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#15 何もできない私 2. 精神的な自立ができないワケ



あなたにも、できることはある


ピカピカなウーラ鏡のおかげで
私の本質に気づくことができましたが

依存ブランコから降りるためには
コレだけではムリでした。

この頃は、ウーラも必死で降ろそうと
地面スレスレまで降下してきていたのに

足を真っ直ぐ延ばして
私は決して足を付けない。
覚悟ができない状態です。

以前お伝えした通り
最終的には、
振り落とされてしまうんですけどね。

でもその前に
どうしても依存してしまう理由を
知ったことによって

地に足をつけるところまでは
いけることができたのです。

エルいわく
知るだけで”50%”は変わるとのこと。

すべては真実を知ることから始まります。

人によっては、知るだけで
まるっきり変わってしまう人も
いるようです。うらやましい。

私の場合は、その後の
自分を深掘る期間が必要になってきましたから

コーチング終盤になってくると
とにもかくにも、エルから、ウーラから
その他の存在方々からも

動け動け動け、、と。

何をどう動けば良いのかわからないのに
ただ背中を押されるばかりで混乱期に突入です。

そもそも目的がないのに
動けるはずもなく
考えてわかるものでもなく

「あなたは考えられないのだから
イメージすればいいのよ」とエル。

イメージ。私の本質ですが
今では簡単にできることも

数十年も左脳を発達させてきた以前の私には
感覚脳といわれる右脳へのスイッチングは
とても困難な作業でした。

先々のイメージができないのは
左脳的なことも大きいのですが
やはり依存しているから。

誰かに乗っかっている以上
人生の目的が見つかるわけがない。

例え、人に連れて行ってもらったところで
私に自立する気がなければ
どんな関係でもいずれ破綻するのはわかります。

誰かの意見を待つことが癖づいていて
決めることができない。
人に気を遣っているわけではなくて
本当に願望がなかったのです。

子供の頃から
いつもぼーっと生きていたので
母には心配されていたのですが

結局、母や姉が決めることになり
その通りに動いていたと。

しかし、嫌なことだけは
なんとかやらなくて済むように
どんなことでも覚悟できてしまう。
面倒なやつです。

そして
エルからさらっと言われたこのひと言。

「あなたにもできることは
たくさんあるのよ」と。

???

