただろう。僕がガンダムを一番うまく使えるんだと」
「やだなあ、それ、僕が独房に入れられたときでしょ、聞いてたんですか、ブライトさん」
 それには答えず、ブライトは言った。
「その、君の才能を今、連邦軍は必要としているんだ」
「だけど僕は、連邦軍を必要としていません」
「くだらない言い訳をするな」
 ブライトはつい口調が激しくなる。
「セイラも言っていただろう、アムロには才能があると。君にはできる、当てにしていると、いつも言ってたじゃないか。そんな彼女が、今のお前の姿を見たら、どういうと思う? 今のお前に、誇れるものはあるのか」
 そこまで言って、ブライトはしまったと思った。アムロは表情を一変させ、唇をギュッと噛み締め、今にも泣き出しそうになっていた。
 そうだ、セイラの言っていたとおりだ。目の前にいるのは、ガンダムを駆って次々に敵機を撃墜していた、あのパイロットのアムロではなかった。高校の制服をだらしなく着崩した、どこにでもいる普通の少年、自分の功績を誇るでもなく、ただ将来への一抹の不安を抱えて毎日を生きている、ただの少年ではないか。
 ブライトはそのとき、アムロが抱えていたセイラへの複雑な思いを知る由もなかった。
 アムロはしかし、静かな口調で言った
「その通りです、ブライトさん。今の僕には、何もありません。何も。だからといって、過去の栄光に、もし、そんなものがあったとして、そんなものにすがって生きることも、したくありません」
 そして立ち上がると、言った。
「では、これで僕は失礼します。セイラさんには、期待に応えられなくてすみません、って、言っといてください」
 ブライトは、自分が任務遂行を失敗したことを悟った。


 ミライが会食の場に選んだのは、ホワイトベースの料理長だったタムラが除隊後、トーキョーで開いたイタリア料理の店だった。タムラは会合のことを聞いて一も二もなく引き受けてくれ、みんなが他人の目を気にせず話せるようにと、店を貸切にしてくれた。
 日が暮れる頃、ブライトとミライは集合時間より少し早めに店にやって来て、タムラとの再会を喜んだ。今日はここでしか話せないこともあるだろうから、僕と妻以外のスタッフには休んでもらいました、給仕が遅れるかもしれないけど、それは勘弁してください、とタムラが言う。確かにホワイトベースの元乗組員は、なかなか大っぴらに当時のことは話せないのだ。だから彼の心遣いがブライトにはうれしかった。
 しかし、ブライトにはもう一つ、気になることがあった。アムロである。昨日のあのやり取りの後で、素知らぬ顔で会合に現れ談笑できるほど、彼が大人であることは少しも期待できなかった。
 約束の時間になり、店には次々にかつての仲間たちがやって来た。カイ、セイラ、フラウ・ボゥと子どもたち、ハヤト、ジョブ・ジョン、オムル、サンマロ、マーカーとオスカ。しかしテーブルいっぱいに料理が並び、あとは乾杯の音頭を取るだけという段になっても、アムロは姿を表さなかった。フラウ・ボゥが電話をすると、3回目でようやくつながり、僕は行かないから、とだけ言うとプツンと切れた。
「あーあ、ドタキャンなのかよ、アムロは」カイが呆れた様子で声を上げる
「なんかさ、砂漠の中で脱走した頃に戻っちゃったみたいだね、まあ、アムロらしくていいじゃないか、ハハハ」
 ジョブ・ジョンがそう言って笑いを取り、
「来たくない人のことを気にしていても、仕方がないわ。始めましょう、ブライト。乾杯の音頭は、あなたが取ってくれるんでしょう?」
 とセイラが言うと、ようやく懐かしい顔ぶれで初めての宴が始まった。


 楽しい時間が、終わろうとしていた。さあ、ちびちゃんたち、もう帰らなきゃ、明日も早いのよ。そう言って、フラウ・ボゥがカツ、レツ、キッカを連れて、ハヤトとともに店を出る。明日はカイが三人をトーキョー・ディスティニーランドへ連れて行ってやると約束したのだ。
 未成年者の仲間たちが帰路につくと、カイがうれしそうに言った。
「では、我々成人は、第二回戦といきましょうか。いいよな、ブライトさん?」
 ああ、と答えるブライトの腕をつかまえて、セイラが言った。
「ちょっといい? ブライト。二人だけで、話がしたいの」

