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機動戦士ガンダム0090 越境者たち #3 ローゼスガーデンの秘密

 機動戦士ガンダムで描かれた、一年戦争の終結から10年後の世界、Zガンダムとは別の「もう一つの宇宙世紀」の物語を描く。拙作「機動戦士ガンダム0085 姫の遺言」の続編。
 サエグサは、スウィートウォーターに戻るとジャンク屋を営むケリーを訪ねる。そこで少年ジュドーとケリーのために、ある提案をする。


1:スターダスト・クルーズ

 その店はコロニアルスタイルの木造で、正面の数段の階段を上ると手すりのついたポーチがあり、そして上下が開いたスウィング式の扉がある。昼間も薄暗い店内には、黒光りするどっしりとしたオーク材のカウンターがあり、その高さにあわせた無垢材のスツールが並んでいる。カウンターの背後の棚には、酒瓶ではなくずらりと大小様々な部品が並び、ところどころに色あせた写真を入れたフレームが飾ってあった。写真に写っているのはザクII、ドム、ズゴック、ゲルググ、いずれも旧ジオン公国軍の名機である。

 ケリー・レズナーは、その店の佇まいを愛していた。一年戦争が終わったあと、ザビ家一党が姿を消したジオン「共和国」への帰還を望まなかった彼は、他の同志とともに<サイド1>のコロニー、スウィートウォーターに流れ着いた。そこで出会ったのが、ウォン・リーという男だった。偏屈で口うるさい小男だが、ボランティアと称して旧ジオンの流れ者たちに職を斡旋し、信頼を得ていた。このジャンク屋「スターダスト・メモリー」の仕事を得たのも、彼の助力によるものだった。それだけではない。彼は戦傷で片腕を失ったケリーのために、脳波で制御できる最新の義手も手配してくれた。コロニー落としなどという、非人道的な戦術を平気で使っただけのことはある、ジオンは負傷兵にも冷酷だな、とウォンは言った。その皮肉はともかく、ケリーは恩義を感じている。

 店はもともとは酒場で、店名も当時のものだった。ケリーはそこが気に入らなかったが、看板を掛け替える金がなかったので、そのままにしておいた。酒場だった建物の裏側には、元の店主が趣味の場所に使っていたらしいガレージがあり、今はそこが、集められたジャンク品置き場になっている。

 そろそろ店を閉めようか、というとき、スウィングドアが開いて男が一人入ってくると、カウンター前のスツールに腰掛けた。
「何か、飲ませてくれ」男が言った。
「何度言ったらわかるんだ、サエグサ。ここはジャンク屋だ、酒場じゃない」ケリーが言った。
「…しくじったらしいな」
「想定外のことがいくつもあった。新設部隊のティターンズってやつ、あれは曲者だ」彼はケリーが淹れたコーヒーに口をつけた。
「バッチとアポリーが被弾した。尾行してきたジムを暗礁空域で仕留めようとしたんだが、逆にこっちがやられる始末だ」
「〝病院送り〟か」
 サエグサが、頷いた。
「被弾で済んだのは、どこに引き上げるかを見るためだろう。このコロニーに目が付けられたな」ケリーが言った。
「あいつらは、いまだに連邦軍のパイロットより自分らの方が技量が上だと、舐めてかかっている。そんな時代は、とうに終わっているんだ」とサエグサが毒づく。電話が鳴り、ケリーが取った。
「サエグサ、ボスが報告を待っているようだ」受話器を置くと、彼は言った。ここでボス、といえばかの謎の男、ウォン・リーのことだ。そもそも〝新型〟の情報を入手して奪取計画を立てさせたのも、あの男だった。
 サエグサが重い腰を上げ、奥まったところにある通信用の部屋へ入っていった。