私には特出した特技はないのですが
不器用ではない方なので

これまで
できない、とあきらめたことは
楽器と裁縫くらいなもので。
学業は論外です。

自営のお店をやっていた頃も
必要なモノはほぼ手作り。

商品パッケージからパンフレット、
クリエイティブ広告。
ブランディング関係は全て。

印刷関係はデザイン案さえあれば
web入稿で安く仕上がりますし

HPは専門的な知識がなくても
今やツールが溢れていますから
作るだけならできちゃいます。

開店時の店舗内装や什器も
開店資金が低予算だったので業者には依頼せず
セルフで木材から製造DIYでした。

ウーラも私も、ある程度は
見よう見まねでできてしまうので

浅く広くですが
なんとかやればでき上がる。

エルはなぜ「できることがある」などと
できない前提なのか。

意外にも、このひと言は
若干ショッキングだったようで
私しばらく無口でした。


できることと
できないことの見極め


資金も少なく誰にも頼れないのだから
ひとりでやらなければ。
あのレベルまで良くしなければ、という

“ねばならない”などの強迫観念に
支配されていたあの頃。

今思い返せば
できなかったんだなとしみじみ思います。

アイデアは溢れ出ていても
計画的に実行できない。

人に頼ろうとしない私は
年々とマルチタスクでパンパンに
なっていくのです。

新サービス、商品なども
一度考えはじめたら
仕上がるまでの修正にキリがない。

ちゃんとした企業では
キリはあるんでしょうけど

私たちのお店には当たり前ですが
上司がいないので自己責任ですから
新商品ラベルの完成に
半年以上かかったこともありました。

本質が超主観なので
判断基準が自分ですから

誰かが、コレ良いよ、と言ったとしても
なんかしっくりこない、と自分が思えば
納得するまで世に出さない。

案の定、ウーラと決めていた〆切は
いつも、いつも過ぎるので
さすがの大らかなウーラも物申します。

口論にもなりましたけど
私は利己的なこだわりを捨てられず
全く聞く耳を貸さない状態でした。

”できない”と
認めたくなかったのです。

そこに加えて
私の「やりたくない」が入ってくると
業務上の滞りがはじまる。

考えても思いつかないことや
労力と時間がかかりそうなことは
だんだんとやらなくなってくるんです。

ウーラはイライラしつつも呆れていく。

エルはそんな私に言いました。

「できないからできるにこだわるのよ、
そろそろ認めたらどう?」

「あなたは何もできないのよ」

私にも「できることがある」と
言ってくれたエルは
今度は私には何もできないことを
告げてきました。

噛み砕いて反復して考えてみましたが
やはりまだ、”できない”と
認めたくない自分がいました。

しかしながら感覚的には
このまま続くと
身動き取れなくなっていくんだろうなと
わかり始めていましたから

この難題
どうすれば認めることができるのかと

いつもの様に
エルから教えてもらった
自分との向き合い方を実践しました。

数日経っても進展しない時には
やめてしまうんですが

エルからは
そのようになるまで続けることだと言われ
サボりながらも続けました。

自分と向き合うってなかなか大変ですけど
いずれピンとくるものです。

なるほど、と。

やっぱり、自分の問題の糸口は
ウーラの鏡に映った”自分”でした。



陰と陽の社会不適合者


当時、イベント催事に
出店した時の出来事。

雑多に持ち込んだ商品や什器を
整理して並べないと始まりませんが

朝の開店作業に
何をどうやって進めたら良いのかわからず
呆然と立ち尽くすウーラの姿を
思い出しました。

接客などのサービス系職と整理整頓が
ウーラにとって最も苦手だったと
後から知ることになるのですが

動けないことに加えて
スローなのにミスが多かったので
私はお客様の迷惑になるようなことは
指摘したり、フォローしたり。

ウーラに対して
できていないと告げたことは
幾度となくありました。

しかしウーラは
あきらめないし弱音を吐かない。
そして頑固ですから
絶対にできないとは認めなかった。

そんな頑ななウーラを見て
苛立っていた。

そしてそれは
私自身への苛立ちです。

私もミスをしていたらしいのですが
自由意志が根底にあるウーラは
良くも悪くも、基本的に
受け入れてしまい何も言わないので

私はもともと鈍感な上に
ウーラを正そうと必死になっていたので
気づくはずもなく。

陰と陽の極にいるので
2人とも性質はまったく違いますけど
背中合わせですから
お互い社会不適合者。

一般的な仕事は2人とも
できないということです。

お互いの性質を理解していない私たちは
いつも口論になってしまい、余計な
ストレスと体力も使ってしまっていた。
なんとも不毛です。

そんな出来事を思い出していました。


できないに気づく


実はウーラも随分前にエルから
「何もできない」と宣告されていた。

私も居合わせたのですが
楽しい傍観者として
そうなんだ〜〜と、得意げに
にやけていたもんです。

結局はウーラも
何もできない人でしたから
それを目の当たりにして
憤ったり執拗に責めたりしていた私も

社会不適合者であって何もできない人。

ウーラに対して
感じていたこと、苛立っていたことは
私自身ということですから

鏡を通して
”何もできない”ということも
自ら演じて教えてくれていたわけです。

エルはこうも言っていました。

世の中の多くの人たちは
イヤでも我慢して仕事をして生きている。
主婦とか就労とか関係なく
それでも誰かを守ろうと必死に生きている。と。

そんなこともできないあなたは
何ができている、というのかと。

我慢することが良いこと
という意味ではなく

世の中の人は誰かを守るため
もしくは、自分の生活を守ることを優先し
覚悟して生きている
ということだと思います。

いつまでも自分の真実を認めず
自立する覚悟が足りない
私へのお叱りでした。

次回は
ようやく”できない”を認めます。

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