 仲間たちの席から離れたカウンターに並んで座ると、タムラは二人の前にワイングラスを置いて、注いでくれた。セイラはグラスを傾けたあと、ブライトに言った。
「どうしてアムロが来なかったのか、あなたなら、理由がわかるはずよね」
 ミライがこちらを気にして、ちらちらと目を向けているのがわかる。
「あ、ああ‥‥そうだな」
「じゃあ、話して。どういう言い方をしたの?」
「僕はただ、なぜその才能を活かすことを考えないんだ、連邦軍はお前の才能を必要としている、と言っただけだ。これまでにないほど、褒めちぎってやったさ。僕だけじゃない、セイラもそう言ってただろう? アムロには才能があると」
「そう言ったの? アムロに?」
 ああ、とブライトが頷いた。
「それが、どうもまずかったらしくてな」
「アムロのこと、何も分かっていないのね。一体何に苦しんでいるのか」
「他のパイロットが数機撃墜で英雄扱いされているのに、自分は注目されることもない、ということじゃないのか? だが、僕たちのことは極秘にされたとしても、戦績は記録されている。そしてジャブローやその周辺で、彼は伝説になりつつある。軍に戻れば、英雄の帰還として歓迎されるだろう」
「本当に、そんなことをアムロが望んでいると思って?」
「じゃあ、彼の望みは何なんだ」ブライトがそう言うと、グラスのワインをぐいっと飲み干す。
「ボストンであなたに会ってから、私もずっとそのことを考えていたの」
 セイラは、ワイングラスに映る自分の姿を見つめている。


 そう、きっと私と同じ。怖いのよ。また戦場に出て、シャアに出会ったとしたらと考えると。もう彼はかつてのように、躊躇なくシャアを追い詰めることはできない。兄を呼ぶ私の声を聞いてしまったから‥‥

 やがて、セイラは口を開いた。
「きっと、怖いんだと思うわ。戦うのが。もうこれ以上戦いたくない。それが、彼の唯一の望みじゃないかしら」
 そのとき、セイラの隣にすっと、ミライが近づいてきて言った。
「私も、お仲間に入れてくださる?」
 ミライの前にもグラスが置かれ、ワインが注がれた。
「ブライトが、アムロに個人的な話があるって言っていたでしょ、そのときからずっと、嫌な予感がしていたの。アムロにとっては、辛い話なんじゃないかって」
「また軍に戻ってパイロットになってもいいんじゃないか、という話だ。断りたければ断っていい。それで周りを振り回しているのは、あいつじゃないか」
「そうやって、意地をはるのはよくないわ、ブライト。あなたのことですもの、単にイエスかノーかじゃなくて、それ以上に追い詰めるようなことを言ったんでしょ?」
 フライトは、二人の美女に責められ立てられて、ぐうの音も出なくなっている。容赦なく、ミライは続けた。
「それに、あなたの欲もあるんじゃない? アムロを一人前のパイロットにしたのは俺だ、野生の虎を手なづけて、使いこなせるのは俺だけなんだって」
「俺が自分の優秀さをアピールするために、アムロを利用しようとしているというのか」
 怒気のこもったブライトの声にも、ミライは少しもひるむ様子がなかった。
「ね、セイラ。図星だと思わない?」
 セイラが、うなずいた。
「このまま、アムロを放っておいていいと思って?」と、ミライはセイラの顔を覗き込むようにして言う。
「ね、セイラ。あなたがアムロに何か声をかけてあげてくれないかしら。私たちはここにいて、しょっちゅう顔を合わせているし、フラウとは最近言い争ってばかりで、なかなか話もできないの。でもあなたになら、心を開けるかもしれないわ」
「無理よ、そんなこと」
「ちょっーーと待った」と、そこへカイが割り込む。
「セイラさん、俺とベルファストに行ったあと、アムロから音沙汰なし? 俺、連絡しろってメールしたっていうのに」
「そう‥‥、特に何も、連絡はなかったわ」
 セイラはそう言うと立ち上がり、身支度をして店の扉の方へ向かって行った。
「アムロの居場所を探さなければいけないわね。カイ、手伝ってくれて?」
 へいへい。そう言うと、カイは立ち上がった。あいつも結局、ガンダムがなければただの軟弱者だったか。そんなはずはない、と俺は思っていたのにな。