「今日は大漁だぜ、おっさん!」
 サエグサが消えたのと入れ替わりに、場違いな明るい声で陽気な少年が店に入って来て、スツールに腰掛けた。
「あー、とにかく疲れた。とりあえず、何か飲ませてよ、おっさん」
「また学校をサボって宇宙へ出ていたのか、ジュドー?」
「おっさんは、もう歳で耄碌してわからなくなってるんだろうなー。だから教えてあげるけど、今は夏休みなんだ、時間はいくらでもある」
 ケリーは冷蔵庫からよく冷えた炭酸飲料の缶を出して、カウンターに置いた。ジュドーはプルトップを開けて、勢いよく飲み始める。
 ジュドー・アーシタは、ケリーがここで店を開いてしばらくして同居し始めた恋人、ラトーラの知り合いの息子だった。その知り合いというのが男を作ってコロニーを出ていってしまい、父子家庭となったことを気にかけて、彼女がちょくちょく面倒を見ていたらしい。しかしその父親も、勤めていた運輸会社の船の事故で亡くなり、今は妹のリィナと二人、遺族年金でカツカツの生活をしている。
 そんな彼を見かねてラトーラが店に連れてきたのがきっかけで、彼はケリーのジャンク屋稼業の戦力となった。仲間の操縦する船で浮きドッグまで行き、そこからデブリ回収用に改造したザクを操縦してジャンク品を集めてくる、というわけだ。彼が回収してきた中で最もいい稼ぎになったのは、ほぼ原型を留めたザクIIで、これはリストアして兵器マニアに高額で売りつけた。彼が危険を冒して宇宙に出るのは、妹のリィナを<サイド1>では比較的富裕層の集まるロンデニオンの高等学校に進学させたい、という一心からだったが、案外、宇宙に出ることそれ自体を楽しんでいるようだった。
 ザクの操縦は、ケリーが教えた。さらに訓練すれば、いいパイロットになるに違いない。ケリーはそう確信していたが、ラトーラからは、彼を戦いに巻き込まないようにと強く釘を刺されている。
 ケリーはガレージに行って、ジュドーの本日の拾得品を見定めた。
「大漁だが、雑魚ばかりだな。何度も言うが、俺が求めているのはゲルググのパーツだ」
「ゲルググかあー」とジュドーはため息をつきながら、端末を取り出して画面を開いた。
「あれは一年戦争のかなり後の方で出てきた機体なんだよね、ここらへんじゃあ、少なくともソロモン要塞を超えて、ア・バオア・クー辺りにまで出ていかないと見つからないんじゃないかなあ」
 そこへ、通信室から出てきたサエグサが加わる。
「何を見ているんだ、ジュドー?」
「これ? これは『一年戦争モビルスーツ大全』っていって、ダビドとトム、ヒロっていう三人のオタクが立ち上げたサイトだよ。連邦軍、ジオン軍を問わずこれまでに製造されたモビルスーツを3Dモデルで再現しながら解説しているんだ」
 ケリーとサエグサが、ジュドーの端末の画面を覗き込む。いくつかの機体データを見て、ケリーが言った。
「何者なんだ? 作っているのは。恐ろしいほど正確だな、俺の知る限りでは」
「知らないけど、地球に住んでいる学生らしいよ、自分たちには敵として立ちはだかった兵器だけど、それでも、そのパワーと造形に魅了されてしまった、ってことらしい」とジュドーが肩をすぼめた。
「このサイトのすごいところは、それだけじゃないんだ。連邦軍がずっと極秘にしてきた、あの幻の試作機って言われているRXー78、ガンダムの完全なデータが載ってることだ」
 ケリーが、その3Dモデルを見て言った。
「間違いない、確かに、俺は戦場でこの機体を見た。あれほどの性能を持つ機体と、あれほどの能力を持つパイロットのことをなぜ誰も知らないのか、こっち側に来てから不思議でならないんだが」
 ジュドーは、サエグサを見て言った。
「一仕事終わったみたいだし、おれをア・バオア・クー空域の方まで、連れてってくれないかなあ」
「行ってもいいが、おまえに船代が払えるのか?」
「船代を払うのはケリーだ」
 ケリーが、すっと眉を上げた。
「まあ、いいだろう。夏休みなんだろ? ちょっとしたクルージングも悪くない。ケリー、あんたも一緒にどうだ? ラトーラも連れてさ、遊覧飛行といくか?」
「あの、ポンコツの輸送船でか?」
「上等じゃないか、ジャンク屋風情には」と、サエグサが笑った。テレビ電話でウォンに怒鳴られた後味の悪さが、いつの間にか消えていた。

 ヒャッホーウ!とジュドーが声を上げ、サエグサの操縦する輸送船はスウィートウォーターの宇宙港を出た。ケリーとラトーラ、それにジュドーの妹のリィナが乗ると、もうブリッジはいっぱいである。サエグサは、船をまずロンデニオンに向けた。スウィートウォーターのコロニーの外に出たことがないリィナに見せてやりたい、というジュドーの希望を叶えるためである。
「サエグサさんは、ロンデニオンには行ったことあるの?」
 操舵席の隣の特等席を陣取ったリィナは、はじめて見る宇宙の風景に興味津々である。
「もちろんだ。俺の本職は運送屋からな、ロンデニオンにも、他の<サイド>にも、月にも行ったことがある」
 前方に見えるロンデニオンのコロニーが、次第に大きくなってくる。円筒形の三方に巨大な「窓」があり、その外側に設置された可動式のミラーで太陽光をコロニー内に取り込んでいる。「窓」から漏れ出る陽光で、コロニーの周囲も星が輝くように明るく照らされている。
「中の様子はどんな感じ? スウィートウォーターとは全然違うみたいだけど」
「ああ、全然違うね、地球上にあるロンドンという街を模して造られた街なんだ。重厚な雰囲気で、映画のセットみたいに思えてくるよ」
「同じ<サイド1>なのに、どうしてスゥイートウォーターは荒れたままでほったらかしにされているの?」
 リィナは、宝石のように光り輝くコロニーを見つめながら言った。
「それが、格差ってやつさ」とジュドーが答える。
「あっちには、連邦軍の基地があって、軍人やら役人やら、その家族やら、そういう奴らがお金をいっぱい落とすんだ」
 もちろん、それだけではない。<サイド1>の政財界がスウィートウォーターへの投資に消極的すぎるのは、自分たちのような旧ジオンの流れ者の居留地になってしまっているからだ、とケリーは知っていたが、黙っていた。ラトーラが、そんな彼の思いを察したのか、静かに微笑んでいる。彼女はポットからカップに、ミルクと砂糖をたっぷり入れてシナモンで香りをつけたチャイを注いでみなに配った。こういう物静かで痛みに触れない、さりげない優しさに、ケリーは惹かれたのだ。
 そのとき、不意に船が大きく揺れた。
「あち、あちっ、あっつー!!」
 カップから飲もうとしていたジュドーがチャイをぶち撒けて叫び声をあげる。
「何やってんだよー、おっさん!」
「お兄ちゃん!見て! あれは何?…戦争やってるの?」
 窓の外を見ていたリィナが叫ぶ。見ると、目の前に白いモビルスーツがいて、あっちへ行け、というように仕切りに「手」を振っていた。
「おお!あれは連邦軍のモビルスーツだ、ジムIIだな。現行モデルで標準配備されてるやつだから、ジャンク品はめったに手に入らないぜ」
「そうじゃなくて! きゃー!!」
 再びサエグサが大きく舵を切る。目の前を閃光が横切って行った。白いモビルスーツは船の前で「両手」を広げ、何かを止めようとしている。見ると、もう一機のモビルスーツが迫ってきていた。
「あれは?」サエグサが声をあげた。見慣れたジムIIとは色も形も違う。その機体は黒に近い濃紺で、二本の「ツノ」と二つの「目」を持っていた。
「〝新型〟!!」ジュドーとケリー、サエグサが同時に叫んだ。
 そこへ、通信が入る。