 ミライに教えられて<避難民居住区>にあるアムロの部屋へ行ってみたが、留守だった。フラウ・ボゥに聞いてみると、同じ棟に住むヒロ・サイトウという同級生のところへよく遊びに行っているという。二人はその同級生の部屋を訪ねてみた。
 アムロはそこにもいなかった。
「あなたがたは、<サイド7>からアムロたちと一緒に避難してたっていう人?」
 半分ほどドアを開けて顔をのぞかせたその同級生は、普段のアムロの様子を話してくれた。
「なんか、いつもしらっとしててやる気なさそうな感じだけど、根はいい奴なんですよ。僕が見た幻のモビルスーツの話、誰もがバカにするのにアムロは信じてくれたし、ダイバに連邦軍のジムっていうモビルスーツが展示してあるでしょう? あのコクピットが見たいって言っていたら、あいつ、そこにいた係員にかけあって、見せてもらえるようにしてくれたんだ」
 そして、約束の会合にアムロが姿を見せなかったと聞くと、心配そうな顔をして言った。
「アムロがよく行くところといえば、やっぱり、ダイバの公園かなあ。僕はもともと同じクラスだったけど、たまたまあそこで出会ってから、よくしゃべるようになったんです」
 ありがとう、そこに行ってみるわ。セイラはそう言うと、カイの運転する車でダイバを目指した。

 ダイバのベイサイドの通りまでやって来ると、車を止めて、とセイラは言った。カイが道路脇に停車させると彼女は車を降り、カイに、あなたはここで待っていて、と言い残して、海の見える公園へ向かって歩き始めた。
 埠頭をつなぐブリッジと、市街の灯りが鏡のように海面に映り込み、キラキラと輝いている。その中を、車のヘッドライトが煌めきながら列を作っている。
 その風景を見ながら、セイラはあの時の兄の言葉を思い出していた。

 ‥‥いい女になるのだな。アムロ君が呼んでいる‥‥

 いい女になる、とはどういう意味なのだろう。例えば今のアムロのように、心をぴったりと閉じてしまっているとき、その心の中が空っぽで満たされることのないとき、抱きしめて、体を重ねて、愛を注ぎ込んであげる、そういうことができる女のことだろうか。
 キャスバル兄さんも、あるいはそんな時があったかもしれない。父の復讐を果たすため、たった一人でジオンに渡り、だれにも心のうちを見せることなく、孤独だった。その孤独と復讐という目的の虚しさを埋め合わせ、覆い隠すために体を重ねた女性が、いたかもしれない。あのとき戦場で、まさにアムロのガンダムがシャアの駆るゲルググにトドメを刺そうとしたそのとき、身を投げ出すように兄を守ったあのパイロットは、そういう存在だったのかもしれない。
「でも、いい女ってそうじゃないわ‥‥、兄さん。その女の愛が兄さんを強くしたとは、私は思わない」
 