 そこのスターダスト運送の輸送船、すみやかに当空域を離れろ! ここは連邦軍の戦闘訓練空域に指定されている。繰り返す、すみやかに当空域から離脱せよ!

 いつ、そんなことが決まった? 通常航路にかかってるじゃないか!

 サエグサが言い返す。

 知るか!航路情報を確認しなかったのか?

ちくしょう!

 サエグサはコンソールパネルを操作して航路を変更した。
「せっかくだ、こっちは安全な場所からお手並み拝見といこうぜ」
 戦闘訓練空域の外すれすれを航行しながら、訓練見物をしようというのだ。ブリッジの窓の外には、激しく動き回るモビルスーツの姿と、交錯するビーム光がよく見えた。白い機体のジムIIが3機、黒っぽい〝新型〟が3機いるようだ。
「〝新型〟って、あれは新しいタイプのガンダムだろ? 黒っぽくて、よく見えないけど…」
「連邦軍のモビルスーツといえば、白と相場が決まっていたが、なぜ、あんな色にしたんだろうな?」サエグサが言った。
「確かに、あまりいい感じはしないな」ケリーが言った。3対3の戦いだが、黒い方の3機は連携を分断され、白い3機に個別に対戦せざるを得なくなっているように見えた。
「白い方が、強くみえるけど、本当に黒い方が〝新型〟なの?」リィナが言った。
「まだ、慣れていないのさ」ジュドーが、知ったような口を聞く。と、突然目を見開いたまま、腕組みをして静かになった。その様子に、ケリーは嫌な予感がした。

 ロンデニオンの周辺で連邦軍の戦闘訓練見物を楽しんだあと、一気にア・バオア・クー空域まで足を伸ばしたデブリ回収の〝スターダスト・クルーズ〟は、思った通り大量となった。一年戦争末期、ジオン公国軍による「ソーラ・レイ・システム」により艦艇・モビルスーツが一斉掃射されたあとの残骸が、回収されずに未だ多く残っているのだ。その中から、片腕に被弾しただけのゲルググを見つけたとき、彼らの興奮は最高潮に達した。
「これに、別の腕をつけて補修すれば、また大稼ぎできるぜ、おっさん!」
 意気揚々と、ジュドーが言った。ケリーは、黙ってただ静かに回収した機体を見ていた。
「あと、思ったんだけどさ」とジュドーが言う。
「あの連邦軍の〝新型〟さ、あれも、捕まえられたら、高く売れるんじゃない?」
「そりゃ、難しいな」サエグサが言う。
「いくら、パイロットがまだ慣れてないからといっても、あいつらはプロなんだ。なんか大掛かりな罠でも仕掛けない限り、無理だ。だから俺たちは、搬入前のコンテナに入っているところを狙ったんだぜ」
「それだよ、罠だよ。ほら、あるじゃん、<サイド1>にオーシャンドームっていう廃コロニーが。あそこに誘い込むって、どうだろう?」
 ケリーが、腕を組んだ。
「悪くないな、どうだサエグサ、リベンジしてみるか?」
 サエグサは、ウォン・リーにさんざん嫌味を言われたことを思い出して、言った。
「やれるものなら、やってみたいね」
「いいだろう。ただし、このゲルググは売らずに使わせてもらう」
「えー、なんで?」ジュドーが言った。