 そのとき、海辺のウッドデッキの柵に寄りかかって海を見ているアムロの後ろ姿を、彼女は見つけた。


 また、いつものようにアムロは海にきらめく灯りの点滅を見に、この場所にやって来ていた。ホワイトベースの仲間たちが、久しぶりに集まっているはずの時間だった。アムロも、その再会を楽しみにしていた。前の日に、ブライトと話をするまでは。
 だが、彼の姿を見て、その話を聞くうちに、アムロは今の自分の、何も持たない空っぽさを露わにされた気がした。アムロにも、よく分かっていた。自分の才能を生かすには、軍に戻ってパイロットになるのが最善の道だと。だが、それが自分のやりたいことなのだろうか。そうなることを、自分は望んでいたのだろうか。モビルスーツのパイロットになれば、また、戦いを始めなくてはならない。それを止めさせるために自分は戦ってきたというのに。
 僕にはまだ、帰れるところがある‥‥、そう思ったはずなのに、帰れるところは、どこにもなかった。
「僕はただ、それまでの普通の毎日を取り戻したかった。戦争のせいでなくしたものを、取り戻したかっただけなのに‥‥」
 そうつぶやいたそのとき、彼は背中に視線を感じて、思わず振り返った。
 彼がジャブローを出て間もない頃、カイ・シデンから送られてきた写真の姿そのままの、セイラがそこにいて彼を見ていた。闇に溶け込むような濃い紫のベレー帽と同色のブラウスに、街の光を浴びてキラキラときらめく金髪が揺れている。
 その姿があまりにも美しくて、アムロはつい、目を逸せてしまう。彼女がGアーマーのパイロットになった頃には、先輩風を吹かせてあれこれ教えたり指示したりしていたというのに、今の彼女は大人すぎて、近寄ることさえできそうにない。
 どうしていいかわからないまま、アムロは背中を向けて海を見ていた。セイラはその隣にやってくると、アムロがしているように、ウッドデッキのフェンスに肘をのせて、海を眺めた。
「ここにいたのね」
 アムロは、その言葉が聞こえなかったかのように、ただ、海に映る光を見ている。
 やがて、口を開くと言った。
「僕を、笑いに来たんですか」
 セイラは、その彼の横顔をじっと見つめた。彼はまばたきもせず、ブリッジを行き交う灯りを見つめている。

‥‥なにも、悩むことはないのよ、いらっしゃい、私の腕の中へ‥‥

「ヒロってあなたの友達が、あなたがここによく来るって、教えてくれたの」
「そうですか」アムロが言った。
「ここで、夜の風景を見ているのが、好きなんです。みんな、どこへ帰っていくんだろうって」
 その言葉に、セイラは胸を突かれた思いがした。
「あなたには、地球にお母様がいらしたわね。だから、お母様のところへ帰ったのかと思っていたけど」
「母は、別の人と結婚して幸せに暮らしているみたいです。僕、知らなかったんです。8年も前に、父と母は離婚してたってこと。その前から、母とはずっと離れて暮らしていたので」
「そうだったの。‥‥お父様は<サイド7>で?」
「誰にも話してなかったけど、父とは<サイド6>で、会いました。生きていたってこと自体、びっくりしたけど‥‥、その後の行方はわかりません」
「そう‥‥」

‥‥そう、あなたにはもう、帰るところはないのね。それなら、さあ、抱き合って、空っぽの心を満たし合い、互いを慰め合いましょう‥‥

「父は生きていたけど、帰る場所がありませんでした。いえ、あったんですけど、それは自分の仕事で、僕でも母さんでもなかった‥‥」

 セイラは、訥々と語るアムロの横顔を、じっと見ている。

‥‥そうよ、私たち、抱き合って慰め合うこともできるわ。でも、それを、傷を舐め合う道化芝居、と言うの‥‥

「僕は、父さんみたいにはなりたくない、あんなふうに、仕事にしか‥‥ガンダムにしか縋ることができない生き方を、したくないんだ」

‥‥そうね、でも、あなたは、そうじゃない‥‥自分の力で、飛び立てる人よ‥‥

「だから、あなたはブライトの、軍への復帰の勧誘を断ったのね」
 アムロが、静かに頷いた。セイラは、まだ横を向いたままのアムロに、言った。いつもホワイトベースで、彼にかけていた、あの言葉を。
「あなたなら、できるわ」
 アムロが、はっとしたように目を上げ、彼女を見つめた。
「自分の帰る場所を、きっと作ることができるわ」
 セイラは、自分を見つめるアムロの目に、ジャブローで別れたときにはなかった光を見ていた。
「だからアムロ、逃げたっていいのよ。自分を過去に連れ戻そうとする運命から。私はそうした。だから、兄を忘れて、地球を離れて、<サイド7>へ行ったの。私は、戦争で引き戻されてしまったけれど‥‥」
 アムロが、次の言葉を待つように、じっと彼女を見つめている。しばしの沈黙のあと、セイラは、静かに言った。
「今は、自由よ」
 セイラは、強張っていたアムロの表情が、少しずつ和らいでいくのを見つめていた。