2:尋問

 情報部のナカト中尉に呼び出されたブライトは、指定のミーティングルームに入った。すでに着席していたナカト中尉が、さっと立ち上がって敬礼する。
「お忙しいところ、申し訳ありません。例の、〝新型〟に関する情報漏洩の件で、確認したいことがありまして」
 席に着くと、ナカトが言った。
「何か、わかりましたか」
「不正アクセスの件について詳細がわかりました。トーキョーからのアクセスだったということですが、ハッカーはトーキョーの政府機関に勤めるフランクリン・ビダンのパスコードを使って、システムに侵入したようです」
 ブライトは、嫌なものを感じた。
「それで?」
「先日、サマーキャンプに来ている高校生を、グレイファントム見学に招待されましたね?」
「ああ、確かに。ファ・ユイリィと、カミーユ・ビダン…」
 そこまで言って、ブライトははたと口ごもる。
「まさか、彼が?」
 ナカッハ・ナカト中尉はメガネのブリッジを中指で押し上げると、言った。
「そうです。そのまさか、です。フランクリン・ビダンの息子なんです、彼は。たまたま、〝新型〟を移送する貨客船に乗船していましたが、システムに侵入して知り得た情報を流していた可能性がある」
「しかし、彼は高校生だし、住んでいるところもトーキョーだ。まさか、あのハイジャック犯らと接点があるとは思えないが」ブライトは狼狽を隠せずに、言う。
「情報部では、あのハイジャック犯はただの海賊ではない。大規模な、地下の反連邦政府組織とつながっていると見ている」
「で、あの少年も、その一味だと?」ブライトは思わず、肩をすぼめた。初めて実物のモビルスーツを見たときの彼の表情に溢れる憧憬を思い出して、彼は言った。
「とてもそうは思えませんね、もし彼が不正アクセスで情報を得たのだとしても、それは単に、見たかったからでしょう、自分の目で〝新型〟を」
「でしょうね、自分もそう思うのですが、聴取せよとの上からの指示がありまして」
「あなたが、聴取するんですか?」
 ブライトは、ナカト中尉を見て言った。広い額に、七三分けにした黒髪の細目の男である。別に悪い男ではないが、凄みをきかせて睨まれたら、あの繊細そうに見えた少年は、どうにかなってしまうのではないか。
「その役目、私にやらせてもらえないだろうか?」
「ブライト艦長が、でありますか?」
「もちろん、君も同席の上で、だ」
 ナカト中尉の顔に、安堵の表情が浮かんだ。
「お願いできますか、いや、私もあの少年を相手にするのは、ちょっと気が重かったもので」
 ブライトの方は、すっかり気が重くなってしまっていた。恩を仇で返す、とはこのことではないか? しかし、彼はあの少年の、モビルスーツを見るまっすぐな目の純粋さを信じたかった。

 ロンデニオン・スペース・アカデミーでのサマーキャンプが始まって、1週間が過ぎていた。スペースコロニーの生活を支える農業プラント、生活用水の生成と処理を担う施設など、地上にいては見ることのできない様々な施設を見学し、その作業を実体験する毎日は、カミーユにとって大きな刺激となった。何より、仕事で留守がちなくせに、たまに顔を合わせれば言い争いばかりしている両親から遠く離れていられることは、彼にとっては大きな安らぎで、東京の家に置いてきたものを手放してでも、ずっとここに居たい気分になっていた。
 しかし、あの日グレイファントムに招かれたときに見た〝新型〟が飛行する姿を見る機会にはなかなか恵まれなかった。そもそも、スペースコロニー内部からは、外の様子を見ることができない。宇宙に「出る」仕事に就かなければ、宇宙船の乗客としてコロニーから出て旅をするときの他には、宇宙の広がりを感じることはほとんどなかった。コロニー住民のことをスペースノイド、なんていうけれど、夜になれば地上から宇宙を見上げることができるアースノイドよりも、むしろ宇宙から閉ざされているような感じがした。
 だから、アカデミーの施設にアムロ・レイ少尉が彼を訪ねてきたとき、もしかして、一緒に宇宙に出られるのではとカミーユは心踊る気持ちになった。しかし、彼が連れて行かれたのはグレイファントムの停泊するドックではなく、基地の中の奥まった一室だった。
「君に聞きたいことがある、とブライト艦長が言っている。例のハイジャック事件に関することだそうだ」不安げな様子のカミーユに、アムロが言った。ドアを開けると、ブライト艦長ともう一人、メガネをかけた七三分けの軍人が座っていた。

「カミーユ君、よく来てくれた。かけたまえ」ブライト艦長が言った。
「アムロ少尉、君も同席してくれ」
 わかりました、とアムロはいい、カミーユから少し離れた後ろの方に座った。
「こちらは、情報部のナカッハ・ナカト中尉だ。ハイジャック事件について調査する中で、不審な点があり、君に話を聞きたい」ブライトが、穏やかな口調で言った。
「情報部の調べによると、この事件発生の2週間前、トーキョーから軍のネットワークに不正アクセスがあった。これによって〝新型〟がロンデニオンに運ばれる予定であるという情報が漏洩した疑いが持たれている。ハッカーは、政府機関に努めるフランクリン・ビダンのパスコードを使って不正に侵入したもとのみられている」
 そこでブライトは言葉を切り、カミーユの様子を見た。彼は俯いて、唇をかみしめている。
「君のお父さんだ。そして君が、あの船に乗っており、ハイジャック犯が来て〝新型〟を奪おうとした。これは、偶然か?」
 キッとした様子でカミーユが顔を上げ、口を開いた。
「それじゃ、まるで僕があの襲撃犯の一味みたいじゃないですか! そんなわけありませんよ!」
「では、不正アクセスしたことは、認めるんだな?」
 再び、カミーユが口を閉じてうな垂れた。
「なぜ、そんなことをした?」
「〝新型〟が完成したっていう話をどこかで聞いて、それで、本物を見てみたくなったんです、それで、何か情報はないかと…」
「つまり、自分の興味本位でハッキングしただけで、得た情報をどこかに流したわけではない、ということか?」
 それまで黙って聞いていたナカト中尉が、口を開いた。
「本当かどうか、君の端末を預かって調べさせてもらおう」
「いいですよ、もちろん。何も不審なことなんで、ありませんから! それより、もっと怪しい人がいましたよ? それも調べたんですか?」
「怪しい人? 誰のことだ」
 そう聞き返したブライトの目を見返しながら、カミーユは言った。
「ぼくたちの、キャンプリーダーです。襲撃犯が船を襲った直後から連邦軍の救援が来て犯人の船を振り切るまでの間、どこかにいなくなってしまったんですよ、僕らをほったらかして。船に乗り合わせていた、ティータンズの隊員って人が、貨物搬入口でいなくなったキャンプリーダーを見たって、言ってましたが、その話は聞いてないんですか?」
 ブライトは思わずナカト中尉と顔を見合わせた。
「いや、聞いていないな。そのキャンプリーダーの名前は?」
「レコア・ロンドとトーレス」カミーユが答えた。
「わかった。その点についても調べよう」ブライトが言った。
「だからといって、君の罪が消えるわけではない。不正アクセスは、犯罪行為だ」
「…どうなるんですか、僕は。逮捕されるんでしょうか…」急に気弱になったカミーユが、消えるような声で言った。
「どうしますか、ナカト中尉?」とブライトがナカトの方を見た。ナカト中尉が言った。
「ここは<サイド1>で、君が不正アクセスを実行したのはトーキョーだ。我々は、君の犯罪を連邦警察に通報することになる。ところが連邦軍情報部と連邦警察は、犬猿の仲だ。これをきっかけに、奴らがエバーグリーン号襲撃事件の捜査そのものに絡んでくると、面倒なことになる」
「しかし、このまま無罪放免というわけにもいかないだろう。君のお父さんに、連絡する。それでどうだ」ブライトが言った。
「それだけは…、それだけはやめてください!」青ざめた顔で、カミーユが言った。
「父さんに知られるくらいなら、独房に入れられた方がましです!」
 後ろで聞いていたアムロが、ぷっと吹き出した。
「ちょっといですか、僕から提案があるんですが」
 3人が一斉に、アムロを見た。