‥‥傷ついていた白鳥が‥‥、今、翼を広げている、癒えた傷を確かめるように‥‥

 セイラは、その頰にそっと手を触れ、唇を寄せると、言った。
「さようなら」
 えっ。
 言葉にならない慄おののきが、アムロを捉える。セイラは、そっと体を離すと、そのまま踵を返してアムロのもとを立ち去った。こぼれる涙を悟られないように、一度も振り返らずに。

‥‥これで、良かったのよね、兄さん。私、いい女になれたかしら‥‥

 公園脇に路駐していた車の中で、カイ・シデンが待ちくたびれていた。一人で歩いてくるセイラを見て、へっ?と声を上げる。
「ごめんなさい、待たせてしまって」
 そう言うと、セイラは助手席に乗り込んだ。
「いや、そんなことより、アムロはどうした?」
「‥‥彼は、大丈夫よ」
「大丈夫? 大丈夫ってどういうことだ?」
「何も、聞かないで」
 カイは、セイラの頬が涙で濡れているのに気がついた。エンジンをかけ、アクセルを踏み込むと、都心へ向かって、車を走らせた。


 昼休みの教室で、アムロはコンピュータを立ち上げて、熱心に何か資料を探していた。その様子に気づいたヒロが、隣に座ると、ポン、と彼の肩を叩いて画面を覗き込む。
「お、おおーっ? おまえも、ここ志望?」
 そこには、北米の東海岸で名を馳せる工科大学の名が映し出されている。
「え、ヒロも?」
「僕はさ、戦災孤児向けの特別奨学金がもらえるから、思い切って、この居住区を出ようと思ってるんだ。アムロは仲間もいるから、このまま、トーキョーの大学に行くのかなあと思ってたけど」
「この街は、好きじゃないんだ、それに親父と同じ大学に行くのも、気がすすまないし」
 そんなアムロの言葉を、ヒロはにこにこしながら聞いている。
「いやー、ずっと落ち込んでるみたいだったから、心配してたんだよ。うれしいなー、立ち直ったみたいで」
「そ、そうか?」
「あのさー。アムロ。すっごいきれいな金髪のお姉さんがおまえを探して僕んちに来たけど、あれ、誰?」
 いつになく動揺するアムロを見て、ヒロはくすくすと笑った。
「まあいいや、あっちの大学、寄宿舎があるだろ? 一緒に入ろうぜ」
「まだ、行くって決めたわけじゃないよ」
「じゃあ、今決めろよ」
「なんか、嬉しそうだな、ヒロ」
「嬉しいさ、アムロ」ヒロが言った。
「だってさ、これから行く未知の世界で孤独だったとしても、僕を知ってくれているやつが、一人でもいると思うとさ、そうだろ?」
 ヒロの笑顔につられて、アムロも笑った。
「そうだね。きっと、そうだね」


〜Fin〜



<ちょっとしたあとがき>

本作を、最後までお読みくださりありがとうございます。
テレビ版「機動戦士ガンダム」を最終話のあとの、アムロとセイラに起こったことを短編で書き綴ってきました。これが、このシリーズの最後のお話になります。

このシリーズのアムロとセイラには、悲しい別れがありました。お互いに思い合っていながらも、まだ若すぎて、この気持ちをどうしていいかわからない、そういう状態の中で、ふたりは今の気持ちに溺れることなく、未来へ続く道を選んでいきます。

こんなに辛い思いをしたキャラクターたち、きっと素敵な大人になるはずですからね。

ここまで読んでくださって、もし心惹かれるものを感じられたら、ぜひ、この続きのシリーズ「姫の遺言」に進んでみてください。

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