3:ローゼスガーデンの秘密

 月面都市グラナダは、かつての<サイド3>ジオン公国の繁栄を支えた工業都市であった。高層ビルが建ち並ぶその風景は、20世紀のヨーロッパを模して建設されたジオンの首都ズム・シティとは趣を異にした超近代的なものだった。
 その都市のほぼ中央に、公国時代に建設された離宮がある。鷲が両翼を広げたような形をした絢爛豪華な宮殿で、周囲は広大な公園となっている。特に古今東西のバラを集めたバラ園は、この離宮を象徴する場所として知られ、ジオンの手を離れて地球連邦に属する自治都市となった今は<ローゼズ・ガーデン>と称して一般に公開され、グラナダを代表する観光スポットになっている。

「なぜだ」
 約600種のバラが植栽された、そのバラ園の一画で、アナベル・ガトーは眉をひそめていた。かつてジオン公国軍でドズル・ザビ中将麾下のパイロットとして獅子奮迅の活躍を見せ、連邦軍兵士から「ソロモンの悪夢」と恐れられた彼だったが、目下の敵はバラの葉を白く蝕むうどんこ病である。
「土壌、気温、湿度、日照時間、そして水。すべてが完璧に管理されていはずだ。なのに、なぜこのような病がはびこるのだ」
 ハサミを取ると、彼は症状の出た葉を選んで切り取り始めた。
「ここにおられましたか、少佐」
 部下から声をかけられたガトーは、作業の手を止めて顔を上げた。
「ここで少佐と呼ぶのはやめろ、と言ったはずだぞ? カリウス。今の私は、一介の庭師だ」
「失礼しました、園長。支配人がお呼びです」
「わかった」
 ガトーは園芸道具を片付けると、身なりを整えて通用口から宮殿へ入っていった。

 グラナダ宮殿の立ち入り禁止エリアの一画に、支配人室は設けられている。ノックして扉を開けると、デスクの向こう側で支配人のエギーユ・デラーズが窓の外を眺めていた。そこからは、正面の前庭とその中央にある円形の池が見える。池には瀟洒な噴水が設置されており、噴き上げられた水のしぶきが、人工太陽の陽光を反射してキラキラと輝いていた。
「デラーズ閣下、アナベル・ガトー。ただいま参上しました」
「うむ」スキンヘッドで口と顎にヒゲをたくわえたデラーズは、仕立ての良いダブルの背広を着こなしている。宮殿の一部は高級ホテルとなっており、来客を出迎える時の彼の柔和な表情を見れば、これがかつてのジオン公国の実質的な指導者、ギレン・ザビ総帥の熱烈な信奉者として怖れられた将校だったとは、にわかには信じがたいものがあった。
 デラーズは、ガトーの方に向き直ると、言った。
「<ラーディッシュ>から連絡があった。彼らの実行した〝新型奪取作戦〟は未遂に終わったそうだ」
 ふん、とガトーが鼻を鳴らした。
「赤子の手を捻るような、簡単な作戦だと思っていましたが、所詮はウォン・リーなどという商売人の考えたことだ、詰めが甘かったようですな。我々に任せておけば、今ごろは」
「そう言うな、ガトー」穏やかな声で、デラーズが言った。
「同志ヘンケン・ベッケナーによれば、グラナダ基地から〝新型〟テストのためパイロットが3人、ロンデニオンに出向中で基地は手薄だ、ということだ。少なくとも、今後1ヶ月の間は」
「我々も、舐められたものです、閣下。パイロットが3人いないだけで手薄になるような部隊が相手とは」
 デラーズが、不敵な笑みを浮かべた。
「しかしガトー、我々は同時に、5年前の、あのキャスバル・レム・ダイクンの起こした武装蜂起の失敗から学ばねばならない。たった一人の造反者で、あの計画は瓦解したのだ。そしてキャスバル本人も行方不明になった」
 ジオン再興に望みをかけて、あのダイクン派の起こしたクーデターに乗じて<サイド3>への帰還を試みた旧ジオン軍人は少なくない。その多くはクーデターが未遂で終わったあと、ジオン共和国を離れてグラナダに潜伏している。デラーズは密かに彼らと連絡を取り、真の再興のため、ガトーらとともに旧ジオン公国の遺産を守りつつ、機が熟すのを待っているのだ。
 先般、グラナダ基地の半分が、ジオン共和国軍に返還され、現在は連邦軍との共同運用となっている。そこに入り込んだ同志らにより、全基地を奪還し、ザビ家の血を引く唯一の姫、ミネバ・ラオ・ザビをこの宮殿の玉座に迎える。そして月面都市グラナダで、ザビ家血統の率いるジオン公国の旗を掲げる。それが彼らの計画であった。
「機は、熟しつつある。ガトー少佐、あの機体に火を入れて、いつでも動けるように準備したまえ」
「<ラーディッシュ>が奪取し損なったガンダムは、どうするのですか」
「スウィートウォーターに、ケリー・レズナーがいる。彼にやらせて、ウォン・リーに恩を売っておこう。場合によっては、君が動いてもいい。ちょうどいい腕鳴らしになるだろう」
「はっ!」アナベル・ガトーはすっと背筋を伸ばし、機敏な所作で敬礼すると、踵を返して出ていった。

 デラーズ中将からの命を受けたガトーは、宮殿内の自分用のオフィスに戻ると、作業服を脱いでジオン公国軍の制服に着替えた。オリーブグリーンの上下で、胸部から背中にかけて垂れ下がる黒いマントに、錦糸でジオン公国の象徴である鷲の翼が刺繍されているものだ。壁の鏡を見て詰襟と肩章を整えると、彼は扉を開け、廊下の突き当たりのエレベーターで地階まで降りていった。
 そこから、暗く長い通路を、軍靴の音を響かせながら歩いてゆく。突き当たりまでくると、彼は生体認証によりドアを開けた。さらにもう一枚、ドアを開けると、そこには旧ジオン公国時代に築かれた、地下格納庫が広がっていた。グラナダ宮殿を守るために配備されたリック・ドム数機が人知れず、そこに眠っているのだ。デラーズらが、今や観光スポットとなったグラナダ宮殿で、過去の身分を隠して働いているのは、これらの兵器を隠匿しつつ、いつでも動かせるように保存しておくためでもあった。
 しかし、ここに隠されているのは、それだけではない。一年戦争にジオンが勝利し、ジオン公国公王のデギン・サビがギレン・ザビに「譲位」して名実ともにこの国家に君臨することになった暁には、皇帝として即位することとされていた。その即位式にギレン自身が搭乗することになっていた、ギレン・ザビ専用ゲルググが、この地下格納庫の奥深くに眠っているのだ。

 ガトーは、わずかな照明に照らされただけの、仄暗い格納庫の奥へ進んでいくと、その特別に仕立てられた機体を見上げた。黒光りするほどに磨き上げられたその漆黒の胸部には、ジオンを象徴する鷲の紋章が金で描き出されている。
「ついに、時が来る…」
 そうつぶやくと、ガトーは、さらに奥まったところにある小さな部屋へ入った。そこには、壁面に埋め込まれた金庫があった。その中には「ザビ家継承者の指輪」が収められている、と伝えられている。その指輪に、ギレン・ザビ専用として仕立てられた機体のコックピットを開くためのコードが埋め込まれているのだ。彼はデラーズから受け取った古風な鍵を鍵穴に差し込んだ。
 カチッという音を立てて、錠が開く。震える手で金庫を開け、中に収められている赤い小さな箱を手に取り、その蓋を開いた。
 そこにあるはずの指輪は、なかった。

 支配人室に戻ってきたガトーは、軍服姿のままで顔面が蒼白だった。デラーズはその表情を見て、事を察した。
「閣下」低い声で、ガトーが言った。
「言い伝えの通り、この鍵で金庫を開き、中を確かめましたが…」
「消えている、というのか、指輪が」
「はい…」ガトーはうつむき、肩を震わせている。
 デラーズは、立ち上がるとガトーに背を向け、腕を組んで窓の外を眺めた。彼は確かに、指輪のことをギレン・ザビ総帥が話すのを直接耳にした。戦後、グラナダ宮殿を旧ジオンの遺産として維持管理しつつ市民に公開するために動いたのは、彼らグラナダの市民権を得た旧ジオン軍人だった。一年戦争時には、グラナダ市域はキシリア・ザビ少将の管轄に置かれ、戦後、彼らは元キシリア親衛隊の一員から、この施設を引き継いだ。そのとき確かに彼は、金庫の中に収められた指輪を見た、はずだったのだが…。
「キシリアの手の者に、たばかられたのか…?」デラーズは拳を握りしめた。デラーズは、最終決戦の場となった宇宙要塞ア・バオア・クーでギレン・ザビを自らの手で殺害したキシリアの名に尊称をつけることなく、憎しみを込めてただキシリア、と呼んだ。
「しかし閣下、キシリア様とてすでに亡く、我々を陥れることに何の意義があるのでしょう?」
「キシリアの手の者だ、ガトー、ザビ家への復讐のためにジオンに来た、というあの男、キシリアの配下ではなかったか?」
 そう言うと、デラーズはガトーの方に向き直った。
「シャア・アズナブル…」ガトーは声を振り絞るようにして、その名を口にした。

 グラナダ宮殿のある<ローゼス・ガーデン>にほど近い喫茶店で、カイ・シデンは苦すぎるコーヒーに顔をしかめていた。一年戦争後のしばらくの間地球で過ごした彼が知ったのは、地上で飲むコーヒーは、スペースコロニー間で流通しているものよりはるかにうまいということだった。
 今から5年前の宇宙世紀0085年に<サイド3>ジオン共和国で起こったキャスバル・レム・ダイクンのクーデターで、首都ズム・シティがモビルスーツにより制圧される瞬間を記者として撮影しレポートしたことで、彼は業界で名を知られるようになっていた。大手ニュース専門チャンネルのユニバーサル・ニュース・ネットワークに、彼の名を冠したレポート番組を持ってはどうかという提案も持ち上がっている。これまで、フリーの記者として自分一人でカメラを回し、レポートをしてきたが、そろそろチームを組む必要がある、と感じていた。

 喫茶店で待ち合わせていたのは、そんな彼が白羽の矢を立てた20歳を少し出たばかりの若者だった。
「カイ・シデンさん?」
 振り向くと、黒い短髪の、日に焼けた若い男が立っていた。オリーブグリーンのよれよれのTシャツに迷彩色のカーゴパンツをはき、紫色のナイロンのベストを羽織っている。背中のリュックサックは、中身がしっかりつまっている。
「すいません、待たせてしまって。あ、僕、アルフレッド・イズルハ。アルって呼んでください」
カイ・シデンは肩をすくめた。
「すみません、って顔じゃねえぞ。何ニヤニヤ笑ってんだ」
「いやー、ホントにいつも白のスーツ姿なんですね」
 そう言うとアルは、カイと向かい合わせに座った。どんな場所にも真っ白なスーツで取材に出かけるカイ・シデンの姿は、ジャーナリストの間ではすっかり有名になっていた。
「いいのか? こんな所で油を売っていて。カメラマン連中はみんな、連邦軍の新型モビルスーツが公開されるというので、ロンデニオンに殺到しているって話だ」カイが言った。
「そういうあなただって、ここにいるじゃないですか」
「おれが質問しているんだ」
 アルが、肩をすくめた。
「僕は、そういうのには興味ないんです」
「ふうん」カイは手のひらで顎をなでた。
「自分に興味がないものは、撮らないのか?」
「そういうわけじゃないけど、みんなが撮るものなら、僕が撮る必要はないって思うんです」
 そう言うと、アルは自分のカップからコーヒーをすすった。
「それで、話というのは?」
「仕事のことだ。君はフリーなんだろ? おれと組まないか? 一人ですべてをやっていては、物事が追いきれなくなってきた」
「えっ…、どうして、僕なんかと?」
「いい〝鼻〟を持っているからだ」

 アルフレッド・イズルハがその名を知られるようになったのは、今から3年前の宇宙世紀0087年のことだった。高校生だった彼は夏休みに初めて自分の暮らす<サイド6>から飛び出して、コロニー間の旅を楽しんだ。<サイド1>のコロニー、スウィートウォーターを訪れた彼は、そこでたまたま開かれていた大規模な野外コンサートに出くわし、参加する。アルはそれが、反地球連邦という政治色に染まった集会であるとを知らなかった。
 熱気を帯びた群衆の間でわき起こった暴動と、それを鎮圧するために出動した連邦軍が民間人に向けて攻撃をしかけたその一部始終を、アルは手持ちのカメラで撮影した。そして撮影したありったけの動画を投稿サイトにアップロードした。それにより、このコロニーに多くの旧ジオン国民が居留し、いまだジオン再興の望みを捨てずに活動を続けていることが、知られるようになったのだ。
 以来彼は、紛争地域に出向いては、その現場の様子を撮影した動画を、アップロードし続けている。
「なぜ、ニュースメディアと契約しないんだ?」カイが言った。
「君の撮る映像は、素人投稿ビデオと並べておくようなものじゃない」
「特別なこだわりがあって、このやり方でやっているわけじゃないんです」アルが言った。
「ただ、もうそれが自分のスタイルになっているし、それに…」
アルが言葉を濁して、視線を落とした。
「それに…なんだ?」カイが、促した。
「うーん、なんて言うか、僕はただ現実に起こっていることを伝えたいだけなんだ。どちらの陣営が正しいとか、間違っているとか、そういう主張をしたいわけじゃない」
「だったら、もっと言葉が必要だ」カイが言った。
「何が起こってどうなったのか、映像だけでは足りない。なぜ、こんなことを彼らはするのか。自分の考えじゃない、彼らの思いを伝える言葉が必要なんだ」
「僕、書いたりしゃべったるするのは、苦手なんです」
「だから、おれと組まないか、と言ってるんだ」
アルが、小さく数回うなずいた。
「ところでカイさんはどうして、今グラナダに来ているんですか?」
 にやり、とカイが不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな、多分、君がここへ来たのと同じ理由ななんじゃないか?」
「…何か起こるんじゃないかって、匂いを感じているんですか?」
「そうだ。それともう一つ、ここに来た理由がある」カイが言った。
「人を探している。シャア・アズナブルって奴を」
「赤い彗星って呼ばれた一年戦争時代のパイロットですよね?」アルが言った。
「確か、その正体はジオン・ダイクンの息子のキャスバルで、あの5年前のクーデターが失敗したとき、死んだと思っていたけど」
 カイが腕を組んで言った。
「いや、あいつは生きている。最近の、この不穏な空気を作り出しているのは、あいつなんじゃないか、という気がしてならないんだ、おれは」
「匂いますか?」
「ああ、匂うな」カイはそう言うと、アルを見て言った。
「いいチームが組めそうだな、おれたち」
 アルが笑顔を見せて、うなずいた。

「今夜のスターウォッチング・クルーズ、カミーユも行くだろ?」
 夕食のあと、エレベーターの前でメズーンが、声をかけてきた。
「リーダーのトーレスがさ、星も見えるけど、それより連邦軍のモビルスーツの訓練飛行が見えるかもしれないって、行ってたぜ?」
 カミーユはもちろん、行きたいのはやまやまだったが、首を振った。
「ちょっと、やらなくちゃいけないレポートがたまっててね、僕の学校、宿題が多いんだ」
「そりゃ、残念だな」メズーンが言った。
「ファも行くって言ってたぜ?」
 その一言にイラっとするが、それよりも、任されたことをやり遂げたいという気持ちの方が大きかった。
「うん、残念だけど」カミーユはそう言うと、メズーンの目の前でエレベーターのドアを閉じ、急いで個室に戻った。
 不正アクセスの件で呼び出されたとき、アムロの提案で彼は「ある任務」を任された。このキャンプの期間中に、それをやり遂げるという約束で、彼は取り調べのために自分の端末を情報部に預けるかわりに、情報部から専用のパスコードと端末を受け取った。ハッキングにより〝新型〟移送計画の情報をつかんだというカミーユの力を借りて、軍のハッカーとして、いまだ実体のよくわからない反地球連邦組織の動向がわかる情報を何でもいいからつかんでほしい、というのがその任務の内容だった。
 カミーユは個室に戻ると、端末を開いた。まず、不正アクセスによって得た情報に、自分以外のどこから、何者がアクセスしているのかを調べることから始めることにしていた。画面にパスコードを入力し、彼はネットワークの中に潜っていった。

 南欧の夏はまばゆい。旧世紀時代、ヨーロッパのセレブたちが夏のバカンスを過ごす観光都市として発展してきた街、ニースの海辺の邸宅の陽光が降り注ぐテラスで、クワトロ・バジーナは午睡を楽しんでいた。海からの風が頬をなで、その美しい金髪を揺らしている。
 その頬に、突然突き刺すような冷感が襲い、クワトロ・バジーナは目を開いた。目の前に、よく冷えたシャンパンのグラスを差し出しながら、ロミー・シュナイダーが笑っている。彼はデッキチェアから身を起こすと、グラスを受け取った。
 ロミーは濃いブラウンのロングヘアを無造作に束ね、アップにしている。後れ毛がなびくその白い首筋に、クワトロはそっと口付けた。
「QB」と彼女はクワトロのことを、彼女だけが許されている愛称で呼んだ。
「あなたって、最高」
 一年戦争時代、モビルスーツのパイロットとして「赤い彗星」の異名を取る活躍を見せたシャア・アズナブル。そして5年前、ジオン・ダイクンの長子としての正体を顕あらわにし、ジオン・ダイクンの掲げた「ニュータイプによる革新と世界秩序の再構築」を実現すべく、<サイド3>ジオン共和国でクーデターを起こした、キャスバル・レム・ダイクン。それが彼、クワトロ・バジーナの過去の姿である。
 ロミー・シュナイダーは、そんな彼の過去の姿を知る、数少ない人物の一人である。元キシリア親衛隊の一員で、終戦時はキシリア・ザビ少将の秘書であった。そのとき、シャア・アズナブル大佐であった彼に出会っている。終戦後、月面都市フォン・ブラウンに逃れた彼女は、そこで潜伏するダイクン派の一人の紹介でジオンの遺児、キャスバル・レム・ダイクンの姿を現した彼と再会する。彼女はやがて彼の秘書となり、クーデター以降の逃避行をともにしている。彼はクゥエル・ベルナルド・バジーナ、通称クワトロ・バジーナに、そして彼女は元の名前のマルガレーテ・リング・ブレアからロミー・シュナイダーに名前を変えた。
 コンコン、とノックの音がして、絡み合う二人は体を離した。
「失礼」という言葉とともに、男がテラスに姿を現した。
「君がここへ来る、ということは、何か動きがあったということだな? キグナン」
 クワトロはテラスから部屋へ戻ると、ソファに腰掛けて足を組んだ。
「聞こう」
「<ローゼズ・ガーデン>のことです」キグナンが言った。
「エギーユ・デラーズ中将は、例の件にようやく気づかれた様子です」
 ロミーが部屋に入ってきて、クワトロの隣に腰掛けた。
「あの機体を動かそうとしたということね」
「それで、その後の動きは?」
「もう一つのしるしを手に入れようと、画策し始めたようです」
「シナリオ通りだ」クワトロが、不敵な笑みを浮かべた。
「彼らに、行方の知れないザビ家の姫、ミネバのところへ案内してもらおうではないか」
 ふふふ、と笑ってロミーが言った。
「やっぱり、あなたって最高」



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